[自分語り]ノブレス・オブリージュ

今日はお家に帰ってから疲れて寝てしまったので、眠い目をこすりながら続きを書きました(_ _).。o○

今日は1日、ノブレス・オブリージュという言葉について考えていたので、かなり胡散臭くなりますが私の考えをアウトプットしておこうと思います!

noblesse oblige 

もともとはフランス語で、直訳すると「高貴さは強制する」となります。
obliger = 〜を強いる

なにを強制するのかと言うと、それは「義務」です。地位や権力のある人は義務を伴う、ということをノブレス・オブリージュと言います。

高貴、という言葉が貴族に似合うように、貴族が負う義務のことをそう呼びます。貴族はいざとなれば国のために軍人として戦うなどして、その社会的地位を保持していました。

今の日本では、命をかけて国を守る義務ではなくて、社会的責任を負う義務があるのではないかなと思っています。貴族ではありませんが、国の象徴である天皇や皇族は、やはり下手な真似はできませんものね。


高貴である自覚

筆者はもちろん「貴族」ではありません笑。なので、自分が高貴な人間だとは微塵も思っておりません。
むしろ、農家の家系に生まれているので、自分のことは「何度踏まれても起き上がる雑草」のようだな〜と常々思っています。

ですが、同時に「自分は恵まれている」という意識もあります。今、特に金銭的な側面において、何不自由なく過ごせている私は、本当に幸せ者だなと思います。

あなたは自分のことをどう考えていますか?


貴族でなくても

これは私の考えですが、富裕層や権力を持つ人でなくても、「自分は恵まれていて幸せだ」と心から思える人なら、ノブレス・オブリージュの考え方を持っていていいような気がするんです。というか、持つべきだとすら思えます。

私は、自分が恵まれていると思える人は、恵まれていないと思う人よりも社会に貢献すべきだと考えているからです。恵まれた人は、その幸せを分け与えるべきだし、逆に恵まれていない人は、恵まれた人から恩恵をもらえればそれでいいと思うのです。

私はできるだけ自由でありたいと思っていて、制限されることは大嫌いです。そして自由であるためには、いろいろな権利を持つことが必要だと思ってます。でも、そのためには権利を主張するだけじゃいけないなと考えています。

例えば、授業中寝てばかりでテストも0点ばかりの小学生の息子に「オモチャ買って!」って言われたら、親としてあなたはなんと言いますか??
私は「100点を取ったらいいよ!」って言うと思うんです。オモチャが欲しかったら、やるべきことをまずやりなさい、と伝えると思う。教育を受ける者として、最低限果たされるべき義務があると思うから。


大切なこと

恵まれた人は、自分や身の回りの人だけでなく、もっと大きな範囲に良い影響を与えることを目標にして生きてほしいと思ってます。

そういう人は、自分のためだけに知識やお金や権力を使うのではなくて、社会のために生きた方が良い気がするからです。自分は少なくとも幸せなんだから、それ以上の幸せを得たいなら、周りの人を幸せにしていってほしい。そうすれば、巡り巡って最後は自然と自分に返ってくると私は感じています。

そう考えてみると、自己中心的な考えで動いて人を傷付けたり悲しませたりする行動は、「恵まれているなと感じる人」は慎まなくてはいけないと強く思うんです。
こんなことを言うと不謹慎だと言われそうですが、反対に、恵まれない人が他者を傷つけることは、その行為をむしろ肯定してしまうくらいの方が楽なんじゃないかとも思います。「この人は、こういう状況でそう行動する必要があったんだ」と周囲が捉え、むやみやたらに否定しないことって意外と大切なんじゃないかなって。

だから一番問題なのは、高貴なる人(恵まれた人)が責任を持てず義務を果たせなかったときです。不祥事を起こした芸能人が大バッシングを浴びるように、あの人たちはそういう業界にいるんだから、道徳的に良くないことはしないのが当たり前だと思うんです。


まとまらないまとめ

私の理想とする世界は、完全に「格差社会」って感じですね。笑
でも、これから先の日本は、格差がどんどん広がっていくことは避けられないんじゃないかな〜と考えていて。だったらそれ前提で考えたほうがいいんじゃない?と思う筆者です。

もちろん、人間として最低限の権利は平等に与えられるべきだと思います。ただ、それ以上の権利を求めるのであれば、その人たちは(精神的に)高貴なる人間に成長していかなければ、強く主張できる権利として認められないんじゃないかと私は思ってます。

その代わり、高貴なる人が勘違いしちゃいけないのは、自分は恵まれているからといって絶対に「尊大な」態度をとるべきではない、というところです。「高貴さは謙虚さである」と思う私からしてみれば、恵まれないと思う人に対して「してやってる感」を出すというのは違うな、と思いました。


それでは、またお会いしましょう*°

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