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小説『生還』(2014年度 京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコース 公募制推薦入試問題)

 2013年秋に実施された京都精華大学マンガ学部マンガ学科キャラクターデザインコースの2014年度公募制推薦入試「小説挿絵の実作」試験問題です。

(公開にあたっては京都精華大学入試チームの確認を得ています)

■試験の内容

 次の小説を読んで、絵になりそうなシーンを選び、A4サイズの画用紙に挿絵(さしえ)として描いてください。用紙は「縦置き」に限ります。場所や時刻がわかるような背景の描き込みも忘れないでください。
 使用できる画材は、指定されたものだけです。
 絵を描き上げた後、完成した作品のセールスポイントを原稿用紙に記入してください(300~400字)。苦労した点、工夫した点などを書いていただいても構いません。

■問題文

 『生還』

「きゃああ~~っ!」
 夕暮れのバス停でスマホを操作していたとき、甲高い女性の悲鳴が耳に飛び込んできた。
 同時に大型自動車のブレーキ音が轟く。
 顔を上げたぼくが見たものは、目の前の車道に飛び出した小さな男の子だった。その前に転がるサッカーボール、そして、男の子の向こうから迫る大型トラック――。
 一瞬、時間が凍りつき、何もかもが静止して見えた。
 ――危ない!
 と思ったのかどうかも記憶にない。
 気づいたときには歩道の敷石を蹴り、車道に向かって駆け出していた。
 右手からトラックが迫る。視界を覆うような巨大な魔物となって、ぐいぐいと迫る。
 反対側の車線に車はいない。ぼくは、そちらの方向に両手で男の子を突き飛ばした。
 男の子が反対側の車線に転がる。
 だが、ぼくは、間に合わなかった。
 ちらりと見えたトラックの運転席で、運転手が両目を見ひらいているのが見えた。
 ――もうだめだ!
 ぼくは目を閉じた。
     * * *
 ――ん……?
 跳ね飛ばされるのを覚悟していたのに、何のショックも感じなかった。
 恐る恐る目をひらくと、ぼくは闇の中にいた。それもただの闇ではない。色とりどりの光が下から上に流れている。
 いや、光が流れているのではない。ぼくは、深い闇の中をどこかに向けて落ちていた。
 でも、高速エレベーターで下降するときのような、あるいはジェットコースターで急降下するときのような落下の感触はない。経験はないが無重力の宇宙空間を高速で移動したらこんな感じになるのではなかろうか。
 たぶん下に向けて落ちているのだろうとは思うが、途中で、その方向感覚も怪しくなってきた。方向感覚だけではない。時間の感覚もだ。
 ふと気づくと、闇の中を落下しているのは自分だけではなかった。前にも後ろにも、右にも左にも、そして上にも下にも、多数の男女が落ちているのが見えた。
 子どももいれば大人もいる。若い人もいれば老人もいた。
 ――いったい、どこへ行くんだ……?
 そう考えたとたん、周囲が目映い光芒に包まれた。
「わっ!」
 思わず声をあげたのは、突然、現れた床に尻もちをついたからである。
 周囲にいたはずの多数の男女は、いつのまにか姿を消していた。
 そこは、磨き込まれた大理石のようなつるつるの床だった。直径三メートルほどの円形で、何かの台座のようでもあった。
 周囲はごつごつした岩肌になっている。どうやらここは地底の洞穴らしい。
「岩倉ヒカル。十八歳。京都市内に在住の高校三年生です」
 ふいに前方の少し高いところから声が降ってきた。男の声だった。
 顔を上げると岩肌を削ったとおぼしき椅子に、五人の男女が腰かけているのが見えた。
 椅子は、肘掛けと高い背がついている。
 五人の真ん中に座るのは長いヒゲで顔をおおった男性で、頭には冠のようなものを載せている。僧侶の着るような豪華な衣裳に身を包んでいるが、肘掛けに置いた手に頬をのせ、いまにも居眠りしそうな雰囲気だった。
 その両側には、白装束に身を包んだ若い女性が座っていた。まったく同じ顔をした長髪の女性で、冷たい目でぼくを見つめている。
 さらにその左右には、これも長髪の中年男性がひとりずつ。やはり白装束に身を包んでいた。「岩倉ヒカル」と、手にした紙を見ながら名前を呼んだのは、向かって右の男性だった。
「彼、岩倉ヒカルは、トラックに轢かれそうになった小さな男の子を助けようとして、そのトラックに跳ねられ、即死しました」
 紙を持つ男性が、そこに書かれているらしい文章を読み上げた。
 ――トラックに跳ねられて即死……? 誰のことだ?
 ぼくは、頭の中がパニックになりかけていた。
「彼は、ヒロイックな行動を取ることで、マスコミなどに採りあげられ、有名になることを目論見ました。なぜならば、彼は内申書の成績が悪いため、いまのままでは志望している大学への推薦が受けられそうになかったからです。英雄的行動を取り、有名になれば、彼が通う高校の名声も高まります。そうなれば高校としても内申書の成績を上げざるを得なくなる……と考えての行動でした」
 紙を持つ男が文面を読み上げていくと、横から女性のひとりが割り込んだ。
「それくらいなら若気の至りでいいんじゃないの? 地獄に落とすまでもないのでは?」
 ――地獄……?
 ぼくは、ますます頭が混乱した。もしかしてぼくは本当に死んでいて、死者が地獄に行くかどうかを決める閻魔大王の裁判にかけられているというのか……? だとすると、いま、退屈そうに鼻の穴を右手の小指でほじっている真ん中の人物が、かの閻魔大王だというのか……?
「ところがです」
 右端の男が紙に目を落としたまま言葉をつづける。彼が持つ紙には、ぼくの罪状が書かれているらしい。
「彼、岩倉ヒカルは、英雄的行為を演出するため、男の子がトラックの前に飛び出るよう、男の子が持っていたサッカーボールを奪いとって、車道に向かって投げたのです」
「うそだ!」
 ぼくは反射的に叫んだ。
「地獄の門番に向かって、何てこと言うの!」
「この子、自分のしたことがわかっていないらしいわね?」
 ぼくの声を聞きとがめた二人の女性が、立てつづけに言葉を発した。
「だって、そうじゃないか。そもそも、ぼくの名前は岩倉ヒカルなんかじゃない。石倉ヒカリというのが正しい名前だ!」
「ええっ?」
 紙を持っていた男が、あわてて紙に目を落とした。
 あわてていたせいか、男は、一瞬、手から紙を落としそうになり、あわててつかみなおした。
 そのとき紙面がチラリと見えたが、写真のようなものはなかった。手書きらしい乱雑な文字が並んでいるだけだ。
「確かに、ここには岩倉ヒカルと書かれています」
「ちっ、また人ちがいか。今日は、これで三人目ではないか」
 閻魔大王が舌打ちをしながら言った。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ぼくの身体は目映い光芒につつまれた。
    * * *
 甲高いブレーキ音とタイヤのスリップ音が響き、大型トラックが急停止した。
 ぼくの両脚がバンパーの下に潜り込んではいたけれど、ぶつかってはいない。ただ、アスファルトに膝を打ちつけ、掃いていたジーンズの膝がすりむけていた。
 トラックの下から這い出すと、サッカーボールを抱いた男の子が、目を見ひらいたまま立っていた。どうやらケガはなかったらしい。
 よかった。ぼくは、心の奥底からホッとした。地獄の門番が、ぼくの名前をまちがえていなければ、あのまま無実の罪で地獄に落とされていたかもしれないからだ。
 でも、一〇〇パーセントの無実だったかというと、ちょっと自信がない。ぼくは、わざと男の子を危険な目にさらすようなことはしなかったけれど、反射的に車道に向けて飛び出した瞬間、〈勇気ある行動〉をしたぼくがテレビの画面に映っている姿を思い浮かべていたからだ。
「ありがとうございます。ぜひ、お名前を……」
 いつのまにか悲鳴をあげた女性が男の子を小脇に抱えて立っていた。女性は男の子の母親だったらしい。
「いえ、名乗るほどのものではありません」
 ぼくは、急いで立ちあがると、駈け足でその場をあとにした。

(おわり)


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