ダンテ『神曲』地獄篇第7歌〜お金とは(まとめ)〜

風を切って自転車を漕ぐのってとっても楽しくないですか?! 今日は天気も良く、過ごしやすい気温だったので最高でした♪

ダンテ『神曲』第7歌はこれで終わりにします! 続きは未定です! 今回も案の定ややこしくなってしまったので、何卒ご容赦くださいませ泣


貪欲と浪費の節度

まず「貪欲」という言葉ですが、キリスト教神学ではこれを「節度なき所有愛」と定義しています。また、トマス・アクイナスは著書の中で「貪欲は金銭に対する秩序を逸脱した渇望である。」と表現しました。

では、その「貪欲」と「浪費」という対立したものの中庸(調和的存在)は、何だと思いますか??

われわれが与えたり[浪費]、受け取ったりするの[貪欲]を正しく調節するものが、惜しみなき心である。
〜ダンテ『饗宴(きょうえん)』第4巻17章〜

さて、惜しみなき心、と言いますが、それってなんなんでしょうか。何を惜しまない心なのかなぁと。

惜しみない、という言葉を調べてみると、控えたり、ためらったりしないこと、と出てきました。
えー、浪費をためらわずにしちゃうの??

これは私個人の解釈ですが、惜しみない心とは「私たちが生まれたときの純粋な心」を指すのかなと思いました。

新たな命が誕生するとき、私たちは神聖なものを感じると思うんです。もちろん、生物学の視点から見ればとても現実的な答えになるわけですが…生命の誕生に、「運命」とか「奇跡」とかいう神秘的ななにかを感じるひとって、多いんじゃないかと思います。

(もっと身近な事例だと、私は星座占いとか動物占いとか、なんの根拠もない気がするけど基本いいことは信じるタイプ笑)

私たちは神様から与えられた命を生きているんだと考えると、各々が持つ自己完結的な正義ではなくて、神の視点から見た、何人にも共通する「人として善く生きる正義」を考えることができるのではないかなと思います。

私の考える純粋な心とは、なんとなく、天から照らされた光の当たる心、といったイメージです。その心を持っていれば、貪欲と浪費とを良いバランスに保つことができるのかなと考えました。


金の亡者

物語でウェルギリウスがダンテに言ったように、ここ第4圏に落ちた聖職者たちはみな、節度をもってお金を使うことができませんでした。

私はその理由として、彼らはあたかも自分たちが神であるかのように錯覚してしまい、神から与えられた「人として善く生きる正義」を全うすることができなかったからだと考えています。

(正義って簡単に言いますが、その定義は人によってさまざまな解釈があると思います。でも私はいつでも自分自身に問い続けたい。「今の行いはお前の正義に従っているか?」
そしてこれは社会全体にもそう思いながら生きているかもしれません。例えば、満員電車で痴漢をする人や、静かな図書館で話し続ける人、不倫や浮気をしている人に、私は聞いてみたい。「あなたの正義を教えてください。」と。)

この地獄で自ら重りを転がしている彼らは、「とにかくお金を集めること」が正義だったのかもしれません。それは絶対的な悪ではないから、法律で罰せられるわけではない。けれど、その正義を神様(=生まれたての己の心)はどう思うのかな?と私は考えてしまいます。

余談ですが、ホテルの予約が手違いでセミダブルではなくシングルの部屋になってしまったとき、矢沢永吉さんが「うーん、俺は良いけど、YAZAWAがなんて言うかな?」と仰ったこのYAZAWAは、多分神様的視点なきがします(この例え伝わらなかったらすみません!というかエピソードもうろ覚えなので間違っていたらごめんなさい!!)


貨幣の目的と機能

ではここで改めて、お金って一体何なのか、今一度考えてみましょう。なぜお金がほしいと思うのですか? 「お金がないから」ですか? …その考え方はもしかすると、お金に操られているかもしれません。

アリストテレースは『ニコマコス倫理学』の中で、貨幣の目的と機能について「貨幣はいわば尺度としてすべてを、通約的とすることによって、均等化する」と述べています。

ここに1枚の千円札があったとして、あなたが持っても、私が持っても、はたまた通りすがりの猫が咥えたとしても、それは千円という価値以上でも以下でもないということです。

逆に言えば、お金には、「人間を均等化し、通約化させる機能」があるとも言えます。どんな仕事をしてどんなやりがいがあったのかなどは関係なく、働いた人たちに手渡されるのは無個性な貨幣。お金が、その金額によって私たちの仕事を評価します。

お金がほしいから、働く。それはすなわち、金銭の奴隷になってしまっているということを、この作品を通してダンテは言っています。だから、彼らは地獄で重り(=お金への愛着)をまるで何かの奴隷のように、個性もなく、ただ永遠と転がし続けているのです。または、彼らは自主的にではなく、お金に操られて運ばされているという解釈もできるかもしれません。



いやぁ、お金のためだけに働いていても虚しいだけなんじゃないかなと思ってしまう、今日この頃の私です。

お金はほしいけど、もらうまでの過程に価値を見出しながら、節度を持って使っていけたらいいなと改めて思いました(^^)


それでは、またお会いしましょう*°



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明日もお互い頑張りましょう♪
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奈々絵

大学生。専攻は声楽。歌と読書と芸術鑑賞が趣味。基本的には好きなことを書いてアウトプットの練習してます。 将来的には歌だけでなく言葉で人の心を動かしたい!

ダンテ『神曲』地獄篇(一部)

コメント2件

奈々絵さんおはようございます🌞。ダンテ「神曲」シリーズしばらくお休みですね。またの再開たのしみにしています。お金は天下の回りものという言葉もあるように、蓄財というのはお金の本質的な役割を考えるとあまり勧められたものでは実はない(私も貯蓄はしてますが…)のでしょう。要はその使い方なのでしょうね。お金の奴隷にならないように…、とても戒めになりました。これも以前にレヴューを書いたもので僭越ですが(以前のコメントから私の拙文みていただいたようで、何かスミマセンありがとうでした💗)、サリンジャーの「フラニーとズーイ」の物語中で、長兄シーモアが、「神のために演技をすることだ。」と手紙で述べる場面があるのですが、奈々絵さんは、おそらくこの境地と同じ域に入っているのではないでしょうか。私はサリンジャーの同著は実は手強かったという印象なのですが、奈々絵さんなら読み込めるかもしれませんね。
West side Nodさん、こんばんは!!
そうですね〜〜! いつかお金を上手に使える大人になりたいものです泣
『フラニーとズーイ』という物語があるんですね! 時間ができたら読んでみます!
朝早くから素敵なコメントをありがとうございます♪
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