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今から20年以上も前、大学を卒業して入社した会社に、ものすごい気分屋のSさんという40代前半の男性がいた。彼は見た感じ態度があまりにも大きかったため、ちょっと怖い人なのかなと勝手に判断をして自分なりには少し警戒していた。

一緒に仕事をするときに、「これからよろしくお願いします」と挨拶をしたときには、「まあ、頑張れや」と優しい声をかけてくれたので、ちょっと安心をしてそのフレンドリーさに、もしかすると良い人なのかもしれないとも思った。

別の日の帰り際にSさんから、
「おまえ、ソープとか好きか?」
といきなり聞かれて答えに戸惑っていると、
「今から、みんなでそこへ行くんや。お前もどうや?」
と笑顔で語ってくれた。
「お金がなくて。。」
「そうか、今度の給料日にでもいこうや」
と語り、早々と着替えてうきうきしながら会社を出ていった。(Sさんは良い人だろう)とその時は心の中でそう思った。

入社してから2周間くらい経過をして、そのSさんに仕事を教わりに行くと、

「おまえなあ、昼休みにみんなと将棋なんぞしおってから遊びよってからに、何を教えてくれやと生意気いっとんや。仕事というのはなあ、休み時間に覚えるもんなんや」

と、激しく注意をされた。この間とぜんぜん違う対応に驚き、さらには恫喝に近いような声だったのでむしろ怖かった。
昼休みに好きで将棋を指していたのではなく、それが好きなおじさんたちが多かったので、みんなと仲良くするためのコミュニケーションのつもりでやっていた。それは分かってほしかったけれど、そんなことを話しても伝わりそうにもない相手だったので、「すみません」と一言小さな声で謝った。そのときは機嫌を損ねたので、仕事を教えていただくことを諦めた。

翌日の昼休みに、
「Sさん、仕事を教えてくだけませんか?」
というと、
「よっしゃ、じゃあ、教えたるわ」
今回は機嫌がよく教えてくれた。

そのときの僕はクレーンを動かす仕事をしていて、Sさんが社内でいちばんそれを動かすのが上手だった。

それからは運転を覚えるまではずっと昼休みにひとりで練習をしていた。ある意味それは、UFOキャッチャーに似ていた。運転席からガラス越しに大型クレーンを操作していた。

Sさんも、
「こんなん、小学生でもすぐに覚えて運転できるわ」
そう言っていて確かにそうかもしれない。でも、5トンくらいまで持ち上げることのできるクレーンだから操作を謝ると周りの物を破壊することだってある。そのため怖くてかなり慎重に運転をしていると、

「もっと、さっさと動かせや」

と怒涛の声が響きわたるときもあった。その場合は、手を震わせながらクレーンの運転をしていた。

その職場は365日休みがないので、社員たちはシフトで仕事に入っていた。Sさんがいない日はすごく楽だった。休息をする部屋が複数あったので、誰もいない畳部屋でずっと昼寝をしていた。あのとき23歳なのに、昼間はあまりにも眠かった。そんなに若い年齢だったのに、昼寝をしないともたないような軟弱な体だった。

気分屋のSさんを怖がっていたのは僕だけではなかった。前職ではコンビニ店長をしていた35歳のRさんもその一人だった。Rさんは僕よりもさらに気が弱そうで、どちらかというと彼は虐められているように見えた。

同じ気が弱い者同士で、僕とRさんとはわりと仲良くなった。仕事帰りにご飯を一緒に食べに行くこともあった。

ある夜中に、Rさんから電話があって、
「俺もう、あの職場を辞める」
いつもと違うような厳しい口調で語った。

僕も、なんとなくRさんにはこの職場はあわないような気がしていた。
Rさんの話によれば、毎月ではないけれども、2ヶ月に一回くらいは、ソープ料金を支払わされていたということも聞いた。あと、僕はRさんには直接は聞かなかったけれど、みんなの噂では素人童貞ということで、本当のところは知らない。

電話があった翌日にはRさんが職場にこなくなった。
そうなると、なんとなくSさんの気分が悪い方向に働き、僕にきつくあたるようになったような気がした。

給料日の数日後に、Sさんから執拗にソープへ行かないかと誘われ、よっぽどストレスとアレが溜まっているように思えた。「最近、彼女ができたので」と嘘を言って何とかごまかしたものの、明らかに気分を害しているようだった。

仕事を辞めようと決めた。もう流石に断り続けることも難しいなと感じたし、Sさんの気分に合わせることに疲れたというのが本音だったのかもしれない。

入社して1年ほどで退職願を出した。僕の上司にあたる人からは、「お前にどれだけ投資したと思っとんのや」とも言われた。確かに、5トンクレーン運転資格もその教習所へ通ってまでとらせてくれた。きっと授業料もそこそこしたと思う。その他にも車両系建設機械の運転免許も所得させてくれた。

申し訳ないとも思ったけれど、これ以上、続けることはどうしてもできなかった。

辞めてから1ヶ月後に新しい仕事に就いた。これまでと全く違うソフト開発の仕事だった。そこは自分にあっていて楽しく、結局、14年近く務めた。
ただ、残念なことに、新しい職場にも、なかなかな気分屋がいたけれど、Sさんで慣れたせいか、その人とは何とか仲良くすることができた。

それにしても、なんで気分屋に、

「いつも合わせないといけないのだろうか」

と疑問には思う。

ちなみに5トンクレーンは、あの仕事を辞めてから一度も運転をしたことがない。


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