800字SS

黒い悪魔

 男が箱から取り出したのは黒いタバコだった。シュッとライターで火をつけると、わずかに甘い香りが漂った。
「なにそれ、なんてタバコ?」
「ブラックデビル」
男はそう言って微笑んだ。
「吸ってみる?」
そう言われて慣れないタバコを口にすると、案の定ゲホゲホと咳込んだ。男は笑いながら背中をさすってくれた。
「唇舐めてみ?甘いから」
そう言われてペロッと舐めてみると確かに甘かった。
「これ吸ってたらキスするときも甘いやつじゃん」
冗談めかして私が言うと、男はケラケラと笑った。
「試してみる?」
いじわるそうに笑う男の唇は確かに甘かった。

「それ珍しいね、なんていうやつ?」
「ブラックデビル」
そう言って私は微笑む。もう何年も前のあの日から、私は吸えなかったタバコを背伸びして吸うようになった。あの男とは結局結婚の約束までしたのに反故にされた。私の黒歴史。でも今となっては、あの男に恋していたのか、このタバコに恋していたのか分からないし、もうどうでもいい。全部煙になってどこかへ飛んで行ってしまえばいい。それよりも……今夜罠にかかったこの獲物をどうしてやろう?
「吸ってみる?」
隣に座る男に赤いネイルで黒い箱を差し出す。そして赤い唇でゆっくりと黒いタバコを咥える。黒は色気、魔性の色香。男の喉が鳴ったのが聞こえた。
「一本貰うね」
男が同じくタバコを吸い始め、ふう、と煙を吐き出したところであのセリフ。
「唇を舐めてみて。甘いから」
「あ、ほんとだ」
「甘いものは好き?」
「ああ、好きだよ。君はいつもこれを吸っているの?」
「ええ、そうね」
「じゃあ、君とキスしたらいつも甘いのかな?」
「さあ、どうかしら?」
私はいじわるそうに笑う。男の目に火が付いたような気がした。

 ブラックデビルは廃盤が決まった。だから夜のハンティングも今日でお終い。裸の男が寝息を立てているベッドから抜け出して、下着姿で最後の一本を口にする。さようなら黒い青春、悪魔の私。

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第6回100人共著参加作品(第5位)

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