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変化への恐怖と怒り

システム導入での出来事

 私の勤務先ではとある業種向けのシステムを開発しており、先日システムをご購入いただいたお客様への納品がありました。
 当社では、納品に伴う導入支援の一環として、お客様先の各ご担当者様向けに操作説明を行っております。
 今回も担当説明員がお客様先にお伺いしご説明をしたわけですが、その際にご担当者様が大変ご立腹な上、次のようなご指摘をいただいたとの事でした。

  • 前のシステムには存在していた機能が今度のシステムには存在しない

  • 前のシステムと運用の流れが違う。間違ってしまったらどうするのだ

  • 前のシステムとハードウェアの構成が違う。故障したらどうするのだ

 (ちなみに「前のシステム」とは別のメーカーさんの製品です)

 これまでシステムを導入いただいた他のお客様の中にも、システム刷新に伴う不安を訴えられた方はいらっしゃったものの、ここまで明確な拒絶反応を示されたのは今回が初めてだったため、担当説明員はおろか私も少々悩んでしまいました。
 さて、どうしたものか…。

変化に対する恐怖

 今回とは全く異なるケースですが、以前お客様先でシステムの紹介をした際、実務ご担当者から次の様な強いお言葉をいただいた事がありました。
 「つまりお前たちは俺たちから仕事を奪う商品の紹介をしに来たというわけか!?」
 もちろん私たちにそのつもりはありませんし、システムを導入することで、仕事が効率化し、その分より付加価値の高い仕事に専念していただける様になると説明はしたものの、この言葉をいただいたときは流石にショックでした。

 いずれの例も、共通するのは「これまでのやり方が変わってしまう」ということに対する、ある種の恐怖の表れだったのだなと思います。
 同時に、各ご担当者がこれまで積み上げてきた過去の実績への理解・敬意が不足していたことが我々が反省すべき点だったと思います。
 前回の note のテーマでもあった「共感」がきちんとできていれば、もっとご理解いただけるような説明ができていたのかもしれません。

澱む水には芥留まる

 とはいえ、「変わらない」ということは停滞を意味します。
 そして、停滞を続けることは衰退を招くことにもなります。
 他が変化を続けていく中、自分達だけが変化を拒んでいれば、次第に自分自身、そして周囲の人々の思考までも硬直化させることとなり、やがて訪れる外部の変化によって淘汰されてしまうこととなります。
 
 特に我々の業界は常に変化を求められ続け、そして変化を続けてきたわけですので、その必要性・重要性、そして変化することで得られる未来の可能性をきちんと伝えることも、共感する以上に必要だったのでしょう。

 何よりも「今までのやり方」だって、最初は誰かが生み出した「変化」だったはずなのですから。

当たり前はきっとすぐに訪れる

 今までのやり方を変えるわけですから、確かに最初は大変かもしれません。
 ですが、人間が新しい習慣を身につけるまでに要する時間は平均 2ヶ月なのだそうです。
 2ヶ月あれば「新しい」が「当たり前」になるということです。
 まずは挑戦してほしい、新しい試みに。
 その試みを通じてさらに新たな課題・挑戦が生まれてくるはずです。
 そして、その課題・調整はぜひ我々にも共有させてください。
 我々と共に「変化」=「成長」していきましょう。


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