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通勤という時間

働き方改革と通勤時間

 洋の東西を問わず、農業や手工業は元々は家族単位で行われていた。産業革命が起こるや工場に労働者を集めて、仕事の分担を決めた上で、一斉に作業を開始することになった。工場というのは機械を立地条件が適した特定の場所に組織的に設置したものであり、そこに労働者を配置する必要があるからである。
 産業革命の黎明期には労働条件は今と比べると劣悪だった状況があったが、今の日本ではとりあえず労働法で規制が加えられており、2018年に公布された働き方改革関連法に伴って、残業時間にも上限が定められている。
 その残業の上限規制とは、年720時間の範囲内で、①2〜6ヵ月の平均でいずれも80時間以内(休日出勤を含む)②単月100時間未満(休日出勤を含む)③原則(月45時間)を上回る月は年6回を上限というものである。なかなか厳しい。
 私は現在のこうした規制が施行される前に、社会保険労務士の先生のレクチャーを聞きに行ったことがある。いろいろ勉強になったのだが、アレ?と思ったことがあった。それは何かというと、上の①でいう残業時間が月平均で80時間という線がどのようにして決められたのかという説明だった。
 要約すると、就労している年齢の平均的な人が必要とする睡眠時間を6時間だか7時間だか、として更に食事その他の生理的必要時間を確保した上で、それでは健康を害さない範囲での、就労時間の上限は差し引き如何ほどになるか、という計算になっているそうだ。
 ところが、生理的必要時間でも就労時間でもない、言わば第三の時間とも言うべき「通勤時間」については、往復で1時間すなわち、片道30分と仮定されているというではないか。その時、私は住まいが東京西部の多摩地区で、勤務先が横浜市と片道1時間半、毎日3時間ほどの通勤時間を費やしていたので「そんな馬鹿な…」と思わずにはいられなかったのである。
 お役所が仮定した一日あたりの通勤時間が1時間だとして、月あたりの残業が80時間と規制されているのだったら、以前の私のように一日あたり3時間を通勤に費やしている人の場合は、毎日2時間お役所の想定より余分に通勤時間を費やしていることになる。月に20日出勤するとしたら、20日✕2時間/日=40時間を80時間から差し引いた40時間を残業時間の上限としなければ、睡眠時間が不足することになるのである。

私が会社に勤めていたころのこと

 このように通勤時間というのは大きな都会で、大きな企業に勤務する場合にはバカにならないウエイトを占めているのである。でも、いつから、こんなに通勤に時間を割くようになったのだろう、と自分の会社生活をある時に振り返ってみた。
 私が勤務していたのは東京に本社がある電機メーカーであり、東証一部上場企業で従業員は世界中に何万人もいた。大学を卒業して当初の数年間は都内にあった親宅(実家)から千代田区の本社に通勤していたので、1時間もかからずに通勤できていた。
 バックオフィスの仕事だったがメーカーなので、地方工場に勤務したこともある。当然、職住近接したところに住まいを借りて歩いたり、自転車に乗ったりして通勤していた。空気もきれいでよかった。
 その後に、東京に戻ってからは多摩地区に居を構えたのだが、それは所属していた事業部門の本拠地が神奈川県川崎市から東京の多摩地区に移転したためであった。それをきっかけに多摩地区に家を買った人がけっこういた。
 ところが、多摩に引っ込んでいるとなにかと非効率な面も出てきて、いったんは事務方だけ新宿に拠点を移したのだが、それも最終的には横浜市港北区に移ってしまったので、片道一時間半という、今思うと非人間的な通勤時間を退職するまで13年ほど経験したのであった。
 横浜に拠点が移ったのは新宿の賃貸料が高いからだという説明だったけれど、本当のところは事業部門のトップが交代したからかも知れない。生え抜きのトップが失脚して本社が送り込んできたのが管理部門出身のエライ人だった。その人は横浜線の沿線に住んでいたのだと思う。
 まあ、そういう人は通勤に時間がかかろうが会社が用意した運転手付きの専用車で毎日、通勤するので、そもそも電車通勤のつらさがわからない。失脚した元トップが事務方の移転先に新宿を選んだのも、多くの社員が多摩地区に居を構えたことを考慮してくれたからだろう、と私は思う。

6人に1人は長距離通勤

 せっかく職住近接になるように居を構えたら、社内政治や構造改革の大義を含めての会社の都合によって、手のひら返しで長距離通勤を余儀なくされたというのが、私のアホらしい経験であった。
 しかし、長距離通勤そのものは、さして珍しいことではなかった。特にバブルが崩壊する前までは、サラリーマンとその妻にとって持ち家とは、ステータスシンボルであり、財産でもあったろう。
 手頃な価格の物件を求めようとすると郊外になってしまったり、あるいは子育てのために、あえて郊外を選んだ場合もあろうが、家長たる夫さえ長い通勤時間を我慢すれば妻や子にとっては、ハッピーな選択であったかも知れない。
 さすがにバブルが崩壊して、資産価格が下落し住宅ローンの重みだけが残った時期には、そのような動きにはブレーキがかかっただろう。しかし、ネットを眺めると、その後も長距離通勤はあり続けていることがわかる。
 少し古いデータになるが、アットホーム株式会社が2014年に調査公表した結果によると、首都圏における通勤時間の平均は58 分だったそうだ。あくまで平均だから、当然、これよりも短い人も長い人もいる。有効回答数が583名だった内、通勤時間が90分以上という人は94名で16.1%、およそ6人に1人であった。なお、通勤時間が40分未満の人が17%と90分以上の人と同じくらいいて、いちばん多かったのは60〜69分という階層の20.6%であった。 https://athome-inc.jp/wp-content/themes/news/pdf/tsuukin-shutoken-201407/tsuukin-shutoken-201407.pdf 
(首都圏に限ると平均でも58分と長く、前述の働き方改革関連法で前提としている30分の約2倍になっているが、これが全国平均となると総務省の調査で39.5分となり、それほどおかしくはなくなる)

長距離通勤のメリットとデメリット

 さて、人によって通勤時間に違いはあれど、電車で通勤している人って車中で何をして過ごしているのだろうか。横浜に一時間半かけて通勤していた時期、私自身は朝は本を読んでいることが多かったと思うが、帰りはスマホでメールやSNSをチェックするか、仕事で疲れてボーッとしていたと思う。
 ある時、地方工場に勤務している人が、都内に前泊して横浜に出張してきた。雑談していると、事務所に移動するために電車に乗ったら、みんながスマートフォンを眺めているので驚いたと言っていた。彼は街中に家を借りて工業団地内の勤め先までは自家用車を運転して通勤するから、もちろん、スマホなど通勤の最中に手に取ることはない。だから驚いても不思議はない。
 だが、たしかにスマホを眺めている人は多い、というか、ほとんどだったかも知れない。音楽を聴いていた人もいれば、SNSを眺めていた人もいれば、マンガを見ていた人もいただろう。電車から降りて、ホームを歩きながらもスマホから目を離さない人もいた。こうなると、人がスマホを利用しているのか、スマホが人を支配しているのか、わからない。
 長距離通勤にはメリットなんてあるのか?と思う私だが、いちおう公平を期すと世の中には次のような見解もある。

通勤時間を有効活用できる
 ON/OFFがはっきりする
行動範囲が広がる
家賃にかかる費用がおさえられる 

https://ibasho-ob.com/archives/3347

 なんか頭で考えたような内容じゃないの?と思ってしまうが、反対にデメリットはこんなにあると考えられている。

睡眠時間や自由に使える時間が少なくなる
交通費が一部自腹になる可能性がある
遅刻する可能性が高くなる
移動時間が苦痛
ストレスが溜まり鬱になりやすい
会社の付き合いに参加できない

https://ieagent.jp/blog/chie/cyoukyoritsuukin-287159

 上記には挙げられていないけれど、朝、電車で移動している人たちは自分自身も含めて、けっこう殺気立っていたようにも思うのである。ちなみに、前述したアットホーム株式会社による調査では、理想と思う通勤時間と、それ以上遠いのは限界と思う通勤時間も統計を取っている。その結果だが、“理想”の平均は 35 分、“限界”の平均は 86 分であった。
 その他に、通勤時間が長いほど、睡眠時間が短くなる傾向が見て取れたというが当然予想される結果である。また、通勤時間が長いほど、共働きの割合が低い結果も出た。家事を夫婦でどう分担するかによって変わってくるかも知れないが、共稼ぎの家庭では、どこに住むかを決めるにあたって通勤時間が長くならないことが考慮されるということだろう。

働く場所と住む場所の今後

 以上のように私自身の個人的な意見としても、信頼できそうな調査統計の結果からも、長距離通勤はデメリットが多い。なるべく避けた方がよいと思われるのだが、通勤時間はもう少し短くならないのだろうか。
 かなり極端な例になってしまうが、私自身が勤めていた会社では、コロナ禍をきっかけとして広い職域でリモートワークが導入された。地方工場のように、その場所に社員が集まらなければ仕事にならないような拠点は別として、開発・技術・事務といった間接部門を中心に出社を抑制する方向に転換したのである。
 これは東京オリンピックが予定どおり開催されていた場合に、その期間の交通機関の混雑緩和に向けて、大企業の都内オフィスを中心に内々に、リモートワークの準備をしていた企業が多かったのではないか、と想像している。国交省か経産省あたりから企業に水面下で指導もしくは要請があったのだろうと思う。
 そういうわけで、リモートワークが普及したのだが、コロナ禍が収まった現在では、リモートワークの廃止や適用縮小に戻る企業もあるらしい。リモートワークの功罪の評価や、うまい運用の仕方については、いまだ試行錯誤の段階だろう。また、工場のように現場がある職域では、リモートワークがなじまない場合もある。
 だから、すべての企業・組織や職域でリモートワークを適用するわけにも行かないが、できるだけ活かす方向で各企業には検討してもらいたいものである。不謹慎な言い方になるが、コロナ禍の間は出社しない、つまり、通勤が不要な日が多くなったし、出社する場合でもオフピークの時間帯に移動することができたので、かなり心身の健康には有益であった。
 また、昨今は新宿から小田急線でアクセスできる厚木市のように、従来は、やや都内への通勤には不向きに見えた郊外の中核都市に住む人が増えたような話も聴く。リモートワークの下では、そのような職住が分離する暮らし方も可能になる。
 反対に、都内からアクセスが楽な場所に集積された超高層の集合住宅に居住するというアプローチもありうる。いわゆるタワーマンションだが、これはどうなのだろうか?素人考えに過ぎないが、建設から20年以上経過したら必要になる大規模修繕工事ひとつ考えても、先々のことが心配になる。
 最上階に住むことができる富裕層の人は、タワーマンションが古くなれば、住み替えることができてしまうのだろう。だが、ローンを組んでタワーマンションを買って住むのは、けっこうギャンブルかも知れない。

 

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