2024/03/03の日記 - 赤リップ選びとFe/Fi

またも頭パンクしそうなので書いてく。出すぞ〜!

この数時間、知人に赤リップ(よくよく話聞くと赤〜ブラウンリップ)を選んでほしいと言われて頭を悩ませている。「赤リップ」って人によって指しているイメージが違いすぎるので、「どこでつけたいのか」「どんな服を着るのか」「いいイメージ・いやなイメージは?」などなど聞いていったらいろいろと最善手を選びたい自分の性質がブンブンうなり始めた。

最初候補に上がってたのはSUQQUの1月新作のモイスチャーグレイズリップ10番。

ただ、これ「グレイズ」の名の通り「ツヤッツヤ」になって重ためになるのと、色が割と青み強い様子。つける本人はスプリングの人かつ、顔全体のカラーリングを青みに寄せるみたいなメイク技術はないので、せっかく買っても「なんかしっくりこなかった・・・」になりそうで怖い(もったいないし、悲しいので私としては避けたい)んだよな。

色々思い出したり調べたりして、これはいいのでは?ってなってるのが、Celvokeのディグニファイドリップス10 brick。

ディグニファイドリップス2本持ってるけど、マットでもツヤでもない絶妙な質感がなんとも言えず好きなのと、色出しがセンス!!!という感じで、つけるだけでおしゃれな顔になる(洒落る)んだよな。オーダーよく分析すると、本質的に喜ばれるのはこっちな気がしてきた。占い師かい。

明日カウンター行って試そう。自分も04のピンクブラウンと同じく10番気になってきたな・・・

こういうときさ。相手も「遊び半分だからそんなにマジにならないでも大丈夫!」って言ってたんだけど、私の↑のような回路ブンブン!のを感じるんだろうな。多分そうだと思う。


最近自分のFe(外交的感情)が働くのを自覚するようになってきた。普通に暮らしてても、「相手の持っている本当の困りごと」とか「言葉には隠された感情」を認識・把握できるからなにかがうまくいく/ 読み取ることじたいが苦ではないなとか、そういうことに心当たりがバシバシ生まれている。

でもそしたら、自分の感情がますますどこにあるのかわからなくなってきた。相手の言動(とくに読解が難しいもの)に論理で説明をつけていて(自分に対して)、それに則って相手に接するから、その間に「自分の気持ち」って発生?存在?介在?していないような気がする。

例えば私は、なんか厄介な人(strangeかつ実害あり、みたいな人)が人生に登場したとき、最初は対話、議論などを行ってとっくみ合う(相手を知ろうとしている)ことで情報収集を行うことが多い。この時点で「よくやるね」「嫌いじゃないの?」と言われることもあるが、自分としては一番自然な動きをすると、勝手にそうなるだけで、ダルさは普通に感じている。
そのあと相手の行動を観察して、相手という生き物にどういう機構が働いているのかを把握する、までがセットになっている。そこまでが完了すると、その人はNPC的な存在にある意味「成り下がる」事が多いので、「私がこれを入力すると、相手はこれを返す」的な、心(?)に負担のかからないつきあい方を実践できるようになる。

恋人や友人や尊敬する同僚は「とっくみ合う(対話)」フェーズがずっと続く感覚があるのに対して、そうでない人は読み終わった本みたいなイメージに変わる。内容もおいてある場所もあるけど、なんせ読み終わった(そして再読する本ではなかった)ので基本的にはしばらく用がない。

話は戻って、「その間に『自分の気持ち』って発生?存在?介在?していないような気がする。」について。

たとえば↑の「赤リップ選んで!」みたいな相談事について、「そんなこと言われてもな。私にどこまでを期待しているのだろう」って一瞬で思っても「でも今『そんなこと』を相手が言ったのは事実なのだから、相手にはおそらくこういう事が起きていて・・・」「だとしたら自分がやるべきことは・・・」「伝え方は・・・」「言わないほうがいいのは・・・」みたいなのを全部頭で考えてピャッと出力していたんだけど、ここでの自分の本音って一体なんなんだろ?と思うようになった。「それ言われて私はどう言えばええねん!」が近いっちゃ近いんだけど。

ないのかなあ。

珠音さんのこのnoteを読んで、最初は他人事のように思っていた(記事の内容自体は初見のときから衝撃的に興味深く、面白いです)んだけど、経時的に内容がどんどん自分に染み込んできている。

染み込んだ過程を乱雑に説明するとこう。

私は、自分との議論に疲れた人の気持ちを察することがあり(たいてい対面している友人・知人・恋人 ※仕事を除く)、その内容は「こいつ、それで本当はどう思ってるんだ?なにがしたい・したくないのかわかんないんだけど・・・」というものだ。

なんでそんなことを思うのか?については理由に覚えがある。

私は、エンジニア、デザイナー、ディレクターそれぞれと仕事をしていて、その中でも職種を問わず、いっしょにものを作る仕事をしやすい人と、しづらい人がいる。スキルや経験ももちろん大きな要素なんだけど、最近、一番は「こうしたい」の有無だと思うようになった。「こうすべき」はその場その場でそりゃあるんだけど、「自分としては」「個人的には」「こうしたいんです」という、その場その場を貫通する信念、または優先度付の癖のようなものは、意外とない(少なくとも私には感じられない)人も多くて、そういう人との「何かを決める」問答にはつらいものがある。「これはダメ」みたいな線引きがないので、落とし所を見つけるのが難しい。

けど、自分もこれなんだろうな・・・。だから「こいつ、それで本当はどう思ってるんだ?なにがしたい・したくないのかわかんないんだけど・・・」って思われているはずだよなあ、に戻ってくる。

つまり、そういうふうにして「なんか自分も自分が何を考えてるのかわかんない」ことに気づいた。それでも勝手にいつもどおり、周りの人の意志・感情を体にバンバン入れすぎて、それがおそらく原因で2月はやや調子が悪かった気がする。

調子悪いのは嫌なので、周りの人の意志・感情を体にバンバン入れすぎないようにしよう・・・と思ってこの数日過ごしている。具体的にはそのとき思ったことを素朴に口に出している。親しい人にだけだけど。でもさ〜これもさ。私が思ったことそのまま口に出すと、ほんとに冷たいと言うかひどいこと言ってるように感じるんだよな。というか、自分の価値観としては感じないんだけど、これ聞いてる相手は「ひどい」「冷たい」と感じるだろうなどう考えても、みたいな・・・。

ぜ〜んぜん解決するあれもないけど、もう3時前だから寝ようかな。明日はリップも見るしね・・・

2月もお買い物したし、3月も欲しいもの大物があるので、あんまり時間開けずにnote更新したいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?