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小説『シンクロガールは十八歳』(2016年度京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコース 公募制推薦入試 小説さし絵試験問題)

 2015年秋に実施された京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコース公募制推薦入試「小説さし絵」の試験問題です。

〈掲載にあたっては、京都精華大学入試チームの確認を得ています)

〈問題〉

 次の小説の抜粋を読んで、「絵になる」と思えるシーンをカラーのさし絵にしてください。

 さし絵を描く際、以下の条件を守ってください。

1)絵は、三人の登場人物と、その状況がわかる構図にしてください。
2)登場人物の全身の動きと表情がわかるように描いてください。
3)子犬も描く場合、犬種は問いません。
4)問題の内容についての質問は、いっさい受け付けません。
5)さし絵を描くA4用紙は「縦位置(縦置き)」で使うこと

〈問題文〉

『シンクロガールは十八歳』

「きゃあーっ!」
 突然、背後から女性の悲鳴が聞こえてきた。勇太が急ぎ足で大川にかかる橋を渡り終えたときのことだ。
 あわてて振り返ると、ひとりの女性が落下防止用の鉄製の欄干(らんかん)につかまり、川面に向かって叫んでいるのが見えた。
 たくさんの自動車が女性の背後の車道を走っているせいで、女性の声もかき消されがちだが、間違いなく叫んでいる。
「メグちゃん~っ!」
 排気音の隙間から届いた声は、そう聞こえた。
 女性の年齢は五十歳くらいか。毛糸の帽子をかぶり、暖かそうなジャケットを着た小太りの女性が、いまにも落下しそうなほどに、欄干から上半身を乗り出していた。
 大川の川幅は約一〇〇メートル。橋から川面までは二〇メートルほどの高さがある。
 川は、水量が豊かで、その流れはボート競技ができるほどにゆるやかだった。
「メグちゃん、メグちゃん~っ!」
 またも女性が叫び声をあげる。
 橋も幅が広く、二車線の車道の両側に歩道が走っている。女性が身を乗り出して絶叫しているのは橋の南側の中ほど――下流に面した歩道の欄干だった。
「誰か、助けてーっ!」
 女性の悲鳴が、さらに高くなった。
 ――子どもでも落ちたのか?
 勇太は、女性のところに駆けつけようかと思ったが、すぐには足が動かなかった。
 勇太のフルネームは田所勇太(たどころゆうた)。この先にある私立大川学院高校に通う二年生だ。いまの時刻は午前八時二十五分。ホームルームの開始時刻までは五分しかない。学校までは早足で歩いても四分はかかる。ここで後もどりしていたら間違いなく遅刻だ。
 担任の教師は遅刻に厳しく、二回の遅刻で一日の欠席扱いになる。しかも水の入ったバケツを両手に持たせて廊下に立たせる体罰を加えるのだ。
 いまどきのマンガにも出て来ない時代錯誤の体罰が、勇太の通う高校では許されていた。スポーツが盛んで学校全体に運動部気質が強く、父兄もスパルタ教育を容認していたからである。
 陸上やサッカー、ラグビー、柔道、バレーボール、体操といった競技で国体やインターハイに出場する生徒が多い学校で、勇太は数少ない帰宅部所属生徒のひとりだった。授業が終われば、さっさと家に帰り、ゲームをするかイラストを描くかの毎日だ。将来の夢は、ゲームやラノベのキャラクターをデザインすることだった。
 近視で分厚いレンズのついた眼鏡をかけ、ブレザーの制服に身を包んだ勇太は、絵に描いたようなオタク少年で、スポーツが大の苦手だった。
 もちろん筋力だってない。いま、あの女性を助けにいっても、引き止められる自信などカケラもなかった。
「きゃあああ~~っ!」
 女性の叫び声が悲鳴から絶叫に変わった。
 女性の背後に走る車道には、切れ目なく自動車やバイクが通行しているが、一台として止まってくれる気配はない。
 ――もう行くしかない!
 自分に何ができるかはわからなかったが、とにかく、あの女性を捕まえなければ川に落ちてしまう。
 勇太は、持っていたカバンを歩道に放り投げると、必死に女性に向かって走った。
 ほんの五〇メートルもないのに、すぐに息が切れ、足がもつれた。運動に縁のない日常を送っているせいだ。
「おばさん、どうしたんですか?」
 よれよれになりながら歩道を走った勇太は、欄干から身を乗り出す女性に声をかけた。
「お、おばさん?」
 急に女性が振り返って勇太を見た。青ざめていた顔の色が、一瞬のうちに真っ赤になっている。言葉にしてはいけないことを言ってしまったらしい。
「誰に向かって、おばさんなんて言ってるのよ?」
 ニットの帽子から覗く髪は明るい茶色。顔の化粧も濃く、爪にはきらびやかなネイルアートがほどこされている。着ているコートもブランドもののようだった。でも、年齢は四十台後半から五十台前半なのは間違いない。若づくりはしているが、厚化粧をしていても目尻や頬のシワは隠しようがなかった。
 女性は、勇太の本質を突いた呼びかけに傷つき、怒ってしまったらしい。でも、いまは、そんなときではないはずだ。
「す、すみません。それよりメグちゃんって?」
 勇太の言葉にハッとなった女性が、また、欄干から上半身を乗り出した。
「あ、あそこにメグちゃんが!」
 女性が指さした川面を見ると、一匹の子犬が浮いているのが見えた。ゆるやかな流れのなかで、いまにも溺れそうに暴れている。
「散歩していたら、トラックが鳴らしたクラクションに驚いて、ここから飛び出してしまったのよお!」
 女性は、目尻に涙を浮かべながら叫ぶと、不意にきりっとした顔にもどり、自分の両手で勇太の両手を握り締めた。
「あなた、男の子でしょ? あの子を助けて! メグちゃんを!」
「ええっ? ぼ、ぼくが?」
 勇太は、顔面が蒼白になるのがわかった。勇太は、カナヅチで、まるで泳げなかったからだ。しかも、川面までは二〇メートルはある。この高さから飛び込んだら、水面に叩きつけられて死んでしまいそうだった。
 チリリリン!
 激しく自転車のベルが鳴らされたのは、そのときだった。
「邪魔よ、邪魔よ! どいて~っ!」
 声のする方向を見ると、ひとりの女子高生らしき少女が、腰を浮かせて全力で自転車を漕ぎながら、歩道を突進してくるのが見えた。この歩道は自転車の通行もOKだった。
「どいて」と言われても、勇太は、すぐには反応できなかった。両手を女性に握り締められていたからだ。女性の手には、絶対に逃がすまいとするのか、ものすごい力が込められている。勇太の力ではビクともしなかった。
「何よ~! 通行の邪魔して~っ!」
 少女が叫びながら自転車の急ブレーキをかけた。
 キキキキ~ッ!
 甲高いブレーキ音が響かせながら、少女が自転車を横にして急停止させた。
「あ、泉さん!」
 勇太は、思わず声に出した。
 長い髪をツインテールにして、同じ高校の制服――女子はブレザーとチェックのスカートにハイソックスだ――に身を包んだ女子高生は、三年生の泉由香里(いずみゆかり)。ジュニアオリンピック日本大会でも優勝したことのあるシンクロナイズドスイミングの選手だ。
 体育大学への推薦入学も決まっていて、将来のオリンピック選手の呼び声も高い。だからといって、それをひけらかすわけでもなく、いかにも体育少女といったサバサバとした性格で、同級生や下級生にも人気の高い生徒だった。
 実は勇太も、由香里を遠くから見て、ひそかに憧れていたのだが、もちろん憧れるだけで、何もできるわけではない。勇太にできることは、由香里に似せた美少女のイラストをクロッキー帳に描くことくらいだった。
 シンクロナイズドスイミングの選手は、高校生でも試合のときには、超ハイレグの水着姿で髪をひっつめにして、濃い化粧をする。新聞や雑誌で紹介されるのは、そんな姿ばかりだったので、学校にいるときの由香里とは別人のように見える。勇太は、化粧っけのない由香里の清楚な顔も好きだった。
 でも、清楚なのは顔だけで、言葉づかいやふるまいは、まさに運動部バリバリだ。悪くいえばガラッパチだった。
 そのとき勇太は、ふと気づいた。
 由香里は、シンクロの選手だ。つまり泳ぎは得意なはずだ。もしかしたら……と思ったが、いくらなんでも、ここから川に飛び込むのは無理にちがいない。
「わたしのメグちゃんが流されちゃったのよおっ!」
 女性が、たじろいでいた勇太の手を放して、川面を指さした。
「えっ?」
 由香里は、女性が指さした川面を見て、一瞬のうちに状況を把握したらしい。
「つまり、あの子犬を助けてほしいってこと?」
「そ、そうなの……」
 女性が鳴き声で訴える。
「なぜ、きみが助けてあげないの?」
 由香里が勇太の顔を見た。
 ――泉さんが、ぼくを見てる……!
 正面から顔を見られるなんて、初めてのことだ。しかも顔と顔の距離は五〇センチと離れていない。おまけに目を覗き込まれている。
 ――ああ……!
 勇太は絶望しながら目を伏せた。
「すみません……。ぼく、泳げないんです……」
「あちゃー!」
 由香里は、右手で自分の顔を覆ってのけぞった。「つまり、あたしが助けなくちゃいけないわけね」
「え?」
「え?」
 勇太と女性が同時に声を出す。
「ええい! こうなったら遅刻も何のそのよ!」
 由香里は、叫ぶと同時に、ブレザーの衿に手をかけた。
「ひゃっ!」
 勇太は、思わず情けない声を出した。目の前で由香里がブレザーを脱ぎ、その下のブラウスのボタンまではずしはじめたからだ。
「えええ……? あんた……?」
 女性も目を丸くする。
 反対に勇太は目を閉じた。由香里が下着姿になろうとしていると思ったからだ。
「ばかっ! いくら下級生でも、男の子の前で下着姿になったりするわけないでしょ!」
 由香里の声に勇太は目をひらいた。
 バサッ!
 由香里は、ブラウスを脱ぎ捨てたと思ったら、スカートとスニーカーとソックスまで一気に脱ぎ捨てた。
 次の瞬間、由香里は欄干の上に駆けあがり、そこに立ち上がった。もちろん下着姿なんかではない。制服の下に着ていたのは、ハイレグの競泳用水着だった。
「今日は一時間目から練習なので、面倒だから家で水着を着てきたのよ」
 由香里は、そう言うなり、欄干を蹴って、眼下の川面に向かってジャンプした。
「あああ……」
 勇太と女性が見送る視線の先で、両手を頭の前に伸ばした由香里は、指の先から水面に飛び込んだ。
 チャポン!
 かすかに水音が聞こえた。
 水しぶきも、ほんの少し。飛び込み選手の着水のような鮮やかさだった。
「え……?」
 小さな波紋の浮いた川面を見て、勇太は不安になった。五秒が過ぎても一〇秒が経過しても、由香里が浮いてこなかったからだ。
「ま、まさか……?」
 隣で欄干につかまって見ていた女性も不安そうな声を出す。
 由香里が水面に顔を出したのは、二〇秒ほどが過ぎた頃だった。
 その位置は、飛び込んだ位置よりもずっと下流で、子犬のいるところまでは三〇メートルほどの距離だった。
 顔を出した由香里は、みごとな抜き手で泳ぎ、子犬を抱き上げた。
「メグちゃん、メグちゃん!」
 女性が涙と鼻水を流しながら喜びの声をあげる。
 勇太は、いま、至近距離で見た由香里の水着姿を想い出して、頭がクラクラし、失神しそうになっていた。

(未完)


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