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ジャケ写の意味

フェイクファーのあの子

好きなタイプの女性は?と聞かれると、明確に答えられないけれど―Spitzの『フェイクファー』のあの子と、99年頃のマシェリCMの高橋マリ子と黒澤優の感じは好きだなぁと未だに思う―と書くと完全に厨二な感じなんだけど、90年代末〜00年代初期のあの感じは、私にとって最も「エモい」。音楽でいえばSpitzとかももちろんだけど、個人的にはtexas is the reasonとかget up kidsとか日本だとBUDDHISTSONとかblue beardとかね。(というか「エモい」って言葉はもとはここだろうとって思うけど、語ると長くなるので止しておきます。farとかmineralとかさ...)

最もエモい写真展

90年代〜00年代青春を過ごした私たちにはエモい写真展が現在銀座でやっています。(1月18日まで!)
浅川英郎 写真展「Musikfoto」
浅川さんは、Spitzの数々のジャケ写や奥田民生、椎名林檎、クラムボン、コーネリアス、PUFFYなど、この時代の日本の音楽シーンを撮影したきたカメラマンです。
今回は02年発売された浅川さんの写真集『Wani Wani』に収められたミュージシャンの写真を中心に展示されています。
そのときはCDのジャケットやロッキンでしか見られなかったものが大きなサイズで見られる貴重な機会。フェイクファーのあの写真を、大きなサイズで見られるなんてエモすぎる!


フィルム!フィルム!フィルム!

浅川さんとは07年に私がPMを担当したpanasonicのTVCMで初めてご一緒させて頂いて以来、CMがシリーズで続いた2010年頃まで毎年ロケで国内外あちこちで撮影をしてきました。
2007年〜2010年というのは映像業界にとってはフィルムからデジタルへの過渡期でした。
REDが出てきたり、F35とかALEXAはまだだっかな?そんなときでした。PMとしては、フィルムよりもデジタルの方が費用的にも手間としてもデジタルの方が"楽"なのですが、浅川さんはいつもフィルムを選択していました。(カメラはPANAVISIONだったかな?)
はじめてご一緒させて頂いたときは、瀬戸内海の離島でフィルムで撮影したので、私が船と電車でくっそ重いフィルムケースを五反田のイマジカまで運び銀残しをお願いしました。

「空気」を撮ることを許された時代

私は大学で映画の撮影を学んでいましたが、実際に映像のことをようやく分かったと感じたのは、この2007〜2010年の経験が大きいです。08年に亡くなった市川準さんの文章ですが―

映画は、考えぬくものだ。光について考え、音について考え、自分について考え、他人について考え、世界について考える、あらゆることを考えぬいた映画にしか、「映画」は宿らない。それだけが真実だ。
そして気をぬいたところには、必ずボロが出る。考えぬく気力を失った時、映画もまた、死ぬ。
とんでもない世界に、足を踏み入れたものだ、と、思っている。
(『市川準』撮れば撮るほど)

とあるように、「映画」ではありませんでしたが「CM」という映像についてあらゆることを考えぬくという経験をすることができました。

映像としてはフィルムからデジタルになり、CMもその「効果」を明確に求められるようになっていった時期だったと思います。
ノスタルジーに浸るつもりはありませんが、CMに今よりも「空気」というのがいいのか、「余白」というか「空白」の部分が許されていた最期の時期だったのではないかと思います。

ジャケ写の意味

写真展伺った際に、浅川さんが奥田民生の「股旅」のジャケットの写真を見ながら、「今の若い子なんかは、ジャケ写でこんな山を撮る意味は分からないだろうなぁ」と話していました。

「CDのジャケットなのに山を撮る意味」

今、全てに説明が求められる時代にあって、あらためて重要な問いのような気がしています。








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