嵐の思い出

ジャニーズ事務所のアイドルグループ・嵐が活動休止を発表しました。

43歳のおじさんが嵐への思い入れを語ったところでどこにも需要はないと思うのですが、こんなことでもないと書かないだろうと思って書いてみましたので、お付き合いいただければ幸いです。
かなり長くなってしまいましたが、これでも書きたいことの半分以上はカットしてますw

きっかけは妹

きっかけは11歳年下の妹。
20年前、Kinki Kidsのファンだった妹が、ある時からジャニーズJr.のあるメンバーを推すようになりました。
それが櫻井翔君でした。

それからほどなくして、翔君は「嵐」としてデビューすることになり、あのハワイでのデビュー記者会見を妹と一緒に見ました。

当時、僕は24歳。
「あらし?変わった名前のグループが出てきたな。」くらいにしか思っていませんでした。

はじめての嵐コン

はじめて嵐のコンサートを観たのは2001年4月。
「ARASHI SPRING CONCERT 2001」の福岡公演(@マリンメッセ福岡)でした。
僕も10代のはじめから数多くのコンサートやライブに足を運んでいましたが、ジャニーズ、というかアイドルのコンサートを観ること自体がはじめてでした。
来ているのはほとんどが10代後半~20代前半の女性。男性客はほとんどいなかったので、まわりの女の子たちにジロジロと異物を見るかのように見られてたのをよく覚えています。(実際、異物だったんでしょうけど・・・)

10代前半だった妹の付き添いという感じで、まだ積極的に嵐のコンサートを楽しもうという気持ちはなく、また僕も若かったので「ちょっと顔がいいくらいでキャーキャー言われちゃってさ~。」なんて思っていたのですが、実際に見てみると「あ〜、これはキャーキャー言われるに決まってるわ。」と、あっさりと手のひらを返さざるを得なかったのです。

テレビで見るとあどけない顔をした少年だった彼らも、実際に見ると「ちょっと顔がいい」なんてレベルではなく、「美しい」としか言いようのないお姿をなさっていました。
もう、僕のような庶民とは「生き物としての種類」が違う感じw。
コンサートの1曲目が終わる頃には、すっかりファンになっていました。

作品へのこだわり

嵐と言えばバラエティを中心としたテレビでの活躍が多く、一般的にはTOKIO(休止中ですが)や関ジャニ∞のように音楽活動に重きを置いている印象はないかもしれませんが、どのグループにも負けないくらい、作品づくりにはこだわっていたのではないかと思います。

まず、2001年の秋、嵐のプライベートレーベルとしてJ-Stormが発足。
現在はKAT-TUNやHey! Say! JUMPも所属していますが、当初は本当に「嵐のためのレーベル」で、嵐が音楽活動に重点を置くことがここで明示されたのだと思います。

そして、同じく2000年代前半からジャニーズ事務所がスウェーデンの音楽出版社と提携。スウェーデンの作家が手掛ける楽曲を積極的に採用し始めました。
2019年現在では、J-POPにスウェーデンの作家が関わることがとても多くなってきましたが、当時としてはまだ全体的に手探りだったはず。

そんな状況の中で、嵐は特にスウェーデン作家の作品採用に積極的だった印象があり、日本人作家の作品とのバランスをうまく取ることで、楽曲のバリエーションを豊富にしていたように思います。

また、嵐の場合、関わっている作家が一般的にはそれほど有名ではない、というのも特徴なのではないかと。
これは、作家の著名度よりも、作品のコンセプトを重視して楽曲選定をしているということの現れだと思います。

進化していく嵐

嵐のコンサートに行くことは我が家の恒例行事となり、僕も前述の「ARASHI SPRING CONCERT 2001」以降、2013年の「ARASHI Live Tour 2013 “LOVE”」まで、チケットが入手できなかった一部のツアーを除いて足を運び続けました。

コンサートに行くたびに、セット規模が大きく豪華になり、演出が洗練されていきました。
特に印象に残っているのはムービングステージ。
「お~、嵐の足の裏が見えるぞ~!」と言いながら、頭上のステージを見上げました。

コンサートに行くたびに、メンバーの体格が良くなり、歌がうまくなり、ダンスがうまくなり、立ち居振る舞いに風格のようなものが備わってきました。
僕は大野くんのソロパートを観るのが本当に大好きでした。

コンサートに行くたびに、グッズの種類が増え、デザインも品質も良くなっていきました。
特に初期のツアーTシャツなんて、これ一枚じゃ着られないよね?っていうくらいペラッペラだったように記憶していますw

国民的な人気を得るということ

こうして10年以上見てきた中で、最も印象的だったのは客層の変化でした。
前述の通り、デビュー当初のコンサートは10代~20代の女性ばかり。
そんな中で男性客といえば、未成年の付き添いで来た保護者、もしくは嵐が好きな彼女につき合ってしぶしぶ来てる男の子くらい。
みんなが「どうしてたらいいんだろう?」と戸惑いながら、なんとかコンサートの時間をやり過ごしてる感じでした。

これがしばらくすると、コンサートを積極的に楽しもうとする「嵐が好きな男の子」が増えてきました。
ドラマ「花より男子」の放送後くらいだったかと思いますが、メンバーに声援を送り、大声で一緒に歌うような男の子が現れてきたのです。

テレビでの露出も増え、子どもの付き添いで来る保護者も楽しめるようになり、ファミリー席に小さな子どもを連れてくる人も目立つようになりました。そして、演出もそんな幅広い客層がまんべんなく楽しめる内容に変化していきました。

コンサートが決まればホテルが取れなくなる。
コンサート当日になると、街中にグッズを身に着けた人たちがあふれ出す。
国民的な人気を得るというのは、こういうことなんだなと思いました。

こんな風に、下積みの時代から一気に駆け上がっていく5人の姿を見ることができたのは、今振り返ってみると日本のエンターテイメントの歴史の一部を体感したということだったのかもしれないな、と思います。

活動休止に思うこと

突然の活動休止宣言。まず率直にとても驚きました。
しかし、来るべき時が来たな、とも思いました。
そして、活動休止の発端になったのが大野君だったことや、その理由についても、実に彼らしいなと思いました。

ファンクラブ会員向けに公開された動画では、やはり相葉ちゃんのコメントが印象的でした。
5人の中でも「嵐」に対する思いが一番強い相葉ちゃんが、時々言葉に詰まりながらコメントしている姿を見てグッとくるものがありました。

20年間という時間

まだ10代だった5人の少年たちが、30代後半の青年になりました。
まだ10代だった妹が30代に、24歳だった僕が43歳のおじさんになり、それぞれ家庭を持ち、子育てに追われる毎日を送るようになりました。

ごく普通の生活を送っている僕ですら、この20年間いろんなことがありました。
10代で、芸能界という常に人に見られ続ける世界に入っての20年間。
どれだけの悩みや葛藤があったことかと想像しても想像しきれません。
外野がいろいろ言ったところで、本人たちにしかわからないことがある。
それを思うと、彼らが何を決断しようが「ありがとう。お疲れさまでした。という言葉しか出てきません。
ただのいちファンには、それ以上のことが言えるはずがないと思うのです。

偏見をなくしてくれたグループ

顔とスタイルが良ければアイドルになれるんだから、気楽な商売だよな~。

嵐に出会うまでは、そんな風に思っていました。
しかし、彼らがコンサートで歌い踊る姿を見て「顔とスタイルだけではどうにもならないんだ。」ということに気づきました。
テレビで見たってなかなかわからない裏側の努力というものが、生の姿を見るとよくわかりました。

見た目が良いのも、才能があるのも当たり前。
そんな集団の中で頭角を現し、デビューにこぎつけ、そこからさらに競争し続けなければいけない。
どう考えたって「気楽な商売」なはずがないのです。
そんな偏見をなくし、アイドルに限らずエンターテイメントに関わる人たちに対する敬意を持たせてくれたのは嵐だったのではないかと思います。

残り2年のカウントダウン

これまでにいろんなグループやバンドを好きになりましたが、デビューから活動休止までを見届けるのは嵐が初めてです。
しかし、まだ「嵐が活動休止する」という実感がほとんどありません。

またコンサートを観たいな、と思う気持ちもありますが、これまでにも増してコンサートチケットの争奪戦も激しくなるでしょうから、きっともう会場で生の姿を観ることはないのだろうな、とも思います。
僕なんかよりも、もっともっと嵐が好きだという方はたくさんいらっしゃるはずなので、その人たちが正規のルートでチケットを入手できることを切に願います。

まとまりません

とにかく、こんな43歳のおじさんが長々と文章を書いてしまうだけの魅力が嵐というグループにはあったのだ、ということが言いたかったわけですが、文章を書いたり消したり書いたり消したりしているうちに、どうまとめたらいいのかさっぱりわからなくなりましたので、僕の好きな嵐の楽曲ベスト5を紹介して強引に終わりたいと思います。

感謝カンゲキ雨嵐
とまどいながら
PIKA★★NCHI DOUBLE
夢でいいから
Step and Go
truth
FUNKY
Hit the floor


すいません、やっぱりまとめるの無理みたい。

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