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2024/01/07の日記 / 年始の気持ち

2時間以上かけて書いてやや長大noteになった。目次をつけてみた。


ここ数日の日記

昨日も今日も特に予定がなく、画面の前で検索ゾンビになってしまう時間が長かった。今ひしひしと後悔が押し寄せ、「取り戻さないと」の気持ちに負けそう。

PSYCHO-PASSの脱出ゲーム、知らん間に始まってて知らん間に終わりそう。2024/01/08がラスト公演で、ソロでも凸ってみるかめちゃくちゃ悩むな・・・一人だと結構ツラい謎があるっぽい。

公演の会期に気づいたのが遅くて(昨日)、友人知人誰とも都合合わず。ソロ凸の恐怖に負けずに行くか迷うな・・・・

昨日は2ヶ月ぶりに美容院行って、近くをフラフラ歩いて初めて入るカフェでぜんざいと緑茶を飲み、呪術の新刊とカラオケ行こ!とお弁当を買って帰宅。やっぱ紙ものっていいな〜と思った。

漫画、軽率に購入していこうと決めました。自分は「これほんとに買うほど面白いのか?」と買うのを渋る悪癖みたいなものがあって、去年はあんまり新しい漫画を知れなかった/そのへんについて生活や脳みそが更新されなかった後悔などがある。あとは、これ買ったら本棚いっぱいになっちゃうから、何を買うかはシビアに判断しなきゃ、とか。くっだらねえ。それやってたら、その枠から出ない生活と人生の出来上がりだぜ!とりあえずこの新年すぐのボーナスタイムみたいな一月はバンバン買っていこうと決めている。

和山やま先生の漫画2冊

この動画もなんとも言えず良かった。仕事についてぐつぐつ考えているタイミングだから、いろんなことが連想されて最後あたりなかなか見終わらなかった(考えたり、それをノートに書いたりして)な。

コンテンツ視聴中、熟読中などに連想が止まらくなり、それそのものを最後まで見れない病だから、リアタイ視聴がいちばんいいのかもしれない。または、映画。調べてたら「KINEZO会員デー(毎週火/木)1,400円」を知った。こんなのあったっけ。

リアタイでいうと、1/3(年始休み最終日)に実家から戻ってリビングでボーっと見てしまったのはこれ。この土日、Netflixに来てたの気づいたけど、どうせ見なかっただろうから、そのとき視聴できて良かった。

逆に、信じられないことに呪術アニメは渋谷事変のラスト5話分くらいを見ていなくて、私だけ年を越してないのではって感じだ。本誌追ってるし、新刊も紙で揃えてるし、アニメも当初リアタイしてたのに、これはなんなんだろうなほんとに。Neが暴れて、もっと新奇性の高いものに吹き飛ばされているのかもしらんね。

帰省PJ振り返り

正月といえば、今回の帰省はかなりうまく行った。一番は母親の調子がよかったことだけど、次回以降もできそうだったのは、お取り寄せでちょっといい店の水炊きをお土産にし、準備からシメ、片付けまでぜーんぶやるから、座っといて〜という晩餐。ものも美味しかったし、「優しくされている」「ケアされている」というのが相当癒やされたみたいだったな。こういうのが相手の受容体に合っているということを知れてよかった。すでに帰省はプロジェクトの認識でいるので、これは次回以降もできるとよさそう。あとは祖父母家の顔出しだ。手土産ってやっぱり意味がある。相手にとってというより、自分の防護服のような役目を果たしてくれたし、そのおかげで自分も随分落ち着いて滞在の時間を過ごすことができた。


2024/01/07(日)

これ見てたら気になりすぎて「薬屋のひとりごと」飛ばしながらちょっと見た。確かに猫猫のキャラ造形は、かなり腐女子夢女子その他平成のイタい女オタクの挙動と似てるな〜と思う反面、今(2024年)もそうなのか?とも。ファンタジー過ぎてある意味いろいろ考えずに見て萌えられて癒やされる。

薬屋のOP見てたら「魔法使いの嫁」の「Here」思い出した。

学部生のほぼ不登校時代にこういうの見ては食らったり泣いたりしてたな。ヘブンズフィールの「花の唄」「I beg you」もそう。チセや桜に当て書きされた歌詞や、孤独な少女像が刺さっていたんだろうな。今も好き。


自分についてこの数日考えている

ここ最近、「相手(他者)の認識/相手の世界観を想像する能力」がほっといても人より高いことを自覚した。対人/組織でトラブルが起きているときに自分が無意識にやっている視点の切り替えや、その種類についてはこれまでも色んな人に言われてきて、あまり気に留めていなかったけど、そういったできごとに一気に全部説明がつく、みたいな気づきがあって「あー」と納得した。なんか年々自分のことも、他者のことも、社会(コミュニティ)のことも構造的にとらえるようになっていって、未知(だと認識できるもの)が減ってっている気がする。

構造的に捉えたその内容や性質に失望したり、文句をつけたり、うまいことやったりするのは去年やり尽くした感があって、今年は純粋に、詰めずになあなあにしていること(自分基準で)をガン見してバラしていくのに集中できたり、夢中になれたりしたらいいなと思っている。

💡 気づいた(自覚)


  • つらくなる

    • 新しいモノコトが生活に無い

  • 楽になる/元気が出る

    • 詰めずになあなあにしていることが解体される

    • 自分についての気づきがある

    • "ちょっと興味あるけどビビっちゃうこと"はやっちゃった私!へへん!(自分に誇る感じ。他者に誇示したいわけではない)

👟 気づいたので(意識してやること)


  • 新しいモノコトが生活に無い🍂

    • 新しいモノコトは自分で取りに行く/誘われたら選り好みしない

    • ↑これやってしまうけど、内容よりも「新しいこと」に癒やされるから 選好には大して意味がない

  • 詰めずになあなあにしていることが解体される🛠

    • 解体する(勉強する)時間をちゃんと作る

  • 自分についての気づきがある💡

    • 「気づき」があるときは人と喋っているときか、何か(文章/映像/体験)を入れているときなので、「あっ」と思ったら何かに書く

      • 家なら紙のノート

      • 外ならメモアプリ

  • "ちょっと興味あるけどビビっちゃうこと"はやっちゃったほうが気楽

    • 最近やってないだけで、勇気(; 向こう見ず)を出すのは慣れている。ので、慣れを取り戻す/失わない。

    • Aにビビってやらなかった場合、次にBが来ても「AもやらなかったしBをやっても」という謎理屈で自分を納得させちゃうので、単に「ビビリ」で何かをやらないのは後続にも響く。

      • 考えるのをやめて体を動かすだけだ。ここまで来るといろいろ考えることはいい方向に働かない。水泳と一緒。掻いて蹴れば進む。

💡っていうか去年(2023年)って


ここまで書いてて思ったんだけど、やっぱり私は去年の特に下期は自分の仕事や暮らしに飽きていたんだろうな。というか、自分に飽きてた。飽きているフェーズから脱却するためのいろんなことが億劫になっていたんだなーと自覚している。

つい先日の夜にネイルを塗り替えているときも、慣れた色(確実にうまく塗れるし手にも服にも馴染む事がわかっているポリッシュ)を塗るのが急に嫌になったんだけど、「悪くない、良いんだけど飽きる、嫌になる」はあるし、自分は人より飽きやすいし、飽きると調子も悪くなるんだということをなんとなく自覚した。

仕事にしたって、自分としては「いつまでこんなことやってるんだ、私は飽きてる」って気持ちと、「組織の向かう方向としては、自分は飽きちゃいけない」って思うようにしていたってところが真実かもしれない。飽きたのは飽きたでいいじゃん、自分の気持ちが発生し始めると、それよりも「客観的には/組織的には/社会的には、〇〇だよな」のほうがすごい速さで枝を伸ばして葉が生い茂るイメージだ。だから「飽きた」みたいな感情も無視したらいけないのだ。無意識にであれ、ないことにしたって、どうせものはそこにあるんから。後で頑張って引っ張り出すより、そのときに意識的に観察できるようになったほうがいい。

は〜。さすがに眠くなってきたな。終わります。明日は午前中に起きれるといいな

聴きながら書きました。雨穴さん原案「何かおかしい2」のエンディングでかかっていて知った(雨穴さんはそれに合わせ、踊っている)。


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