『コミカライズ魂』〈はじめに コミカライズって何だ?〉

〈註〉このノートは、有料マガジン『コミカライズ魂』に収録した文章のうち「はじめに」を無料公開したものです。『コミカライズ魂』は正味の文字数が17万字、新書判換算で325ページほどの分量があります。第1章〜第11章までを100円で分冊販売していますが、全文をまとめたマガジン(800円)でご購入いただくとお得です。なお、「おわりに」はマガジンでしか読めません。

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はじめに コミカライズって何?

 コミカライズという言葉を目にするようになったのは、いつの頃からでしょう?
 映画やテレビドラマの小説化を意味するノベライズいう言葉がありますが、この言葉にあやかって作られた造語であることは、まず間違いありません。でも、気になってしかたがないので、ちょっと調べてみることにしました。
 オンラインの統合辞書サイト「JapanKnowledge」で検索してみると、コミカライズという言葉が掲載されているのは「デジタル大辞泉」(小学館)と「イミダス2018」(集英社)の二つだけ。いずれも「小説やドラマなどを漫画化すること」と説明されています。「イミダス」では「comic+novelizeからの和製語」とも説明されていました。
「デジタル大辞泉」はオンラインのデジタル国語辞典で、随時、新語が登録されています。また「イミダス」も、年度版で新語が追加されていきます。しかし、更新ペースの遅い紙の百科事典や国語大辞典では、コミカライズという語が見当たりません。これを見ても、コミカライズがまだ新しい言葉であることがわかります。
 次に、新聞でコミカライズという言葉が使われるようになった時期を調べるため、新聞記事データベースを使ってみました。検索したのは、朝日、読売、毎日、産経の各新聞と、共同通信社と時事通信社のデータベースです。
「コミカライズ」という検索語で記事がヒットしたのは、朝日、読売、産経の3紙だけ。毎日新聞と共同通信社、時事通信社では、コミカライズという言葉が使われた履歴がありませんでした。
 新聞記事データベースを調べた結果、コミカライズが初めて新聞に登場したのは、2004年11月24日付け読売新聞夕刊の書評欄に掲載された「人気小説続々コミック化 活字の元気、漫画に活力」という記事においてであることが判明しました。記事を書いたのは、読売新聞でマンガやサブカル関連の記事を多く手がけている石田汗太記者。記事の内容は、芥川賞受賞作やベストセラー小説が次々とマンガ化され、ヒットを記録しているというものでした。
 朝日新聞にコミカライズという言葉が登場したのは、4年後の2008年9月10日。この日の朝刊に掲載された「映画で企画、漫画をつくる 『コミカライズ』が隆盛」という記事が最初です。
 これらの新聞記事では、コミカライズという言葉は、ノベライズが映画やドラマの小説化全般を示しているのと同様の、映画やドラマのマンガ化全般を示す用語として紹介されていました。これは「デジタル大辞泉」や「イミダス」と同じです。
 コミカライズという言葉を広義の意味で捉えるなら、これでかまわないでしょう。
 でも、昨今のオタク向けマーケットで使われているコミカライズという言葉は、より狭い意味で使われているのではないでしょうか。実際のところ、コミカライズ化の対象とされている作品は、テレビの特撮番組やアニメが大半です。
 さらにいえば、昨今のオタクマーケットで語られているコミカライズ作品は、1960年代後半から70年代あたりに発表された特撮番組やアニメをマンガ化したものが中心になっている印象も受けています。40代から50代の男性が子ども時代を懐かしむツールとして、コミカライズ作品に言及しているように感じられるところがあるのです。
 こんな風潮を反映してなのか、近頃、ぼくのところにも、コミカライズに関するインタビューや取材の問い合わせが多く来るようになりました。自分では、さほど意識したことはなかったのですが、マンガ家としてのデビュー作が『仮面ライダー』だったせいで、中高年オタクの世界では、代表作『ゲームセンターあらし』の作者としてよりも、コミカライズ作家のひとりとして認識している人が多いことが、インタビューなどの問い合わせが増えた理由のようです。
 確かに手がけた作品を思い浮かべてみても、石森プロ在籍中に描いた石ノ森章太郎先生の原作作品だけでも、『仮面ライダー』『仮面ライダーV3』『仮面ライダーX』『仮面ライダーアマゾン』『仮面ライダーストロンガー』『人造人間キカイダー』『秘密戦隊ゴレンジャー』『がんばれ!! ロボコン』『ロボット110番』『さるとびエッちゃん』『星の子チョビン』と10作以上もあります。
 石森プロで最後の仕事になったのは、NHKで放映された人形劇『真田十勇士』(原作=柴田錬三郎、キャラクターデザイン=石ノ森章太郎)のコミカライズでした。
 石森プロを離れ、すでに『ゲームセンターあらし』などのオリジナル作品が主体になっていた頃になっても、『新・仮面ライダー(スカイライダー)』『仮面ライダー・スーパー1』のコミカライズを担当しました。デビュー作の『仮面ライダー』を描かせてもらった「テレビマガジン」(講談社)からの依頼とあらば、さらには石ノ森章太郎先生の原作作品とあらば、断る理由も見つからなかったからです。
「テレビマガジン」では、NHKで放映されたSFアニメ『キャプテン・フューチャー』(原作=エドモンド・ハミルトン)もコミカライズしています。
 石ノ森章太郎先生の原作作品では、『快傑ズバット』(冒険王)のコミカライズも担当し、同じ「冒険王」では、あのマーベルと東映が手を組んで製作した日本版『スパイダーマン』のコミカライズも手がけています。
「これもコミカライズだったか!」と自分で思ったのは、ウィキペディアで「すがやみつる」の項目を見ていたときのことです。「月刊少年チャンピオン」で「劇画ロードショー」という映画のコミカライズ作品が連載されたことがあり、そこで『ベン・ハー』や『続・猿の惑星』などの映画5作をマンガ化したことがあったからです。映画を原作にしたこれらの作品も、広義でのコミカライズといえそうです。
 ウィキペディアの「すがやみつる」の項では、本人も忘れていた『ネスコタン』(原作=河島治之)というアニメ企画のコミカライズも見つけました。
 これらのコミカライズ作品があったからこそ、『ゲームセンターあらし』をはじめとする多くの児童マンガを描くことができたのは間違いのないところです。しかし、大半のコミカライズ作品は、どんなストーリーだったかさえ記憶にありません。いつも締切に終われ、月産300〜400ページも描いていたせいで、ひたすら原稿を完成させることに追いまくられていたせいでしょう。
 最近になって驚いたことは、マンガ家志望者の中に、特定の特撮番組やアニメ作品の「コミカライズをするのが夢」という人が増えていることです。
 若いマンガ家志望者からコミカライズ作家を志望していることを聞いたときは、唖然となりました。
 というのも、ぼくが『仮面ライダー』などを手がけていた頃のコミカライズといえば、オリジナルマンガが描くだけの力量がない新人マンガ家や、ピークを過ぎて仕事が減ったベテランマンガ家が担当するものと見なされていたからです。つまり、コミカライズは、マンガ家からも編集者からも、「二流の仕事」と見なされる傾向があったのです。
『仮面ライダー』や『がんばれ!!ロボコン』などのコミカライズ作品を多数手がけていた頃は、「テレビもの」は早く卒業して、オリジナル作品を描くのが夢でした。その目標に向けてのステップボード(足がかり)がコミカライズでもあったのです。
 正直なところ、コミカライズ作品の大半は、「原稿料をいただきながら勉強させていただいている」という意識で描いていました。そして、一日でも早くコミカライズの仕事から「足を洗う」ことばかり考えていたものです。ですから、たまに、「すがや先生の『仮面ライダー』、最高でした!」なんてことを言う人に会うと、申しわけなくて申しわけなくて、心の底から穴があったら入りたい気分になったものです。
 もちろん、コミカライズの仕事に誇りを持ち、全力で取り組むマンガ家もいます。オリジナルだろうがコミカライズだろうが、同じように全力で描かなければ読者に失礼だとも思います。
 しかし、ぼくがコミカライズを数多く手がけていた頃は、まだまだ半人前という意識がずっとありました。それがコンプレックスになっていたのも、まぎれもない事実です。
 だから、ぼくが描いた『仮面ライダー』などのコミカライズの旧作が復刻出版されても、内容を読み返すことができないまま、ここまで過ごしてきました。怖くてページを開くことができないのです。
 それでも恥を忍んでこんな本を書こうと思ったのは、京都精華大学というマンガを教える大学の教員として、あるいは日本マンガ学会の会員として、また、少し前には文化庁メディア芸術祭マンガ部門の審査委員として、多くのマンガ家やマンガ研究者、マンガファンの皆さんに接するうちに、コミカライズの仕事についても記録を残しておく必要があると考えるようになったからです。
 石森プロでコミカライズ作品を手がけていた頃のことは、『仮面ライダー青春譜』という本で、石ノ森章太郎先生との交流を中心に書いています。一部重複するところもありますが、本書では、コミカライズの歴史やぼく自身のコミカライズ体験、そして、ぼくが描いたコミカライズ作品について、あれこれ書き起こしてみました。ただし、研究書ではなく読み物として記述しています。50歳を過ぎてから大学に入り、大学院の修士課程で研究の方法学んできた身としては、他の研究者の皆さんの役に立てるよう、しっかり調べて書きたいところです。けれども、大学教員として毎日が多忙で、また、久しぶりにマンガの原稿を描いていたときでもあったため、そこまでの時間は取れませんでした(大学教員は、まもなく定年になるので、あらためて、自分が関わったマンガの歴史などについても研究してみたいと考えています)。
 そのようなわけで、まずは、日本におけるオタクカルチャー黎明期の〈記憶の一部〉として、本書を読んでいただければさいわいです。

 2019年1月

                           すがやみつる


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