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門前蕎麦の由来

 東京は府中市の大國魂神社の近くに府中砂場という蕎麦屋さんがある。先日、所用で府中に出かけた時に、そちらの店で腹ごしらえをしたのが、タイトルの写真である。土曜日の午後4時過ぎという時間だったのだが、グループのお客さんたちが3組も酒肴と蕎麦を楽しんでおられた。さては、府中市には蕎麦好きの人が多いのかなと思ったのだった。

 ところが、神社といえばお詣りの後長いもの(麺類)を食べるから、神社近くの蕎麦屋さんが繁盛するのは不思議ではないという方がいて、出雲蕎麦や伊勢饂飩を例に挙げてくれた。お詣りというのは、個人的な行為であって、いくらなんでもグループでするものなのかな?、と思ったけれど神社と蕎麦には関わりがありそうなので少し調べてみた。

 すると出てくる、出てくる。神社だけではなくてお寺も含めて蕎麦が有名な古社古刹はざっと次のとおり。東京の深大寺は知っていたが、他にも長野県の善光寺、福井県の永平寺、愛知県の妙興寺、滋賀県の延暦寺、長野県の戸隠神社、島根県の出雲大社には門前に蕎麦屋さんが並んでいるらしい。

 こうして見ると蕎麦に関しては神社よりもむしろお寺さんの方が関係が深そうである。実際のところも、お寺のお坊さんにはそば好き、そば通が多く、「寺方そば」としてお寺の中でもそばが振舞われてきたところ、だんだんと門前町にも広がって「門前そば」と呼ばれるまでになったらしい。

 もともとお寺や神社では儀式や振舞などに素麺や饂飩、そば切りが使われてきたそうだから、「神社といえばお詣りの後長いものを食べる」ようにもなったのだろう。しかし、蕎麦はやはりお寺のようだ。何故ならば、蕎麦は五穀に入らないので精進に励むお坊さんたちの修行の妨げにならず重要な栄養源になっていたという背景がある。

 五穀って何かというと、米、麦、栗、豆、稗(ひえ)の5つの穀物を指すそうだ。今でも修験道(山伏の修行)に五穀断ちという行があるそうだ。穀物は人が手ずから栽培したものである故に、人間の穢れにまみれた俗世の物と考え、それを食さないことで修行者の身を清廉にする行だという。

 修験道では代わりに山に自生するアワ・シイ・松実・クルミ・カヤ・トチなどの木の実や草根を食べるそうだが、蕎麦も五穀には当たらないので食べてもお坊さんの精進に支障ないとされる。栗が五穀に入るのが不思議だが、三内丸山遺跡でも栗が栽培されていたことがわかっているから、縄文時代から栗を栽培した集落もあったのだろう。

 こうして考えると、この五穀断ちという修行からは、自生した木の実などを中心とした縄文時代の食生活と文化に回帰しようとする思想を読み取ることができるのではないか。そういう思想が日本文化の基層に連綿と受け継がれてきて、お寺と蕎麦の縁が続いているとも言えるのではないか。

 さりながら、今のように包丁で細く裁った蕎麦を茹でて、ざるに盛り、醤油と味醂に鰹・昆布のダシを効かせた汁でいただく形は比較的近来のもので江戸中期18世紀以降のようである。太古には救荒作物として実を粥のように茹でて食べていたものが、粉にして練って、蕎麦がき、蕎麦切り、せいろで蒸した生粉打ち蕎麦、今のように茹でた二八蕎麦と変わってきたのである。

 蕎麦を食べることの意味づけはともかく、やはりよい蕎麦粉を多く使って打った蕎麦を食べると美味しいだけではなくて、何か身体の中がスッキリした感じがするのは事実だ。難しいことはわからないが蕎麦に含まれるルチンの働きかも知れない。蕎麦が健康食品であることは間違いないので美味しくいただきたい。

 

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