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「月と太陽」試し読み

 孤児院で育った俺は、孤児院が密かに斡旋する裏稼業に手を染めることで生きてきた。最初は簡単な犯罪の手伝いだったが、今では殺しが俺の仕事。そうなった理由はいくらでもあるが、一番は俺には失うものが何もないということだろう。そういうやつにこそ仕事を任せやすい。普段は表向き何でも屋として過ごしながら、主にヤクザから内密に殺しの依頼を請け負う。それが俺の生活スタイルだ。
 その日もいつもと変わらない仕事風景だった。今日はターゲットの中年の男を町はずれの工場跡地に連れていき、そこで始末する。ただ、敷地内に入る前にターゲットが暴れだしたので、拘束する途中でちょっと血が流れたけれど。ああ、後で掃除屋に伝えなければ。
 地面に転がるターゲットを押さえつけ、サバイバルナイフを構えた時だった。
「そいつ、殺すの?」
 不意に声を掛けられ振り向くと、いつの間にか背後の塀の上に青っぽいコートの男が座っていた。雲間から顔を出した満月が後光のように輝いて男の顔は見えないが、風でゆるやかなウェーブのかかった髪が揺れ、左耳の十字のピアスがキラリと光った。咄嗟にナイフを構える。嫌な予感が頭をよぎった。ここ最近誰かに見られているような気がしていたのだ。まさか……。しかし相手は動じずに話をつづけた。
「ねぇ、殺すんだったら、そいつの血を吸ってもいい?」
「……は?」
 タンっと靴底を鳴らして降り立った男は少し長めの前髪の奥から銀色の瞳で俺を見つめた。その視線に一瞬背筋がゾクッとしたが、男の目には威嚇するような気配も恐怖の影もない。
「おれ、吸血鬼なの。血だけ貰えれば何もいらないし、何もしないから」
 そう言って男は歩みを緩めない。なんなんだ、俺は夢でも見てるのか? 困惑し後退る俺を横目に、男は地面に転がったターゲットを抱き起すと、小さく「いただきます」と唱えてから首元に噛みついた。
「マジか……」
 思わず俺はそう呟いた。猿轡をかまされているターゲットは最初こそうめき声をあげて抵抗していたが、次第に顔を青くして大人しくなった。吸血鬼だという男は一心不乱に血を吸い続けている。よく見れば美しい横顔で、その姿はどこか官能的で、見てはいけないものを見ているような気分だった。
「っは、まっず」
「そこまで飲んどいてまずいのかよ」
 思わずツッコミを入れてしまった。銀色の瞳がこちらをとらえる。
「まずいけど、飲まないと俺がヤバいから」
「……あっそ」
 とにかく色々調子が狂った。俺はため息をついて頭を掻いた。ターゲットはもう呼吸も僅かで、このまま放っておけばすぐ死ぬだろう。仕事を取られてしまったけど、なんだかきれいに片付けられてしまった。
「じゃあ、ごちそうさま」
 たらふく血を飲んで満足したのか、吸血鬼の男は立ち去ろうとした。
「あ、おい、待て」
 駆け寄って肩を掴んで引き留めると、男から困惑の色が見えた。
「流石に仕事を見られて黙って帰すわけにはいかない」
「でも“やった”のはおれだよ?」
「それでもだ」
 男の肩を強くつかんで引き寄せようとすると、少しムッとした表情で俺に言った。
「……分かったから、手、離して」
 男は肩を掴んだ俺の手を振りほどいて俺に向き直った。
「で、おれのことも殺すの?」
「そうだって言ったら?」
 俺は言うと同時にナイフを繰り出した。しかし刃先がもうすぐ首筋に届くというところで、ナイフを握った手を素手で止められてしまった。
「止めといたほうがいいよ」
 次の瞬間飛んできた男のハイキックを腕で受け止める。
「いや、こっちも仕事なんでね」
 そうして俺と男は一進一退の攻防を繰り広げた。力量は互角と言ってもいい。つまり、この男も只者ではないということだった。ただし、凶器を持っている分こちらに分がある。
「いって……!」
 何度か服や肌を切り裂いた後、ナイフがコート越しに男の腕に深く刺さった。勝てる……! そう思った時だった。
「がッ……おま、何して……!」
 男はナイフを持つ俺の腕を掴むと、袖を捲って手首に噛みついてきた。そうだ、こいつは吸血鬼だった。こいつの口も凶器のようなものだ。
「離せよ……クソッ……!」
 これじゃまるで警察犬に噛まれた犯人みたいじゃないか。反対の腕で殴ったり蹴ったりと必死になって振りほどこうとするが、牙が深く刺さっているのか、なかなか離れようとしない。徐々に血の気が引いて頭の辺りがゾワゾワしてきた。このままじゃやられる……!
「ぅオラッ」
「グッ、げほっ」
 腹のあたりを思いっきり蹴り飛ばすとやっと口を離した。ポタポタと土の上に俺の血が落ちる。男は口の端から垂れる血を手の甲で拭いながらニヤリと笑った。
「ね、止めといたほうがいいって」
 俺は男を睨みつけたが、その姿がゆらゆら揺れて見えた。何とか堪えようとしたが膝が折れて地面に手をついた。畜生、こんなところで負けるなんて……。
「……でも、もう腹いっぱいだからいいや」
「……は?」
 男は頭を左右に動かして首を鳴らすと、くるりと踵を返して歩き始めた。
「またね」
「なんだよそれ……」
 俺は思わずその場に座り込んだ。情けないことに追いかける気力はもう残っていなかったし、追いかけたところでこの状態では勝てる見込みもない。今回に関してはターゲットを殺したのはあの男だし、深追いするのも今はやめておいたほうがいいだろう。
 月はいつの間にかまた雲間へと隠れていた。尻ポケットからスマホを取り出すと、掃除屋に連絡をする。自分の血を落としてしまったのは不覚だ。しっかり証拠隠滅してもらわなくては。
 電話を終えた俺はそのまま土の上へ横たわった。
「吸血鬼、ねぇ……」
 吐く息が白く天へと昇っていく。薄雲の向こうで満月が輝いているのが分かる。まるでさっきの男の瞳みたいだ。銀色の、俺を恐れない強い瞳。血を吸うときの熱を持った瞳。だけど雲の向こうに隠れるようにあの男も姿を消した。悔しさで地面を叩くと、噛まれた腕が酷くしびれた。


続きは「月と太陽」本誌で!
「月と太陽」A6 88ページ 500円
11月25日(日)文学フリマ東京 2階ア-19にて頒布
殺し屋のシュウが満月の夜に出会ったのは吸血鬼だと名乗る男だった。
仕事を横取りした吸血鬼のライをシュウは殺そうとするが、ライから殺しの依頼を受けたシュウは流れで同居生活を送ることに。
いずれ殺すつもりの相手と奇妙な友情が芽生え始める。


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