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境界線を、ぼかしていきたい

私は昔から、「垣根」や何かと何かを区切る「境界線」というものが、なんだか苦手だ。幼い頃の遊びだと、「はないちもんめ」が、こわかった。わかるかな、この感じ。敵同士が遂になっていて、そこにラインが引かれているものが、生理的にも心理的にも、こわい。


同じ目標に向かう同士なのに、なぜ上下関係がある?

私は、新卒で、名の知れた酒類メーカーに入社した。ビールの新商品開発を担当することになり、先輩と一緒に動き回る日々が始まった。コンセプトを考え、中味を作る開発部隊の方、パッケージデザインを担当するデザイナー、それを売る営業の人、多くの部署の人と一緒に、「良い商品を多くの人に届ける」というミッションで動いていた。私たちの仕事の中には、「営業」も一部含まれていた。開発した商品を、小売店などに置いてもらうために、その商品の魅力を小売店のバイヤーの方々に伝えるのだ。

最初の営業随行の時に「小売の人と私たちはどっちが上とか下とかあるんですか?」と質問をし、「そんなの小売に決まっているだろう。置いてもらえないと売れないんだから」という回答をもらったことをすごくよく覚えている。なぜ、「良い商品を多くの人に届ける」という共通の目標を持っているのに、そこに「上下関係」や、「味方・的」という概念があるのかが、単純に疑問だった。本当に、わからなかった。小さなことだが、私にとっては強烈な体験だった。


くっきりした「線」への拒絶反応

スポーツでも、敵ゾーンと味方ゾーンがぱっきり分かれているものがあまり得意ではない。アイスホッケー、バスケ、サッカーなどは、敵も味方も肌が触れ合うから好きだ。一方で、テニス、バドミントン、、、などは、どうしてもあの垣根が、なんだかこわいのだ。(というか、そもそも自分の中に勝ち負けの概念がないので、チームで何かを成し遂げる以外にチームスポーツをやるモチベーションはないのだが)

服を選ぶ時も、はっきりした線が入っているものはあまり選ばない。ボーダーとか。ネイルも自分でやるが、いつもグラデーション系だ。そもそも、まっすぐな線が、書けない。



内側を守るための「線」や「垣根」

世の中には、「垣根」がたくさんある。「家族」も一つの「線」であり「垣根」なんだと思う。きっと、みんな内側を守りたいから線を作るんだよね。それは、内側の安心感も産む。

でも私には、もう守りたいものも、失いたくないものも、ない。月並みだが、私はどこにいったって私であり、誰もがそうなのだから。内側を守るための線が、いらない。私は、そんな垣根を取っ払って生きたいと思っている。

上下関係も、権力も、敵も味方も、ない世界がいい。

私は、くっきりと描かれた線を、ぼかしていくような、そんな存在で在りたいと思うのです。

夕焼けのグラデーションも、大好きなのです。




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