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自分の人生を "実験" だと割り切った

私は、何かが起き、自分の何かで何かが変化し、その瞬間から世界の見え方が変わる、という経験を何度もしてきた。新しい眼鏡で世界を見る最初の瞬間が、本当に幸せだ。自己変容が、趣味なのだ。周りにも、同じ嗜好を持った人たちが結構多い。

一方で、生まれてから死ぬまで何も変わらず、淡々と生きている人たちと出会うこともある。彼らに言わせると「自己変容とか意味なくない?そのままでいいじゃん」と思うらしい。私の「自己変容」は、「ありのままに戻る」という意味合いが強いので、何もせずともありのままで居られている彼らには、そんなもの必要ないのだ。ごもっともなコメントである。

私は、今世で徳を積む

とある人が、自己変容が必要ない彼らのことを「徳が高い人」と称していたが、私にとってもしっくりくる表現だったので取り入れさせてもらった。

今から10年前くらいに、「魂年齢」というものがあるのではないか?と、ふと思ったことがある。理由はシンプルで、めちゃくちゃ大人なティーンエイジャーがいたり、めちゃくちゃ子供な60歳のおじさんがいたり、現世の年齢が一切「大人度の指標」として意味をなしていない場合が多いことに気付いたからだ。

自分のネガティブな感情をコントロールする際にもこの考え方は非常に便利だ。「なんでこの人は私よりも10年も長く生きているのにこんなこともわからないの!?」という類の問いが、生まれなくなる。どんな年齢の人のことも、ただの人間にしか見られなくなるのだ。

そんな話は余談だが、とにかく私は、今世は徳を積むのが良さそうだ、と感じている。こんなにも「変容欲」があるのだから、そうに違いないという、直感。

テストマーケティング的人生?

といっても、別に、辛いことだけやり続けるべき感じもしない。それが辛いことなのか嬉しいことなのかという指標ではなく、「面白そうか」「楽しそうか」という軸で、ただひたすら「心が動くこと」を、ひたすらやってみたい。人体実験だ。

新商品を売り出すときも、「テストマーケティング」をまずやってみることが多い。市場に需要があるかどうかをチェックするために、小さな規模でまず売ってみる。まぁ、一言でいうとそんな感じに生きたい。色んなデータベースをこの魂(笑)に溜めて、次の方に回したい。現世の行動でいうと、自分が人体実験してみたことを世の中にシェアしていきたい。何か参考になれば良い。

実験でいい。安堵。

「私の人生、実験で良いんだ」と思えてから、肩の荷が下りた気がする。何かゴールに向かいそのプロセスをデザインするだけの人生よりも、心が動くことを色々やってみて、様子をみながらコマを進めていく人生の方が、絶対に楽しい。

そのためには、何が起こるかわからない「恐怖」や「不安」を捨てる必要がが、それは両親がくれた「無条件の愛由来の自己肯定感」のおかげで、元々り持ち合わせていない。

はぁ、これからの人生がどうなっていくか、今この瞬間も楽しみで仕方がない。実験人生、最高である。

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