子供のころは不自由だった。今は自由だ。

子供のころは不自由だった。13歳くらいまでは親にはスパルタ教育という名の麻雀、囲碁、五目ならべを延々とやらされていたし、13歳〜15歳のころは父親の世話で忙しかった。

父親の世話と書くと少し語弊があるかもしれない。はっきり言うと虐待を受けていた。義務教育も受けさせてもらえず、その代わりに受けていたのは暴力だった。

父親は自分のことを何もしない。下の世話的なことでさえ私と弟がしていた。マッサージなんかはほんとうに5時間でも8時間でもやらされていた。

15歳の夏に父親から逃げたものの、16歳になったタイミングで働いた職場(日雇いのバイトを転々とした)が見事に合わず心が折れてしまい、24歳くらいまで世間的に言えば完全に「引きこもり」だった。

16歳〜24歳くらいまでの間は、多分、診察を受けていなかっただけで十分過ぎるくらい鬱病を患っていたと思う。

何にもしたくならないし、何かしようとも希望がまったくない状態だった。とにかく死ぬことばかりを考えて日々を過ごしていた。

16歳のときに仕事をしなくなってから、年を重ねるごとに「これで何もしない期間〇年目だ」と自分を責め続けていた。

23歳のころ、何もしない期間が8年目になった辺りで、「このまま俺の人生を終わりにしたくない」とネットの掲示板に「なんでもします!」と書いてみたところ、すぐに「カフェの清掃の仕事を手伝ってもらえないか」と連絡がきた。

その連絡がきた瞬間は飛び跳ねるくらい興奮したのを覚えている。それまで家族以外誰とも会わずに過ごしてきたので、内心ものすごい抵抗感があったが、「絶対にやれ」と自分を鼓舞し、結果的にその仕事を手伝うことになった。

しかし、やはり俺は俺なのか、それとも重労働すぎたのか、ほんの2週間足らずでふたたび心が折れ、私の心は闇へと帰っていった。

幸いにも24歳になってから半年過ぎたくらいで奇跡的な出会いに連続で恵まれ、私は人と付き合うということを学んだ。

24歳に転機を迎えるに至るまでの道のりで、私を支えてくれたのは母親の存在だったと思う。

母親は、母親自身の幸せを優先してくれたのだ。

私が20歳前後くらいのころからだっただろうか、母親はあまり家に帰ってこなくなった。

同じ職場に彼氏ができたのだという。私は喜んだ。初期のころは母親は彼氏の家に行き、一泊しては家に帰ってきて、でも、その内に泊まる日数が増えていき、最終的にはほとんど家に帰ってこなくなった。

でも、そのおかげで私(と弟)は家事全般を自分たちでするようになったことでかなりの自信がついたと思う。

母親は家に帰らないことに結構な罪悪感を抱いていたようだった。私が「おっかちゃんの幸せが一番だよ」と言うと涙声になっていたのを覚えている。(母親のことはおっかちゃんと呼んでいる)

正直なところ、いろいろあって「働け」と言われることも多かったが(必ずキッチンにタウンワークが置いてあったり、働けプレッシャーで電気を止められたり)、最終的には母親が「私がいるとあんた達の邪魔をすることになる」と距離を置いてそっとしておいてくれた。

母親は「母親自身の幸せ」を優先してくれた。その上、「見守る」という選択をしてくれたのだ。それに支えられてきたと思う。

子供にとっては親の幸せは自分の幸せみたいなものだと思う。少なくとも私にはそうだった。見守るということについても、母親自身が言ったように「邪魔」をしないでくれることは何よりもありがたい。母親に渡された選択肢の中からではなく、自分のプライド的にも自分の道は自分で見つけたかったのだ。

おかげで27歳になった今、私は家にいる時間は相変わらず長いものの、何のためらいもなく外に出ることができるようになり、自分のことは自分でできるようになった。えー、お金を稼ぐこと以外は。てへぺろ

今は家族仲も良好だし、お金はないけど心はある日々を送っている。子供のころに比べて、今はほんとうに自由を感じられている。

大人になるとは自由になること

極論、子供も大人もないのかもしれない。でも、あえて区別する。大人になるとは自由になることだ。そう思う。

子供のころは自分一人の力では何もできなかった。何が昔と今で決定的に違うのか。それは、自分にとってはやはり父親の存在になる。

子供のころは父親という絶対的権力者がいた。あらがえば殺されるだろうという恐怖政治。

どうだろう。あまり良い例えが見つからないけれど、父親は昔からトラブルを多発させる性格で、常に電話口で誰かに対して怒鳴り散らしていた。

父親は被害妄想がひどく、ネットで父親にとって気に食わない人間がいたら、なぜか「知り合いのあいつだ」となり、「お前ら、あいつを殺しにいけ」と言う。

私は「そんなはずないよ」と弱々しく反対するが、私が何を言ったところで父親は「殺しにいけ、殺しにいけ」と言うばかりで聞く耳を持たなかった。

父親と私と弟で車で北海道に行ったことがあった。ある場所で駐車場にバックをして車を停めようとしたとき、車のリアバンパーが運転席や助手席からは見えない岩にぶつかり、車のバンパーに傷がついてしまった。

その時の怒鳴られようといったらなかった。「お前 、停めるときは必ず降りて確認しろと言っただろ!!」と怒鳴られ、その旅中(北海道滞在期間は一週間くらいだったと思う)、ずっとずっと「海に飛び込め!!海に飛び込め!!」と気が狂ったように叫ばれ続けた。

私は助手席で地図を見る役目を任されていたので、北海道にいた間、常に、常に、運転席側から私の右頬に全力のグーパンが飛んできていた。そのせいで私は今でも車の助手席に乗るのが怖い。もちろん道を間違えば殴られる。

しかし、父親はもういない。私が16歳になってすぐにてんかんの発作で死んだのだ。薬を飲まなかったことが死因らしい。

父親と離れてから数年間は毎日のように父親が夢に出てきていた。どれもこれも悪夢で、私は父親から逃げる夢を今まで何百回も見た。

死んでから、もう10年以上経ったというのに今でも夢に出てくる。父親が夢に登場する頻度は減ったものの、今でも十分潜在意識に父親の存在がこびりついているんだなと思わされる。

普段父親のことを考えることなんて一秒もなくなったというのに。

もう誰にも怒られないんだ

しかし、ほんとうにようやく、ほんとうに最近になってようやく気付いたことがある。

それは、もう誰にも怒られないんだということ。現時点で私はもう誰にも怒られないんだということ。これを書いている今も力を込めてガッツポーズしたくなるくらい嬉しい。俺はもう誰にも怒られないし、誰にも服従しなくてもいいんだということ。

これ以上の喜びがない。ようやく、最近になって自分が父親の影に抑圧されていたことに気付いた。今までは自分以外のどこかに絶対に正しい存在がいて、その存在にひれ伏していた。

今はもう大丈夫なんだ。今、この私を抑圧する人間はどこにもいない。いたとしても今の自分ならいくらでも抵抗できる。

自由だ。これが自由だ。

私には意志があって、今はその意志を貫ける力がある。だから、このまま自分を生きて、結果的に野垂れ死んだとしても構わないのだ。自分を貫いて死ねるならむしろ本望なのだ。その逆も。今の自分は「好きだ」と思った人を尊重しながら生きていくこともできるのだ。

何よりも最高なのは、今は自分のことを強く信じられること。他の誰でもない自分のことを強く信じられること。人に押し付けるための正義ではない、自分が自分であるための正しさを自分が持てているということ。

大人になるとは自由になることだ。今の自分なら遊びたいときに遊べるのだ。自分の人生の責任を自分でとっていいのだ。人に迷惑をかけることも許されるのだ。

自分で自分のしたいことを決めてもいい。子供のころは不自由だった。

今は自由だ。

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三森正道

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