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ぶつかるたびに、傷つきながら学ぶ

自己愛に絡まれやすい。
1年おきくらいにぶつかっている気がする。
そしてその度に体をこわし、
その度に自己愛の特性と対策を夜な夜な調べ、
ネット上の声に共感と、自分のどうにもならない境遇にやるせなさを感じ
月曜が、翌朝がくるのを恐れながら日々をやり過ごす。

なぜこんなことになるのか。
自分より他人を優先するから、他者を利用する自己愛につけこまれる
相手が目上でも自分の意見をはっきり言うから、反抗的だと目をつけられる
HSPの気があるから、認知の歪みに気がついてしまい不都合だと思われる
共感・理解できないことに従わないから、問答無用の力で潰される

からだとこころの健康を犠牲に
毎度、不本意ながら、自己理解を深めている
(と肯定的に捉えないとやってられないだけかもしれない)
(学びをもとに、避けたり撃退できるようになれたらいいのだけど)

で、今回は
私は復職明けにもらった業務を、会社のために重要な不可欠なものと受け止めて熱量高くすすめてきたのだけれど
そういう上司に価値観から否定されて胃をやられて、同時に
組織的な逆風に加え不誠実な(説明不足な)業務指示・異動に翻弄されて
信頼できる恩師にすがるも
全社の流れ上あなたの業務の重要性は低くなっていて熱意を持った継続は難しい、自分ももらった仕事をやりきることをポリシーにしてきたよ、でも状況が変わってもやりきるというのとは違う、と助言されたりして

会社にとってこの業務が重要であることは間違いない、それでもいまこの会社にとってそれは必要とされていない。顧客が必要としていないものを提供しても無意味だ。ピボットと同じ。それはいい。切り替えて別の貢献を探そう。
でもその方針には、結局、幻滅した。時代には正直、逆行して見える。仲間も何人も去った。私が活きる場所は、いまどの部門にもないし、風を起こすキャリアもない、と言われた。次の追い風が吹くまで、息をひそめるしかないのだ。

ふつん、と
なぁんだ。
会社の、社会のためを想って情熱をもっても、報われない。
評価はされなくて構わないが、情熱すら受け取ってもらえないのなら、持つ意味がない。
じゃあ、そんなに崇高な思いで、仕事で自己実現しようなんて、思わなくていいのか。というか、実はみんなそう?「仕事だからと割り切っている」という言葉、いままで理解できなかったけど、こういう気持ち?
じゃあ、もうそれこそ、のらりくらりと、何も考えずに言われたことをやるのが、楽だと、それが何の役にたつのかとかはさておき、
、楽しい?それ。楽しくないね。
そんな時間を過ごすくらいなら外出る、時間がもったいない。
でもこういう気持ちが、多分少なからず社会のそこかしこにあるんだろうな、と少しわかった気になった。

もちろん、自分自身としては、他者貢献したいという根底は変わらない。仕事でそれが実現できないのなら、仕事以外でそれをするだけ。副業でも、地域還元でも、有志活動でも。今の上司から離れるのだけは絶対条件なので、それが叶わないなら真面目に転職も案。
なんなら最近参加したウェビナーで、仕事に持ち込むのは仕事以外の場所で実践してからのほうがいいってことも聞いたし、仕事以外の場を充実させるいい機会かもしれない。


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