第7章 『仮面ライダーV3』と映画のコミカライズとオリジナルと

 1 『仮面ライダーV3』の登場で大あわて

『仮面ライダー』のマンガや商品化の仕事に追われた1972年が終わり、73年に入ると新しい事態が待っていました。71年4月からつづいていた『仮面ライダー』が73年2月で終了し、新たに『仮面ライダーV3』がスタートすることになったのです。
 ぼくは引き続き「テレビマガジン」「冒険王」「別冊冒険王・映画テレビマガジン」で、『仮面ライダーV3』の連載を担当することになるのですが、72年の年末から73年の年始にかけての頃は、まだ残っていた『仮面ライダー』関連の仕事で、暮れも正月もない状態でした。
 それでも1月2日だけは仕事は休みにしました。毎年、この日は、石ノ森先生のお宅で新年会があり、先生のマンガ家仲間の先生や出版各社の編集者、そして、スタッフやぼくたちのような石森プロの関係者、さらには石森章太郎ファンクラブの会員までもが集まって、昼過ぎから深夜まで、ずっと宴会がつづくのです。
 夜遅くになると、いまテレビのバラエティで大活躍の梅沢富美男さんも、お兄さんの梅沢武生さんと一緒に、正月公演の扮装のまま駆けつけてきたりしていたものです。
 梅沢さん兄弟と石ノ森先生のご縁は、不思議なものでした。東京の北区十条で大衆演劇を上演する篠原演芸場で、石ノ森先生のマンガ『佐武と市捕物控』が無断で上演されているとの情報が石森プロに入り、問題視されました。当然、著作権法違反ということになります。大衆演劇の世界は、そうしたことに無頓着だったのでしょう。その『佐武市』を上演していたのが梅沢武生劇団だったのです。
 石森プロが抗議をすることになったのですが、その過程で石ノ森先生夫人のお母さまが梅沢劇団のファンで、梅沢武生さんたちとも懇意であることがわかります。そのご縁で梅沢さん兄弟がお詫びに来て、『佐武市』の上演についても、「まあ、いいんじゃないの」ということになったようです。石ノ森先生には、そんな鷹揚なところがありました。
 そんなご縁から、梅沢さん兄弟も新年会の常連になったとか。芝居が跳ねた後、『佐武市』の扮装のまま新年会にやって来たこともありました。
 梅沢さんたちがにぎやかにお酒を飲む横で、ぼくは寝こんでしまったことがあります。石ノ森先生から高級ブランデーをすすめらて飲んだら、これが美味しくて、調子に乗ってお代わりしていたら、すっかり酔っ払ってしまったというわけです。
「すがやは疲れてるんだ。寝かせといてやんな」
 薄れる記憶のなかで、そんな先生の声が聞こえてきたのを憶えています。
 その直後に『仮面ライダーV3』のコミカライズがスタートすることになります。
 スタートしたのはいいのですが、ここで大問題が起きました。『仮面ライダー』のコミカライズでは、石ノ森先生自身が描いた『仮面ライダー』があったので、それをお手本にすることができました。コマ割りから構図まで、見よう見まねで描いていたといっても過言ではありません。むずかしいアクションシーンも、石ノ森先生のライダーを真似ればよかったのです。
 ところが『V3』については、石ノ森先生はマンガを描かないことになっていました。先生が関わるのは最初の設定づくりとV3や敵となるデストロン怪人のデザインのみだといいます。青ざめたぼくは、しかたがないので『人造人間キカイダー』で参考にしていたアメコミを徹底的に真似ることに決めました。

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