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受動的な創造性:コミュニティーファシリテーターという在り方/仕事

私は最近、自分の肩書きを「コミュニティーファシリテーター」としている。なかなか聞き取ってもらえないので、「コミュニティーマネージャーみたいなものです」と補足している。しかし、本質的には、この二つの言葉には大きな差があると感じている。なかなか語ることもないので、この肩書きについて私が考えることをここで少し綴ってみようと思う。

理想は、モモ

私の理想は、ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる、モモという少女だ。彼女は、「きく」ことができる。そしてそれにより、その人がよりその人らしくなっていく。

昨年、物語とわたしをめぐる旅~秋の黒姫でモモを語る、二日間という企画のお手伝いをさせていただいた。(この機会をくれた友人の大宮透くんには、本当に感謝している。ありがとう!)その際に、大尊敬する、働き方研究家の西村佳哲さんとご一緒させていただいたが、彼がこの旅を終えてから 『モモ』について自身のコラムにて綴った言葉が本質的なので、引用。

あらためて、すごいヒーローを生み出したものだなと思う。目の前にいる人の話を〝きく〟ことの出来る女の子。動物や、星のまたたきにも耳を傾ける。「この人生でなにを成すか」と言う具合に、意志とその実現を大事にしてきた欧米社会に、本人が「する」というよりまわりの人がすることを「可能にする」、そんなあり方が物語の形で投げ込まれたわけだ。

相手を成長させようとも、変えようともしない。ただ一緒にいて関心を向けつづける。すると互いのなにかが満ちて、自然と次の場所へ進み始める。

私がコミュニティーファシリテーターとして目指したい姿は、まさにこれなのだ。別の記事で、「受け入れる」と「力を与える」のバランスについて綴ったが、こちらも同じで、私はただ、「相手を成長させようとも、変えようともしない。ただ一緒にいて関心を向けつづける。すると互いのなにかが満ちて、自然と次の場所へ進み始める。」感じを目指している。また別のところで西村さんは「受動的な創造性」という言葉を使っているが、相反する言葉が共存するこの感じ…実現したい。

概念的な「在り方」としては、こんな感じだ。まだまだ、相手を誘導してしまったり、関心を向け続けられなかったり、未熟なところはたくさんたくさんある。モモのようになりたい。頑張ろう。

なぜ、"コミュニティー" なのか?

なぜコミュニティーかというと、人がなりたいようになっていくときに、コミュニティーがあるとそうなりやすいと思うからだ。人が変化する(その人らしい姿になっていく)ときに、他者との出会いは大きな役割を果たすことが多いのは、いうまでもない。いわば、コミュニティーは手段。

私は今、WORK STYLINGというシェアオフィスで、ビジネススタイリストという肩書きをもらい、業務委託で仕事をしている。ここで私がやっていることは、会員様とのコミュニケーションの中で、ニーズを傾き、パーソンマッチングをする。イベントやワークショップを通じて、会員様同士が理解し合うきっかけをつくるところまでやらせていただく。最近は、共にイベントやワークショップをつくったり、プロジェクトを始めてしまう場合もある。

不思議なもので、人は一人では、なりたいようになれないことが多いものだ。私は、まずはモモのように、「きく」。(どんなことでモヤモヤしているのかなぁ。その人らしい状態はどんな風かなぁ。)そして、ピンと来たら、繋げる。そして、繋げてからまた、「きく」のだ。そして、「互いのなにかが満ちて、自然と次の場所へ進み始める」のを、待つ。「互い」というのは、私とみなさん。みなさん同士。

もちろん、うおーっと勢いに乗せてプロジェクト化させてしまうときもある。でも、本当にうまくいってるなぁ...と感じるのは、「する」「される」を越えて、自然に、なるようになっていっているときだ。この状態の時は、誰がどんな角度からみても、圧倒的に「イイ感じ」なのだ。会員さんの表情が、みるみる子供のようになっていく。私も、子供のようになっていく。

相手を変えるでもなく、自分が変わるでもなく、影響し合いながら共になりたいようになっていっているこの状態のとき、私は心からの幸せを感じる。

※こちら、私が個人として書いている文章です。

もう少ししっくり来る肩書きが欲しい(笑)

beの肩書き』という著書の話をよく聞くが、『コミュニティーファシリテーター』という肩書きは、それに近いと思う。WORK STYLINGでは「ビジネススタイリスト」というdoの肩書きをもらっているし、日常の中でもいつもこの在り方でいたいと思う。

最近は結局1対1のコーチングもやっていたり、いわゆるファシリテーションと言われているようなこともやっていたりもするので、必ずしも "コミュニティ" という言葉が肩書きに入っている必要もない気がしている。先ほども言った通り、コミュニティは手段なのに、肩書きに入っているのはちょっと変だ。

"ファシリテーター"という言葉も、実はしっくり来ていない。facilitateを日本語にすると、容易にする、楽にする、促進する。英語でも、to make something easier or possibleとなっている。 「受け入れる」とか「きく」要素も欲しいし、自然に、なるようになっていく感や、お互い影響し合ってる感もほしい。。

もっといい名前を…考えていきます。もしいいアイディアがあれば、是非アイディアください。

モモ感を出したいよ!!!
受動的な創造性!!!

以上。

サポートいただいた分は、自己拡張の機会に使わせていただきます。学びや気付きは、noteの記事に綴ってゆきます。