感情と合理性について。

僕はめちゃくちゃ感情で動く人間です。感情でしか動いてないんじゃないかってくらい。

人間はなんのために生きているか?って考えたこと、みなさん一度はあると思います。いや、みんな常に考えてる永遠のテーゼなんじゃないかな。

僕が出した結論は「幸せになるため」に生きているんだと思います。何が幸せって人の数だけ違うから、いろんな幸せがあるんですよ。ゴールは永遠に無くて、常に自分にとって幸せとは何かを模索しながら、挫折しながら、あるいは実現しながら。僕が言うとなかなかに重い言葉だと思いませんか。

僕はひきこもりの生活が長かったです。なるべく社会の邪魔にならないように、コンビニに行くのも控え、それなのに親には金銭的にも精神的にも迷惑をかけまくった役立たずの人間でした。まあ現在進行形で迷惑はかけているんですが。そのせいか、今の仕事はダイレクトに人の役に立てる仕事なので、自分がしたかったことってこうゆうことかもと思っています。

僕は独身で子供がいないのでまだわかりませんが、親ももしかして僕と似た思想を持ってくれていたのではないのかなと思います。だからこそ、こんな手間しかかからない役立たずの人間を支えてくれているのかもしれません。僕に幸せになってもらうことが、両親にとっての幸せなのかなとか、そんなことを最近感じています。今この文章書きながらめっちゃ泣いてます。感情で動く人間なので。

じゃあ僕にとっての幸せとは何かというと、「心が安寧になること。そしてそれによってよく眠れること」、それが今現在の僕の幸せです。

なんだそれ?って思うかもしれませんが、双極性障害という病気は…というか、病気のことはちょっと頭の隅っこのほうにちょっと置いておいて、自分の性格的な問題で、冒頭にも言った通り、自分はめちゃくちゃ感情で動く人間なので、気分の乱高下がジェットコースターみたいなんですね。音楽に狂ってたときの僕を知っている人はあの狂気を垣間見ていたと思います。今はかなり落ち着いて、けっこう幸せです。薬では限界があるので、生活を変えることによって心の安寧をはかっています。

心の安寧と睡眠は密接に関わっていて、相互作用があるんですね。心が安寧でないと眠れないし、質のいい睡眠をとらないと心が安寧にならないんです。だから絶対に睡眠時間は削らないし、質のいい睡眠をとるために、遮光カーテン、アイマスク、眠剤と精神安定剤、睡眠補助サプリのネルノダ、立体枕、睡眠導入ASMR、それを聴くためのbluetoothイヤフォンを買いました。寝具も布団だと床が固いので、簡易ベッドを買いました。睡眠に関しては徹底しています。

上記は睡眠に関してなんですが、あとは心の安寧ですね。どうしたら心の安寧が手に入れられるのか。これも僕は考えました。僕はひきこもってたときが一番気持ちの乱高下が激しかったわけです。では逆をすればいいのではと考えました。誰かと会えるときは会って、自分の考えていることをしゃべりまくるんです。猫が信用の証明におなかをごろんと見せるように、僕はこの人はおもしろそうだという人間にはしょっぱなからかなり踏み込まれたくない話とかをぶっこむんですね。おなかを見せるんです。そうすると、僕が見込んだ人たちも簡単に踏み込まれたくないであろう話を、ぽつりぽつりと話てくれます。こうすると他人の思想も知れてとても勉強になるというか、発見が多いんですね。おなかを見せて否定や説教をするような人間はカスだと思っているので、そうゆう人間とは二度とつきあいません。心の安寧のために。

心の安寧のためにもう一つ。人間には所属の欲求というものがあります。僕は何も所属していなかったときに気分の乱高下が激しかったわけです。これも僕は逆のことをすればいいのではと考えました。今所属しているのは家族、会社だけですけど、あと何か所属したいんですよね。あんまり熱心に信じてないんですけど、プロテスタント系のキリスト教の協会の礼拝にたまに行ったりします。聖歌を歌ったり、牧師さんの話を聞くのはおもしろいですし、お祈りするとなんとなく気持ちがすっきりします。基本的にお金かからないですし。いやお布施しろよって話なんですけど。クリスマスの礼拝に行ったときに、あんまり熱心じゃないのに洗礼を受けた人しか食っちゃいけないパンとワインを間違えて食ってしまって、さすがに申し訳なくなりました。

人と会って話すこと、所属の欲求を満たすことは心の依存先を増やすことという話につながってきます。親友がいるんですが、最近は親友以外にも会える人が会えるタイミングだったときには気持ちのフットワークを軽くして、行けます!と言ってからどうやって行こうか考えたりするくらいです。

今の自分にとっての幸せである、心の安寧と質のいい睡眠を実現するために自分が合理的に考えた結果の行動なわけです。基本感情で動く人間なんですが、幸せの実現のために合理的に考えたわけです。そして自分の考えはかなり正解に近かったらしく、おかげで心は安寧になり、比較的質のいい睡眠もとれています。

さて、こっからがおかしいんですけど、最近好きな人にフラレたとか、前の日記だと好きな女の子のタイプとか抜かしてたじゃないですか。よく考えなくてもわかると思うんですけど、僕の幸せの実現において、恋をすることはまったく合理的じゃないんですね。恋愛を経験したことある人ならわかると思うんですけど、深い付き合いをするわけですけど、他人なんですよ。思想が違うわけです。衝突があるわけです。すれ違いがあるわけです。双方の求めるものが違うわけです。ずっと合致してればいいですよそりゃ。でも他人なのでそれは無理ですし、双方の思想が合致している関係って、果たして恋愛なのか?とか考えてしまいます。

つまり、自分の幸せにとって、むしろ障害と言っていいんじゃないかというくらい、恋愛は合理的じゃないんですね。なのに、人を好きになっちゃうんです。どうしようもないくらいその人に惹かれてしまう。一日中その人のこと考えてぼけーっとしてて、仕事の作業効率が落ちたり、夜寝る前にその人のことを考えて寝るのが遅くなったり。

感情をコントロールするための合理的な手段を阻害してしまう事象を自分で生み出してしまうんです。でも自分の心にウソをつきたくないので、相手には好意を伝えます。胸に秘め事をするのは心の安寧に良くないです。合理的に考えて。

めっちゃ矛盾してませんかこれ?頭のいい人これ説明してくれませんか?僕を論破してほしいです。頭が良くておしゃクソな女の子に論破されたら大好きになってしまいます。いや、ちょっと待て大好きになっちゃいけない。心が安寧でなくなる。

やっぱり僕はめちゃくちゃ感情で動く人間なわけです。感情でしか動いてないんじゃないかってくらい。


続く。


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