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思い出すことは想うこと byヒグチアイ

最近、ヒグチアイさんというシンガーソングライターの方が、とても好きだ。最新のアルバムのテーマは、「思い出」と「矛盾」だそうで、最近自分が考えていることと重なる部分も多くて、考え事のお供として、たくさん聴いている。秋という、ちょっと切なくて、でも背筋が伸び、力が沸いてくる季節にもぴったり。

そんな彼女の曲の歌詞に出てくる、「思い出すことは想うことだよ」というフレーズが、心に、刺さる刺さる。優しく、刺さる刺さる…。なんでこんなに、刺さるんだろう。このフレーズについて、思うことを書いてみようと思う。

最近不思議に思うこと。まだ一度しか会ったことがないのに、二度目に会うときに、なぜかめちゃめちゃ距離が縮んでいるということがあったりする。今回、3か月振りくらいにオランダに帰ってきたが(今、オランダと日本と両方に拠点を置いて生活している)、数か月振りに会うシェアメイトたちとは、そんな感じだった。家という同じ空間を共にしているから、というのももちろんあるかもしれない。久しぶりに再会した3人とは、会った回数で言うと2~3度くらいなのに、今回で、すごく近い人に感じたのだ。

なんでだろう?と思うと、会っていない間に、「想う」という行為をしていたからだと思う。

私の場合は、普段、ちゃんと意識をしないと、四六時中他者のことを考えてしまう。人生で最初に瞑想をしたときに、もちろん思考が辞められなくてまったく瞑想にならなかったが、自分で気づいた自分の思考の癖は、他者のことを考えまくっている ということだった。しかもそれが、毎日会うような人に限らず、遠い昔の友人である場合も多くて、「●●さん元気かな」、「●●さん、●●するっていったけど、あれからどう過ごしてるかな」、みたいなことを、ひたすら想っているのだ。1分間の間に、平気で10人分くらいについて想ったりしていて、自分でもびっくりした。

今回再会した3人についても、私は、幾度となく想った。そして多分、彼らも、少し私のことを想ってくれていたんだろうと思う。だからこそ、会っていない間に関係が深まったんだと思う。会っていない間は大したコミュニケーションもとっていないのに。

暮らしも自由になって、自分自身も、土の人間でありながらも、多少なりとも移動しながら生活をするようになった。でも、先日アップした、大切な人が増えることは、切なさが増えることという記事にも書いたが、「好きな人とたくさん一緒にいたい」や、「会えないとさみしい」という気持ちは、自分がどんなライフスタイルで生きようと、自分が自分である限り、消えない感情なんだと思う。

会って時間を過ごすことって、どうしても物理的に限りがある。オンラインのやりとりすら、忙しい現代社会の中では限りがある。でも、想うことって、私の場合は、かなり無限大に出来る。(その分、自分のことを考える時間が人より少ない気がするから、最近は意識的に自分にベクトルを向ける時間もとるようにしてるけれども)

だからこそ私は、「想う」ことのパワーを信じて、大切な人を想い続けたいと思う。想っている時間って、私にとっても、とても幸せなのです。他者と共に生きる在り方が、とても性に合っているのです。

こんな素敵なことに気付かせてくれたヒグチアイさん、ありがとう。このフレーズ以外にも、たくさんの気付きをいただきました。こうしてnoteを復活して、「自分」についてもっと知りたい、言葉にしてみたいと思ったのも、ヒグチアイさんのおかげ。いつか会って直接お礼を言える日が来るといいな。ちなみにこの歌詞は、ラブソングという曲に出てくる歌詞です。とっても、美しい曲。



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