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松茸とベクトルの交差

「ヒラメが釣れたからあとでおいで〜」

部長と焼肉屋でホルモンをつついていると、いきつけのスナックのマスターからヒラメ入荷の電話があった。

「もう一杯飲んでから出るか」と言ってから、部長は瓶ビールをもう2本もあけている。

ものすごい勢いで減っていくビールに、私はレモンサワー1杯だけ。

お酒は好きでも嫌いでもないけど、好きな人と飲むお酒の場は好きだ。

基本的にお酒は1杯で十分その場を楽しめるのだが、「君と飲んでると楽しいな〜」なんて部長から嬉しい言葉をかけられたおかげか、その時はいつも以上に楽しかった。

部長のビールも底をついて電車に揺られていると、電話で言われたヒラメのことを思い出した。そうだ、帰りに寄っていかないと。

というのも、スナックの常連さんが釣れたての天然ヒラメをよく持ってくるらしく、その時には声をかけると今は懐かしい手書きの電話帳に、名前と電話番号を書き込んでいたのだ。

わざわざ連絡してくれたんだから、忘れないように行こうとふわふわとした頭で考えていた。

当時はまだ友達だった彼と、二人でそのスナックに行ったことがあったことを思い出し、「ヒラメ入ったからおいでよって言われたんだけど今なにしてる?」とLINEを送ると「今長野にいる〜」という返事。

残念だなあと思いながらも一人で、お店に向かうとマスターも彼のことを覚えていた。

「長野?じゃあ、松茸もってこい!っていっといけ」

いつも通り真っ赤な顔で、江戸っ子のように歯切れのいい言葉を放つ。

冗談まじりにマスターの言葉通りLINEを送ると、「エリンギならいいよ」という返事。しかしその2日後、彼は本当に松茸を買って東京に戻ってきたのだ。

「え?まじで買ったの?」

思わず口に出してしまうくらい驚いた。だってあの松茸ですよ。秋の味覚、希少価値ゆえの値段の高さに、スーパーで見かけても怪訝な顔をして通り過ぎてたあいつだ。

「長野は今年、豊作だったらしいから」

なんて、はにかみながらパックに入った松茸を見せてくれた。

一緒にスナックに行くと、「ちょうど昨日常連さんと松茸ご飯食べたいって言ってたんだよ〜」なんて、自分が言い出したのに嬉しそうな顔でマスターは彼を迎えいれた。

この一件は本当に強烈で、付き合ってもいないのに「ああ、この人は私が大切にしたい場所を同じように大切にしてくれる人なんだなあ」と思ったのだ。

同時に気づいたのは、居心地のいい空間とはこういうことか〜ということ。

前まで彼は「私の友人」という立ち位置だったのに、松茸を持ってきてからというもの、マスターやママがはっきりと彼自身を認識するようになっていた。

会話のベクトルが誰かに集中したり、何かのフィルターを通してではなく、等しく交差する場はとても心地いいものなのだとその時に知ったのだ。


その3日後、彼と付き合うことになるのだけど、

「次は蕎麦を持ってきますね」

なんてマスターに言っているその横顔を見て、この人と付き合える人は幸せだろうなあなんて考えていたのを思い出した。

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