荒木章博氏「熊本バドミントン協会事件」裁判・判決文、および報道

「希望の党」公認候補として、衆議院議員選挙(2017年10月10日公示、22日投開票)で東京7区(渋谷区全域、中野区、目黒区、品川区、杉並区のそれぞれ一部)、および比例・東京ブロック(順位1位)から立候補した荒木章博氏(元熊本市議会議員、元熊本県議会議員、自民党所属→除名)に関する、過去の裁判判決と、事件に関する新聞・雑誌記事をまとめました。

本稿タイトルは厚生労働省委託事業「女性就業バックアップナビ」判例の表記「熊本バドミントン協会事件」に従いました。

→引用者注
・判決文は『判例時報』1998年7月11日(1638)の記載を元とし、仮名についてはその表記に従った。
・一部、漢数字を算用数字に直した。

★損害賠償事件、熊本地裁平8(ワ)1178号、平9・6・25民一部判決、一部認容、一部棄却(控訴)

<<参照条文>>民法709条

<<当事者>>
 原告        甲野花子
 右訴訟代理人弁護士 辻本育子
 右同        原田直子
 右同        松浦恭子

 被告        乙山太郎
 右訴訟代理人弁護士 山之内秀一

【主文】
 一 被告は原告に対し、300万円及びこれに対する平成8年9月29日から支払い済みまで年五分の割合により金員を支払え。
 二 原告のその余の請求を棄却する。
 三 訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
 四 この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

【事実及び理由】
 一 請求
 主文一項中の金額を「500万円」とする外、主文一項と同旨(なお、遅延損害金の起算日は不法行為後である訴状送達の日の翌日)

 二 事案の概要
 本件は、原告が被告に対し、被告から強姦され、その後も性関係を強要されたと主張し、民法709条に基づき、損害賠償を請求した事案である。

 1 原告の主張
 被告はバドミントン協会の役員の地位にあったが、平成5年9月20日ころ、実業団のバドミントン部の選手であった原告を強姦した上、これによる原告の驚愕と動揺に付け込み、結婚したいなどと嘘を言い、また、告訴すれば選手生命を奪われるなどの報復を受けるかも知れないとの原告の恐怖心を利用し、平成6年春頃まで原告との性的関係を継続し、これによって、原告の性的な自己決定権と人間としての尊厳を侵害した上、恋人を失わせ、同年12月にはバドミントン部を退部させて選手生命を奪い、平成8年3月末日限り退職を余儀なくさせて仕事を失わせ、原告に少なくとも500万円の損害を被らせたものである。

 2 被告の主張
 被告は、原告から突然「たまに食事にでも誘ってください。」と声を掛けられ、数日後に原告を食事に誘い、平成5年9月20日夜、原告と食事をしたが、その後は原告宅の近くまで原告を送ったのであり、原告を強姦したことはなく、同年10月27日、国民体育大会のバドミントン競技のため香川県坂出市所在のホテルに宿泊していた際、原告が被告に「明日の試合が怖い。」と涙を流しながら訴えて抱きついたことから性関係を持つに至り、原告に誘われるまま、平成6年4月ころまで性関係を継続したが、原告に結婚したいと言ったことはなく、原告も被告に妻子がいることを承知の上で被告との交際を続けたものである。

 3 争点
 原告の主張するとおり、被告が原告を強姦した上、性関係の継続を強要したかどうか。また、これによって原告が被った損害の額はいくらか。

 三 争点に対する判断

 1 証拠によって認められる事実
 <<証拠略>>によると、大要、次の事実を認めることができる。なお、証明書、証人丙川松夫の証言及び被告の供述(陳述書の記載を含む。)のうち、次の認定に反する部分は採用できないというべきである。

(一)原告(昭和**年*月*日生)は、小学生のときからバドミントンを始め、高校時代にもバドミントン部に籍を置き、全国高校総体で団体準優勝をするなどの活躍をしたため、高校卒業後の平成元年4月、実業団選手として実業団選手として九州丁原電気株式会社(以下「丁原電気」という。)に入り、そのバドミントン部に所属していたものであり、一方、被告(昭和**年**月*日生)は昭和58年5月から熊本市議会議員、平成7年4月から熊本県議会議員を務める外、平成5年9月当時は熊本県バドミントン協会副会長、熊本市バドミントン協会会長の地位にあったものである。

(二)原告は、平成5年2月の熊本県知事賞授賞式のとき被告がバドミントン協会の役員であることを知ったが、同年9月19日ころ、国体選手として熊本県宇土市で行われた強化合宿に参加していたとき、その練習会場に来ていた被告に会社名と所属部署を聞かれ、「国体前に激励の意味で食事でもしよう。時間の都合が付いたら電話をするから。」と言われ、その後、被告から電話で食事に誘われ、国体前の激励であると思い、他の選手にも声を掛けたものの、都合が悪かったため、その翌日、すなわち同月21日ころから23日ころまでの間の午後8時ころ、一人で自動車を運転して被告に指定された場所まで行き、そこから被告運転の自動車でレストランに連れて行かれた。

(三)原告は、レストランでの食事の際、被告に勧められて断り切れず、アルコール度がビールより強めの食前酒を三杯飲まされ、食事が終わった後、待ち合わせた場所に送ってもらえるものと思って被告運転の自動車に同乗したところ、ホテルにつれて行かれ、「そういうつもりじゃありません。」と言ったが、被告が自動車を降りて助手席側に来てドアを開け、右手で原告の左手首を掴んで原告を自動車から強引に引き出したので、被告の手を振り払おうとしたものの、食事のときに飲んだ酒の影響で力が入らず、むしろ身体の後ろ側で両手を掴まれ、ホテルの部屋に連れ込まれ、ベッドの上に押し倒され、性関係を強いられた。

(四)その後、被告は、泣いている原告に対し、「前からお前のことが好きだったんだ。俺の気持ちを分かってくれ。真剣に付き合いたいと思っている。」「お前が好きなんだ、どうしようもなかったんだ。分かってくれ、自分のものにしたかったんだ。」などと言い、原告が服を着て部屋を出ようとしたとき、後ろから両腕で原告の身体を包み込み、「俺は真剣なんだ。大事にするから。」と言い、更に、原告が部屋を出てから、その肩に手を回して原告を自動車に乗せ、待ち合わせをした場所まで連れて行き、原告の腕を掴んで自宅の電話番号を聞き出した上、原告を車から降ろして立ち去った。

(五)原告は、自分の自動車に乗ったが、しばらく運転する気力がなくて呆然とした後、車から降りて歩いて帰宅し、警察に告訴すべきか、バドミントン部の監督や当時交際していた恋人に話すべきかなどと思い悩んだ末、国体の前の大事な時期に原告との一件が公になれば、試合に出られなくなって他の選手に迷惑を掛けるかも知れないと不安になり、他の人に原告に強姦されたことを話すのは恥ずかしいという気持ちも生じ、更に、もし被告を告訴すれば、被告が熊本県や熊本市のバドミントン協会の役員の地位を利用し、報復として原告の選手生命を奪う可能性もあると思い、告訴できなかった。

(六)その数日後、原告は、被告から電話でまた会いたいと言われ、思い悩みながらも、被告の真意を確かめたいという気持ちもあり、被告と会ったところ、被告から「離婚して妻も子供もいない。」「結婚を前提に付き合いたい。」と言われ、その後も「好きだ。」「真剣に考えている。」などと言われ、これらの言葉を信じることによって惨めな気持ちが少しでも救われるような感じになり、また、被告の要求を拒めば、どのような報復があるかも知れず、自分のバドミントン選手としての将来が閉ざされるおそれがあると思い、やむなく被告との性関係を続けるうち、被告をそんなに悪い人ではないかも知れないと考えるようになった。

(七)ところが、原告は、平成5年11月下旬ころ、「今度夕食でも作りに行きましょうか。」と聞いた際、被告から「今、離婚の話を進めている。離婚しようと思っているから待ってくれ。」と言われ、更に「今、話合いをしている。別れるから待ってくれ。」と懇願され、その後も「俺の気持ちは変わらない。お前には俺が必要だ。待ってくれるだろう。」と言われ、なお原告を愛しているという被告の言葉を信じたいという思いがあり、その一方で、被告に対する恐怖も続いていたため、被告との性関係を続けたが、平成6年春ころ、被告から離婚はできないと言われ、騙されていたことが分かり、被告に電話で「もう会いません。電話もしないで下さい。」と話した。

(八)原告は、被告に強姦された後、東京在住の恋人と電話で話してもぎこちない雰囲気で、平成5年12月には別れ話をし、平成6年夏ころには別れたものであり、また、被告と会わなくなった後も、被告に強姦された上、騙され、遊ばれたと思うと、悔しさが募り、被告を許せないと思う反面、騙された自分も悪いと思うと情けなく、惨めな気持ちになり、誰かに話すべきか、それとも自分で解決すべきかと思い悩み、その一方でバドミントンの練習にも追われ、肉体的にも精神的にも疲れ果て、バドミントンを続ける気力がなくなり、バドミントンを続けていると被告とまた顔を合わせるかも知れないと思い、同年12月にはバドミントン部を辞めるに至った。

(九)原告は、平成3年頃から丁原電気のバドミントン選手の一人として、腰や肩の疲れを取るため、マッサージ師の戊田竹夫(以下「戊田」という。)の施術を受けていたが、平成5年秋ころ、施術を受けた際、男性のことで思い悩んでいることはないかと聞かれ、結婚してくれと言われている人がいると話し、平成6年秋ころには、戊田に対し、徐々に被告との間の出来事を打ち明け、更に戊田が平成7年2月初め頃バドミントン部の監督の甲田梅夫(以下甲田という。)にその話をしたので、これについて甲田からも尋ねられ、被告に強姦された上、結婚を考えているなどと騙されて性関係を続けたので、被告に謝罪してもらいたいと話した。

(一〇)甲田は平成7年2月下旬ころ、熊本県バドミントン協会理事長乙野春夫と同協会常任理事(社会人部会長)丙山夏夫(以下それぞれ「乙野」「丙山」という。)に被告が原告を強姦したことを話し、その後、同年3月中旬ころ、丙山から電話で、被告に会って確認すると、原告と肉体関係を持ったことを認めたと報告を受け、被告が原告を強姦したことを認めたと思い、同年5月22日ころ、被告と会ったとき、強姦したのかという意味で「甲野をやったのか。」と聞くと、やったと答えた上、原告を愛していたなどと言われ、次いで、原告には見舞金で誠意を見せたらどうかと話すと、相談している人がいるので即答できないと言われた。

(一一)甲田は、国体が終わった後の同年10月20日過ぎころ、被告の事務所に電話を掛けたとき、被告から自動車を壊され、事務所の窓ガラスも割られたなどと一方的に責められたが、同年12月24日ころ、被告から相談を受けた丙川松夫(以下「丙川」という。)と会ったときには、原告が同月18日付で作成した被告宛の文書を渡すなどし、原告に対する慰謝料の額や被告の被害状況等について話し合い、その翌日、相互に何も請求しないことにできないかと相談され、原告の了解を得た上、これに応じ、更に平成8年1月11日には名刺の裏にこの件についてはすべて終了した旨の念書を書き、これを丙川に渡し、原告には事後にその旨の報告をした。

(一二)一方、原告は、甲田から話を聞いたバドミントン協会の役員が被告の事務所に言ったときも、また甲田が被告の事務所に行ったときも、被告は原告が強姦したことを認めており、ただ謝罪は待って欲しいと言っていたと甲田から聞いたが、その後、被告の態度が変わり、原告に謝ることは何もない、大人の恋愛であったなどと言い始めた上、被告が原告に自宅兼事務所のガラス窓と自動車を壊されたとして原告を告訴するなどしたため、被告の嫌がらせや脅しが丁原電気やそのバドミントン部にまで及ぶことを憂慮し、平成8年3月末日限り丁原電気を退職したものであり、その後も被告の行為を忘れることができず、思い悩んだ末、本件訴えを提起するに至った。

 2 事実認定の補足説明

(一)原告の供述(陳述書の記載を含む。以下同様。)について

 原告は、被告に強姦され、その後も性関係を強要されたと供述しているが、これに対し、被告は、原告との性関係は合意に基づくものであったと供述しているので、原告の供述の信用性について判断することとする。

 まず被告の主張を見ると、(1)原告は、被告から強姦された日につき、第一回口頭弁論期日では平成5年9月20日から22日までのいずれかの日であると主張し、陳述書には同月20日過ぎころと記載し、本人尋問の際には、主尋問では同月22日か23日、反対尋問では同月21日か23日までの間であると供述しており、日にちを特定できておらず、強姦という衝撃的な事件があった日を特定できないのは不自然であり、原告が最初に被告と待ち合わせた日には食事をしただけであって、特別な出来事が何もなかったため、日にちを特定できないと考えるのが自然である、(2)原告は、同月中旬から下旬にかけてバドミントンの練習を休んだことがなく、同年10月に香川県坂出市で国民体育大会が開催されたころも、甲田からみて原告の様子に変わった点はなかったのであり、被告から強姦された後も仕事をしたりバドミントンの練習をしたり普通の生活をしていたことになるが、原告が主張するような強姦の事実があった場合、その衝撃から立ち直るのに多少時間が必要であると考えられるので、その翌日から普段通りの生活ができたことは、強姦の事実がなかったことを示すものと思われる、(3)原告は被告に強姦されたと主張しながら、その数日後には特に脅迫されたわけでもないのに、被告と二人だけで会っており、その後も被告との性関係を重ねたのであるが、本当に原告が被告から強姦されたのであれば、被告を憎悪し、恐れるものであり、その後も性関係を継続するに至っては、強姦の事実に疑問があり、たとえ当初は強引な性関係であっても、これを宥恕し、またある程度まで甘受したものと評価できるものと思われる、(4)原告は平成5年9月に被告から強姦され、その後も性関係を強要されたが、これを戊田に話したのは平成6年秋ころであり、それまではだれにも話しておらず、しかも最初に強姦されたとする日から約3年を経て、本件訴えを提起するに至ったというのであり、このようなことが常識的にあり得るのかどうかは疑問であり、むしろ、原告が積極的に被告に接近して性関係を続けたものの、結局、被告と別れるに至ったことを逆恨みしたとしか考えられない、というのである。そこで被告が右(1)ないし(4)で指摘するような原告の言動をもって、被告との性関係が原告の意に反するものであったとは認められず、むしろ原告の合意に基づくものであったといえるのかどうかにつき、検討を加えることにする。

 これにつき、<<証拠略>>によると、強姦の被害者は、一般に、神経の高ぶった状態が続き(過覚醒)、被害当時の記憶が無意識のうちに生々しく再生され(侵入)、被害を思い出さないように感情が麻痺して現実感を喪失する(解離)外、自分が恥ずかしいと感じ、自分にも落度があったのではないかとの思いから自責の念を募らせ、自己評価を低下させる傾向があること、原告も、強姦によるショックが非常に大きいため、被害の事実を否認しようとしても、心因性の健忘により記憶が断片的になっているので、被害の日にちを特定できないと考えられ、このような状態は強姦の被害者としては通例であり、特異なものではないこと、また、原告は、被害の翌日から何事もなかったかのように仕事をしたりバドミントンの練習をしたりして、外見的には被害を受ける前と同様の日常生活を送っていたのであるが、これは、被害の事実と直面するのを避け、ショックを和らげるための防御反応であり、強姦の被害者に共通してみられるものであること、原告は、被告から結婚したいなどと言われたことにつき、強姦された事実は否定できないとしても、少しでも被告が原告に愛情があって強姦したのであれば、単なる暴力的な性の捌け口として強姦された場合よりは救いがあると考え、被告の言葉を信じようとし、被告との性関係を継続したに過ぎないこと、更に、性的な被害者は、恥ずかしさに加え、合意の上ではないか、落度があったのではないかと疑われることで、かえって自分自身が傷付くかも知れないとおそれ、また自分が被害者であると認めたくないとの思いがあって、警察への届出をためらうことが多く、実際、性的な被害者の警察への届出率が低いこと、原告は自分の身に起きたことを信じたくないし、認めたくないとの思いが強く、それは恥ずかしいことであり、もし周囲の人に話せば、原告にも落度があったのではないかと非難されたり、傷ものとして見られたりするのが怖かったし、被告の社会的地位からみて、被告との関係を公にすると、選手生命を奪われるかも知れないとの恐怖心があったため、被告との関係をだれにも口外しなかったこと、また、原告は、本件訴えを提起する決意をした理由につき、以前は自分が忘れてしまえばそれでよいと思い、必死に忘れようとしたが、いくら時間が経過しても忘れられず、何も解決しないままであったし、裁判を起こす決意をする約二か月前に原告を精神的に支えてくれる人々と出会い、その人々から強姦されたことは決して恥ずかしいことではないし、原告が悪かったのではないと励まされたからであると説明していることなどの事実を認めることができる。そこで、これらの事実をもとに判断すると、原告の言動には格別不自然、不合理な点はなく、むしろ性的な被害者の言動としては十分了解が可能であり、自然なものであるということができるので、被告が右(1)ないし(4)で指摘するような原告の言動をもって原告が被告との性関係に合意していたということはできない。

 次に、原告は、平成7年12月28日付で作成した被告宛の文書には、手書きで「あなたは、熊本市議会議員、熊本県バドミントン協会副会長という地位にありながら、その地位を乱用し、事実とは異なる言動をはき、一人の人間を傷つけ失望させました」「したがって、私に対してとられた行動に対して以下のとおり慰謝料を請求いたします。」と記載し、その下にワープロで「\5,000,000」と打った紙を張り付けているが、被告は、この文書の中には、強姦や暴行・脅迫といった文言も原告の意思に反して特別な関係を持ったという表現もないので、そのような事実はなかったと考えられる旨主張しているので、これについて検討するに、原告は、被告に対し、自分のしたことを認めて謝って欲しいという気持ちを伝えるための一つの方法として右のような文書を作成したのであり、原告がどの程度傷付いているかを被告に分からせるため、具体的な数字を示そうとしたが、金額で解決できるような問題ではないという気持ちがあったし、自分の字で金額を書くと金銭で解決しようとしていると思われるようで違和感があったため、ワープロで打つことによって機械的なものにしようと考え、金額をワープロで打ったのであり、また、文書の中で強姦という言葉を使わなかったのは、これを文字にすることによって当時の様子が思い出されるし、文字が残るといつだれに見られるかも知れないと思ったからであると説明しており、その説明内容は、証人丁川の証言によると、強姦の被害者の心理状態として自然なものであり、十分首肯するに足りるものということができるので、結局、右文書の記載をもって被告との性関係が原告の意に反するものでなかったということはできない。

 なお、被告は、性暴力被害者の心理状態に関する証人丁川の証言につき、独自の見解であり、経験則に照らして首肯し難いものであるとする趣旨の主張をしているので、これについて付言するに、<<証拠略>>によると、アメリカでは、ベトナム戦争帰還兵の心理的な障害や性暴力被害者の心理的な後遺症に関する研究が行われ、1980年(昭和55年)には、アメリカ精神医学会(APA)の診断マニュアル第三版(DSM-Ⅲ)にPTSD(心的外傷後ストレス障害)が障害名として記載され、1994年(平成6年)に発表された同マニュアル第四版(DSM-Ⅳ)では、その症状として、外傷的な出来事の再体験、外傷と関連したことの回避や感情の麻痺、持続的な覚醒亢進症状が挙げられていること、また、アメリカの心理学者オクバーグは、強姦等の犯罪被害者については、通常のPTSDの症状に加え、自分が恥ずかしいと感じる、自責の念が生ずる、無力感や卑小感が生じて自己評価が低下する、加害者に病的な憎悪を向ける、逆に愛情や感謝の念を抱く、自分が汚れてしまった感じを持つなどの症状があることを指摘していること、わが国においても、特に阪神・淡路大震災の後、PTSDに対する関心が高まり、大規模な自然災害の外、強姦等の犯罪被害その他の個人の対処能力を超えるような打撃を受け、トラウマ(心的外傷)体験をしたとき、これによって引き起こされる様々な反応やこれに対する援助の問題が取り上げられ、注目されるようになったことなどの事実を認めることができ、これらの事実にかんがみると、被告の右主張は採用できないというべきである。

 以上のとおりであり、他に原告の供述、すなわち、被告に強姦され、その後も性関係を強要された旨の供述に疑いを差し挟むべき事情は見受けられず、その信用性は高いといわなければならない。

(二)その被告の供述(陳述書の記載を含む。以下同様。)について

 被告は、原告を強姦したことはなく、原告との性関係は合意に基づくものであった旨、前記認定と異なる供述をしているので、その信用性について判断することとする。

 まず、被告は、妻子がありながら原告と合意の上で性関係を継続したことを認めており、この事実は被告にとって社会的に不利益なものであり、立場上好ましいものではないと分かっていながら、自己に不利益な事実を敢えて告白しているので、その信用性は高いと主張しているが、それよりも一層被告にとって不利益となる強姦の事実を秘匿するため、合意の上での性関係の限度で事実を認めたとみる余地もあるので、不利益な事実の告白であることから直ちに被告の供述の信用性が高いということはできない。

 次に、被告は、平成5年9月18日、県民体育祭のバドミントン大会で挨拶をした際、原告から「私は頑張ってますから、食事にでも誘ってください。」と声を掛けられ、同月20日に一緒に食事をしただけであり、同年10月下旬の香川県坂出市で国民体育大会が行われた際に初めて原告から抱き付かれて性関係を結んだ旨供述しているので、その信用性について検討するに、被告は、原告から声を掛けられた理由は未だに分からず、ただ原告が被告の話の内容に共鳴したり親しみを感じたりしたのだと思うと供述しているに過ぎず、その供述内容は必ずしも明確なものではないこと、甲田は、原告の正確からみて、右のように被告に声を掛けたり、強姦されたと嘘を言って被告を陥れたりするとは考え難く、バドミントン選手としても、国民体育大会の選手の選考にバドミントン協会の役員が関与することはなく、原告が被告に近付いても利益になることはないと証言していること、また、被告の供述によると、国民体育大会のとき、他のホテルの部屋が空いていなかったので、たまたま原告と同じホテルに宿泊することになったというのであるが、本来、バドミントン協会の役員の宿舎は選手・監督とは別のホテルとされており、原告が他の役員の宿舎とは別のホテルを探した理由が明らかでないこと、むしろ、被告自身、事前に原告から宿泊先のホテルの電話番号を聞かされていたと供述している上、原告の供述によると、被告が原告と同じホテルを予約したのであるから、被告は、意図的に原告と同じホテルに宿泊したと考えられることなどにかんがみると、被告の供述中、原告が被告と性関係を結んだ時期やこれに至った経緯に関する部分は、いずれも信用性が低いといわなければならない。

 なお、右1で認定したとおり、原告が被告から強姦されたのは平成5年9月21日から同月23日ころまでの間であると認められるところ、被告は、同月21日から同月25日までの午後8時ころについては、手帳で確認すると、陳述書に記載したとおり、後援会の挨拶回りなどをしていたので、原告と会うことは不可能であった旨供述しているが、被告は、その手帳を証拠として提出していない上、何年来にわたって手帳に記載していたわけではなく、たまたま平成5年9月ころのことは手帳にすべて記載していたというのであり、その記載の信頼性には疑義があるといわざるを得ず、しかも、手帳には覚書のように何でも記載した部分があるというのであり、その記載が予定であるのか結果であるのかを判断することさえできないのであって、被告の右供述部分は、前記認定を覆すに足りるというものではないというべきである。

 更に、被告は、平成5年9月から10月にかけて、原告と会ったとき、原告がバドミントンを止めたい、体が続かない、負けたらどうしようかなどと訴え、悩み苦しんでいたので、そのような原告に同情して激励するうち、原告に愛情を抱くようになったのであり、被告と原告は互いに愛し合っており、原告に性関係の継続を精神的に強要したことはない旨供述しているので、これについて検討するに、被告の右供述を前提とすると、原告は、バドミントンについて悩みがあったのであれば、丁原電気の監督や他の選手に相談することができたにもかかわらず、バドミントン協会の役員であるとはいえ、それまで話したこともない被告に相談したということになり、不自然さを拭い難いこと、丁川は、加害者である被告の心理状態につき、原告に告訴されないため、無意識に、一方では、原告に愛している、結婚したいなどと甘言を用い、他方では、原告に優越する地位や力があることを示し、原告との間に擬似的な恋愛関係を作り出したものと理解することができる旨証言しており、被告が本当に原告を愛していたとはいい難いこと、更に、被告は、妻子がありながら原告と付き合った上、その間の平成5年11月1日ころ、原告と同様に丁原電気のバドミントン選手であった戊原松子(以下「戊原」という。)に対し、嫌がっているにもかかわらず、その右頬にキスをしたことなどの諸点を勘案すると、被告の供述中、原告とは愛し合っており、原告に性関係の継続を精神的に強要したことはないとする部分は、信用し難いといわなければならない。なお、被告は、戊原には試合で頑張ってくれと言って握手して肩を叩いだだけであり、キスを迫ったというのは戊原の誤解である旨供述しているが、握手して肩を叩いただけであれば、なぜ戊原がキスを迫られたと誤解したのかが必ずしも明らかでないこと、戊原は、平成5年11月当時、被告からキスされそうになったことを原告に話しているが、そのときは、原告と被告との関係を知らなかったのであり、戊原がことさら虚偽の事実を述べて被告を誹謗する理由は見受けられないことなどにかんがみると、被告の右供述部分は信用できないというべきである。

 また、被告は、原告と別れた理由につき、原告のだらしない態度に絶望し、交際を続ける気持ちを失ったからであると要約し、更に詳しく、被告は、原告が平成5年11月下旬ころ試合のため大阪に滞在したとき、被告に連絡すると約束していたのに連絡がなかったので、その翌朝、原告に電話を掛けたところ、昨夜は酒に酔って電話できなかったと言われた上、原告の部屋のベッドに丁原電気のバドミントン部のコーチが寝ていると言われたことがあり、これが尾を引いていたし、しかも、原告との交際の終わりころ、原告から恋人がいると聞かされ、その人と結婚した方がよいと思ったこともあって、原告と別れたと説明しているので、これについて検討するに、原告は、被告との間で右のような電話でのやり取りをしたことはないと述べていること、被告は、原告にコーチと関係があったのではないかと尋ねたことがあると供述しているが、それ以上に被告が原告を追及した形跡はないこと、原告は、平成6年春ころ被告と別れたのであるが、その前の平成5年12月ころから恋人に別れ話をしていたことなどを考慮すると、被告の右説明の内容は必ずしも首肯し難いといわざるを得ず、被告の供述によっては被告が原告と別れるに至った経緯が必ずしも明らかでなく、この点に関する被告の供述の信用性は乏しいといわなければならない。

 その他、被告は、原告に「離婚して妻も子どももいない。」「結婚を前提に付き合いたい。」などと言って原告を偽ったことはないと供述しているので、これについて検討するに、被告は、主尋問において、原告には性関係ができる前に家族がいることを話したと供述しているが、陳述書及び反対尋問における供述では、バドミントン協会の忘年会や新年会に夫婦で参加したことや、後援会のパンフレットには原告に妻子があると記載されていることなどから、原告も被告に妻子があることを知っていたはずであるというのであり、直接原告に家族がいることを話したとは述べていないし、また、被告の供述によると、右の忘年会や新年会には監督やコーチは参加するが、選手は参加しないというのであり、右パンフレットも平成元年に発行されたものであるから、これらは原告が被告に妻子があるということを知っていたことの根拠にはならないというべきであり、したがって、被告の供述中、妻子がいないと言って原告を偽ったことはないとする部分の信用性は乏しいといわざるを得ない。

 以上のとおりであるから、被告の供述中、前期認定に反する部分は採用できないといわなければならない。

(三)その他証拠について

 証人丙川は、被告訴訟代理人の主尋問において、平成7年3月23日ころ、被告から約三年前に付き合っていた原告とのことで、自動車や事務所のガラスを割られたり、甲田を通じて金銭を請求されたりして困っていると相談を受け、その翌日ころ、甲田と会った際には、原告が被告と交際していたが、別れてから苦しんでいると言われただけであり、原告が強姦されたという話は聞いておらず、甲田から原告が被告宛に作成した文書を見せられ、良識のある大人の恋愛に関する慰謝料としても500万円は高過ぎると言ったときも、甲田は黙っていたし、その後、被告に対し、大人の恋愛である以上、慰謝料を支払う必要はないと進言したところ、被告もこれを納得した旨証言しており、原告訴訟代理人らの反対尋問においても、被告から最初に話を聞いたとき、丁原電気のバドミントン部の選手と交際し、肉体関係もあったと言われたが、大人同士の恋愛であり、何の問題もないと思ったので、それ以上は聞かなかった旨証言しているのであって、その内容は、被告の主張に沿うものということができる。

 しかしながら、甲田は、丙川との話合いの経過につき、甲田としては、あくまでも被告が原告を強姦したという前提で話をしたが、丙川の方は、被告が原告を強姦したことを認めず、そういうことは男女関係ではよくある話であるとしてごまかそうとしている感じを受けたと証言していること、更に、丙川は、被告には妻子があり、しかも被告が熊本市議会議員であると同時に熊本県と熊本市のバドミントン協会の役員であることを知っていたと考えられるのに、被告がバドミントン部の選手であった原告と肉体関係を持ったとしても何の問題もないと判断し、被告から聞いた話の内容をそのまま信用し、これを前提に行動したというのは、不自然さを拭い難いこと、しかも、丙川は、被告から話を聞いた後、甲田と初めて会ったとき、原告が結婚を前提に付き合うと被告から言われたと主張していると聞き、被告に確認したところ、原告と結婚の約束をしたことはないと明言したので、それ以上は被告を追及しなかったのであり、原告の言葉を無批判に受け入れた可能性があること、その他、丙川は、被告と約15年前に知り合い、熊本県選出の衆議院議員の秘書仲間として行動を共にし、その議員が亡くなった後も付き合ってきた関係にあることなどを考慮すると、丙川の証言は被告の主張の裏付けにはならないと言わざるを得ない。

 次に丙山は、被告宛の平成9年の3月13日付証明書において、(1)甲田から平成7年2月下旬頃ころ相談を受けたが、その内容は、原告が被告と別れて苦しんでいるというものであったと記憶しており、原告が被告に強姦されたというようなものではなかったし、(2)同年3月15日に被告と話し合ったとき、被告は原告との恋愛関係は認めたが、強姦等の話は一切なく、その結果を甲田に伝えたときも、被告が強姦を認めたような話はまったくしていない旨記載しており、乙野は、被告宛の平成9年3月17日付証明書において、右(1)と同旨の記載をしているので、これらについて検討するに、被告は、本件訴訟における甲田の尋問調書を読み、これを丙山と乙野に見せたところ、丙山が自発的に証明書を作成してくれたので、これを参考にして被告がワープロで作成した証明書を乙野に見せ、これに書名押印してもらった旨供述しており、丙山及び乙野の右証明書は、いずれも被告の依頼により本件訴訟の係属中に作成されたものであり、その信用性は高いとはいえないこと、甲田は、平成7年2月初めころ戊田より原告が被告から強姦されたと聞き、原告にも確認した上、同月下旬ころ、乙野と丙山に被告が原告を強姦したことを話したのであり、その後に丙山から被告が原告と肉体関係を持ったことを認めたと報告を受けた旨証言していることなどの諸点を勘案すると、丙山及び乙野の右証明書は、その信用性に疑問があるといわざるを得ず、前記認定を左右するものではないというべきである。

 以上のとおりであり、他に前記認定を覆すに足りる証拠はないといわなければならない。

 3 当裁判所の判断

 右1に認定した事実をもとに判断すると、被告は、平成5年9月当時、熊本市議会議員であり、熊本県と熊本市のバドミントン協会の役員の地位にあったが、同月21日ころから23日ころまでの間、丁原電気のバドミントン部の選手であった原告を食事に誘った上、原告の被告に対する信頼を裏切り、無理矢理ホテルに連れ込み、原告の意に反して性行為に及んだのであって、この被告の行為は、刑法上の強姦又はこれに準じる行為というべきものである。また、被告は、その後も平成6年春頃までの間、原告との性関係を継続したのであり、この関係は、被告が意識するとしないとにかかわらず、原告に対し、結婚したいなどと甘言を弄し、あるいは自らの社会的地位と影響力を背景とし、原告の意向に逆らえば選手生命を断たれるかも知れないと思わせる関係の中において、形成され維持されたものであるから、結局、原告は、被告から強姦またはこれに準じる行為によって辱められた上、その後も継続的に性関係を強要されたのであり、被告によって性的な自由を奪われたということができ、しかも、これが原因で恋人と別れた上、バドミントン部を辞め、会社も退職するに至ったのであり、多大の精神的苦痛を被ったといわなければならない。

 更に、被告は、原告の意に反して、性関係を強要したことはなく、原告が積極的に被告を誘い、被告に妻子があることを知りながら、合意の上で被告との性関係を継続したのであるから、原告から強姦したなどと言われる筋合いはなく、原告によるいわれのない攻撃によって、被告の社会的地位や名誉が著しく毀損され、家族にまで犠牲が出ているのであって、本件訴えは、被告に対する恐喝と評することができるものであり、原告が被告と別れたことを逆恨みしたとしか考えられない旨供述しており、その供述内容にかんがみると、被告は、原告に性関係の強要を続けたことの自覚がなく、これに対する反省の情が窺われないといわざるを得ない。

 以上の諸点を勘案すると、原告の被った精神的苦痛に対する慰謝料の額としては300万円が相当であるといわなければならない。

(裁判官 河田充規)

★「女性に性的関係を強要」 県議に300万円賠償命令/熊本地裁
(『読売新聞』1997年6月25日西部夕刊)

 熊本市の元スポーツ選手の女性(26)が、性的関係を強要されたとして、熊本県議の荒木章博氏(43)(自民)を相手取り、五百万円の損害賠償を求めた訴訟の判決言い渡しが二十五日、熊本地裁で行われ、河田充規裁判官は慰謝料など三百万円の支払いを命じた。

 訴えによると、女性は九三年九月ごろ、当時所属していたスポーツ協会の会長だった荒木氏と知り合い、練習後に食事に誘われた。食前酒を勧められ、性的関係を強要する同氏に抵抗できなかったとしている。

 被告側は「関係は合意の上。女性の方が(自分に)好意を抱いていた様子だった」としていた。

 裁判では、〈1〉原告が最初の事件があったとする日を覚えていない〈2〉その後も関係がしばらく続いた--などが争点となった。

 判決は「選手生命を失うかもしれないという状況で関係を強要された」と認めた。さらに「(女性は)性的な被害を受け、恥ずかしくて口外できなかった」とした。原告側の原田直子弁護士は「婦女暴行はその後のショックで刑事告訴の時期を逃すことがよくある。性被害者の心理をくみ取った判決」と話している。

★県議会議長に対応を求める 県議の男女関係強要問題で県民クラブら 地方議会
(『熊本日日新聞』1997年7月2日朝刊)

 県議会の県民クラブ、公明、無所属の代表が一日、男女関係を強要したとして元国体女性選手から損害賠償を請求され、熊本地裁で敗訴した自民党の荒木章博県議(熊本市区)について、「県議会として適切な対処をしてほしい」と山本靖議長に申し入れた。

 県民クラブ代表の西岡勝成氏(牛深市区)ら四人が「荒木氏の件は県議の一人として遺憾だ。県議会議員政治倫理要綱に基づく適切な判断をいただきたい」と要求した。山本議長は「判決以来、本人とも会っていない。会派(自民党)の先輩とも相談して対処したい」と回答した。

(引用者注:「熊本県議会・本会議録の検索」において、複数のキーワードで検索してみたところ、本件に関する情報は、全期間にわたって、ヒットしなかった)

独占スクープ!
国体バドミントン美人選手を「暴行セクハラ180日」
有力議員(43)の破廉恥!
(『アサヒ芸能』1997年7月10日)

熊本県の有力県会議員が、バドミントンの国体代表選手だった女性をセクハラ暴行。しかも、その関係を半年以上にわたって強要し続けたという前代未聞のスキャンダルが発覚した。バドミントンの協会役員でもあったこの議員の破廉恥ぶりを、以下にレポートする。

体に力が入らない状態に!

「そういうつもりで来たんじゃありません!」
助手席の山口恵子さん(26)=仮名=はそう叫んだが、車はすでに熊本市郊外のモーテルの駐車場の中。周囲は木立に囲まれ、各部屋からかすかに漏れてくる明かり以外はほとんど何も見えない。
運転席に座っていた高橋修一県議=仮名、当時市議=は恵子さんの言葉を無視して車を降り、助手席側に。ドアを開け、右手で彼女の左手首をつかんで車から引きずり出したのである。
恵子さんは男の手を振り払おうとしたが、男は彼女の腕をガッチリと握って離そうとしない。それどころか、嫌がる彼女の両手を後ろ手にひねり上げ、体ごと後ろから押して無理やり歩かせた。そして、彼女はそのままモーテルの部屋に連れ込まれ、ベッドの上に押し倒されてしまったのである・・・。
このセクハラ暴行事件が起きたのは、4年前の平成5年9月下旬。恵子さんから相談を受けたという関係者の1人が言う。
「当時、23歳だった恵子さんはバドミントンの国体代表選手として、熊本県宇土市で行われた強化練習に参加していたんです。そこに、バドミントン関係の団体役員だった高橋も来ており、彼女に『国体前に激励の意味で食事でもしよう。時間の都合がついたら電話するから』と声をかけたんだそうです。恵子さんが会社の電話番号を教えると、その翌日、高橋から食事に誘われた。で、1人で車を運転して出かけて行ったんです」
ちなみに、恵子さんは「背が高くハーフっぽい顔立ちの美人」(関係者)。そこに、高橋県議が目をつけたのだろう。
それはさておき、2人は恵子さんの会社の近くの料理店の駐車場で待ち合わせた。夜8時過ぎのことで、そこから男の車で別のレストランに向かった。
「そのレストランでの食事の際、恵子さんは高橋に勧められるままにアルコール度の強い食前酒を3杯飲んで、かなり酔っていたようです。モーテルに着いたときも、すでに酒のせいで体に力が入らない状態で、抵抗するすべもなかったようです」(前出・関係者)
結局、冒頭のように恵子さんは高橋県議の術中にまんまとハマってしまったわけだが、コトが終わったあと彼は彼女に次のような言葉をかけたという。
「前からお前のことが好きだったんだ。どうしようもなかったんだ。俺の気持ちをわかってくれ。真剣につきあいたいと思っている」
さらに、恵子さんが服を着て部屋を出ようとした際にも、後ろから両腕で彼女の体を包み込み、彼女の耳もとで、
「俺は真剣なんだ、大事にするから」
と話かけたというから、恵子さんを何とか丸め込もうとした様子がうかがえるのである。
2人はその後、車で最初の待ち合わせ場所に戻り、別れたが、「恵子さんはしばらく茫然として、どうしても車を運転する気になれず、しかたなく、歩いて帰宅したそうです」(前出・関係者)
彼女にとっては、それだけショッキングな出来事だったのである。

レイプされ、だまされ悔しい

それにしても不思議なのは、なぜ、恵子さんが高橋県議の誘いに気軽に応じたのかという点だ。社会部記者が説明する。
「彼は現在、熊本県議会議員ですが、当時は熊本市議会議員で県のバドミントン協会副会長と市のバドミントン協会会長を務めていた。また、恵子さんは、地元の強豪校を卒業後、実業団選手としてメーカーのバドミントン部に所属していたんです。いわば、同じ競技団体に所属する役員と選手だったわけで、彼女も『食事ぐらいなら』と"油断"してしまったようですね」
"レイプ"がきっかけとはいえ、2人の関係は約半年間も続いた。その間、彼は恵子さんの心を言葉巧みに操作していたようだ。彼女と親しいバドミントン協会幹部がこう打ち明ける。
「暴行事件後、1週間もたたないうちに2人はまた会っている。恵子さんは思い悩みながらも、高橋の真意を確かめたいと思ったそうです。そのとき、高橋から『今は離婚して妻も子供もいない。結婚を前提につきあいたい』と結婚の可能性をちらつかされた。彼女は『この言葉を信じることでみじめな気持が少しでも救われるような感じがした。高橋さんはそんなに悪い人でないかもしれないと思うようになった』と話してました」
ところが、"交際"が始まって約2カ月後の11月下旬には、高橋県議のウソがバレてしまう。
「高橋は実は結婚していて4人の子供がいるんです。それを恵子さんに知られてしまった。すると、高橋は『今、離婚の話を進めている。別れるから待ってくれ。お前には俺が必要だ』と泣きついたそうです。彼女はまたその言葉を信じたが、翌年の春に高橋から『離婚はできない』と言われて、別れる決意をしたんです」(前出・関係者)
とはいえ、一般の恋人どうしとは異なる関係だっただけに、その半年間、恵子さんの心は大きく揺れ動いていたようだ。
「暴行された事実を警察に告訴すべきか、あるいはバドミントン部の監督や当時交際していた恋人に話すべきか、ずっと1人で悩んだ。でも、恥ずかしいという気持ちが強く話せなかった。しかも高橋を告訴したり彼の要求を拒否したりすれば、彼が役員の地位を利用して、自分の選手生命を奪うのではないかと恐れを抱いていたんですね」(前出・バドミントン協会幹部)
実際、恵子さんがようやく周囲に重い口を開き始めたのは、高橋県議と別れたさらに半年後の平成6年秋のこと。それが、バドミントン部監督や県のバドミントン協会幹部の耳に届くのは、翌年2月のことだった。当時、高橋県議と会った協会役員がこう証言する。
「恵子さんは『レイプされたうえに、結婚を考えているなどとだまされて関係を続けたのが悔しい。高橋に謝罪してもらいたい』とハッキリ言っていた。それを高橋に伝えると、『肉体関係は事実だが、合意の上。大人の関係だった。謝罪することは何もない』と突っぱねたんです」

彼女が関係を迫ったと反論

その後、お互いに代理人を立て何度か話し合いを持ったが、平行線をたどるのみ。どころか、新たな紛争まで持ち上がる始末。
「平成7年の10月に、高橋県議の車と事務所の窓ガラスが何者かに割られるという事件が起きた。高橋県議側はそれを恵子さんの仕業だとして警察に告訴したんです」(前出・社会部記者)
結局、犯人は不明のままだが、
「恵子さんは高橋の嫌がらせや脅しが会社やバドミントン部にまで及ぶことを恐れて、昨年3月末付けで退職してしまった」(協会幹部)
少なくとも恵子さん側に対して、十分すぎるほどの脅威になったことは間違いない。熊本市議会議員の1人が言う。
「高橋さんは代議士秘書を6年間、市議を3期務めたあと、県議に転身。バドミントン以外に県サッカー協会副会長も務めてJリーグ誘致に動くなどスポーツ振興に熱心という印象があるとです。反面、市の土地購入や建設事業の落札などで暗躍しているという話や、女性関係のトラブルの噂も絶えんとですよ」
高橋県議の態度に恵子さんも堪忍袋の緒が切れたのか、ついに昨年9月、500万円の損害賠償請求の提訴に踏み切った。
5回にわたる公判では「県議が恵子さんを暴行したうえで性関係を強要したのか否か」が争点となったが、両者の言い分は真っ向から対立。恵子さんの代理人・辻本育子弁護士が言う。
「高橋は恵子さんとの交際は認めたが、当初、関係を迫ってきたのは彼女のほうで、合意のうえだった。高橋に妻子がいることを承知のうえでの交際だったと主張しています。第4回公判では、高橋本人が出廷し、涙声で無実を訴えていましたよ」
しかし、6月25日に熊本地裁(河田充規裁判官)で下された判決では、高橋県議側の言い分はほとんど認められず、ほぼ恵子さん側の全面勝訴。高橋県議の行為を「刑法上の婦女暴行または、それに準ずる行為にあたる」(河田裁判官)と厳しい判断を示したうえで、300万円の支払いを命じたのである。
これに対して高橋県議側は、
「一方的な事実認定で納得できない。控訴する方針で検討している」(代理人の山之内秀一弁護士)と、徹底抗戦の構えだ。
ところで、腑に落ちないのは他の県議が総じて沈黙を守っていること。山本靖議長も、
「今の段階では、本人の事情聴取や懲戒処分などは、一切考えておりません」
と、歯切れが悪い。こうした周囲のムードを感じているのか、高橋県議本人も、本誌の再三の取材要請に対して、沈黙を守るばかりなのである。

★実業団女性選手への強要「謝罪」と解決金で、セクハラ和解成立--福岡高裁
(『毎日新聞』1999年5月28日西部朝刊)

 ◇荒木章博・熊本県議側“謝罪”と解決金で

 元実業団の女性スポーツ選手(28)が、荒木章博・熊本県議(45)=自民=に乱暴され、性関係を続けるよう強要されたとして、500万円の損害賠償を求めた訴訟は27日、福岡高裁(川畑耕平裁判長)で和解が成立した。県議側が遺憾の意を表明すると共に、女性側が勝訴した1審判決と同額の300万円を解決金名目で支払う内容。

 訴えなどによると、女性は1993年9月、当時、スポーツ協会の役員で熊本市議だった荒木県議にホテルに連れ込まれて乱暴された。「その後も関係を強要されたが、刑事告訴すれば選手生命が絶たれる」などの理由で、94年春ごろまで断れずに関係を続け、96年9月に提訴した。

 97年6月の熊本地裁判決は乱暴の事実を認め「性関係を強要され、多大の精神的苦痛を被った」として、県議に300万円の賠償を命じた。

 今回の和解条項は「妻子があり、市議、スポーツ団体幹部という地位にありながら、女性と性関係を持ったことに遺憾の意を表明する」との内容。

 県議側代理人は「相手方が関係が強制によるものではないことを認めたので、金銭解決した」とのコメントを発表した。

 女性側代理人は「社会的地位を利用した関係だったことを認めたので和解した」と話している。【須藤孝】

★荒木県議に「厳重注意」 自民党党紀委員会
(『熊本日日新聞』1999年10月8日朝刊)

 自民党県連(沢田一精会長)は七日、党紀委員会(委員長・八浪知行県議)を開き、セクハラ訴訟で和解した荒木章博県議(熊本市区)の取り扱いを協議し、厳重注意処分とすることを決めた。

 委員会には県議会議長経験者など県議十二人が出席。「行為は熊本市議時代のことではあるが、組織としてのけじめが必要」との意見で一致した。

 荒木県議は、熊本市の元国体女性選手から競技団体役員の立場を利用し性的関係を強要されたとして損害賠償を求められ、一審で敗訴。しかし、県議側が控訴した二審の福岡高裁で五月下旬、和解が成立した。
(以上、『熊本日日新聞』1999年10月8日朝刊)


【年譜】
91年4月 市議当選(3期目)
93年9月 女性に対して「強姦またはこれに準じる行為」(※地裁判決文より)
95年4月 県議当選(熊本市区)12506票(10位/定数18/全22人)
96年9月 被害女性により損害賠償請求提訴
97年6月 一審で敗訴
99年4月 県議当選9832票(17位/定数18/全27人)※次点9574票
99年5月 二審で和解
00年7月 自民党除名処分
03年4月 県議当選10139票(18位/定数18/全21人)※次点8810票
07年4月 県議落選11295票(17位/定数16/全22人)※最下位11640票
11年4月 県議当選13837票(4位/定数16/全22人)
15年4月 県議選(熊本市第2市区)11712票(5位/定数5/全8人)※次点10873票
17年10月2日 熊本県議(通算5期目)辞任
17年10月10日 希望の党公認で衆院選(東京7区)立候補

★10・22全選挙区289完全予測
(『週刊文春』2017年10月12日号[5日発売])

東京7区 渋谷・中野区など
C-松本 文明 68 自民 前(復)3
 谷川 智行 46 共産 新
B 長妻 昭  57 立民 前 6
C-荒木 章博 64 希望 新

 立憲民主党にも刺客が立ちはだかる。長妻昭元厚労相の東京7区には希望から荒木章博前熊本県議が立つ。この荒木氏、都民ファーストの会・荒木千陽代表の父親だが、実は過去にセクハラ裁判を起こされ、被害女性に三百万円を払い、和解した過去がある。荒木氏を直撃した。
――荒木さんですよね?
「そうよー。どこ?」
 ニヤけた顔で小誌女性記者の二の腕を手のひらで触ってくる荒木氏。
――過去に強姦で訴えられている。
「ちょっとごめんなさい」
――小池さんは了承しているのか?
「僕は……ちょっと……飛行機の時間が5時半だから」
 そのままタクシーで走り去ってしまった。

★希望公認候補「性的関係強要」報道
(「夕刊フジ」2017年10月6日[5日発行])

※引用者注:記事中、実名は明かさず、「X氏」と仮名

(前略)報道によると、希望の党の公認候補X氏は1993年、スポーツ団体の幹部を務めていた市議時代、選手だった20代女性をホテルに連れ込み、無理やり、性的関係を迫ったという。(中略)国会議員は、公人中の公人である。(中略)当然、国会議員の候補者には、過去を含めた全人格的チェックが必要となる。(後略)

X氏に本紙が直撃
「すべて把握した上で公認してくれた」

X氏は報道に、どう答えるのか。夕刊フジは直撃した。

――1997年の新聞に「『女性に性的関係を強要』県議に300万円賠償命令」「セクハラ県議に300万円命令」という記事が出ている。
X氏「(裁判は)弁護士を通じて勝った。対立の候補が(私への攻撃を)仕掛けてきたが、高裁で勝った」
――勝訴したのはいつか
X氏「もう昔のことだから忘れた」
――担当弁護士の名前は
X氏「忘れた」
――確認だが、和解ではなく勝訴したのか
X氏「勝った」
――希望の党から出馬する意向は変わりないのか
X氏「もちろん(出馬する)。党側も(過去の裁判など)すべて把握したうえで、公認してくれた。冗談じゃない! 二十何年も前の話を持ち出されて…。こんなことばかりやるから、政治がダメになるんだ! 今さら持ち出すなんて、おかしい!」

 X氏は「勝った」と主張するが、新聞には「和解成立」とある。「勝訴」と「和解」とは違う。
 小池氏は、この問題をどう処理するのか。国民は注目しそうだ。

★都民ファ代表の父親はセクハラで裁判沙汰
(「日刊ゲンダイ」2017年10月6日[5日発行])

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/214917/2

 東京に送り込んだ刺客も“残念”な面々が多い。筆頭は、東京7区で長妻昭氏と対決する荒木章博氏だ。小池代表の元秘書で都議会「都民ファーストの会」代表の荒木千陽氏の父親。元熊本県議で東京には縁がない。その上、1996年にセクハラ問題で女性に訴えられ、最終的に300万円を支払って和解した経緯がある。選挙戦に入ったら、過去のスキャンダルが再燃することは確実だ。

★小池百合子 希望の党 絶望候補の「不倫セクハラ」裁判
(『FLASH』2017年10月31日号[17日発行])

(前略)記者腕章をつけた本誌記者が歩み寄ると、逃げるようにそそくさと選挙カーの助手席に乗り込む。記者が、荒木氏のある"過去"について聞くと…。「文書でください!」とだけ言い、ドアを閉めた。

(中略)荒木氏の選挙事務所からは「(直撃への)答えを文書で送る」と本誌記者あてに電話があった。しかし、期限までに送付はなかった。あらためて質問状を送るため、FAX番号を聞いても、「教えられない。対応できない」との一点張り。その後、記者が直接選挙事務所に質問状を持参したところ、「取材の件は担当者に伝えておきます」と言われた。だが結局、締切りまでには回答はなかった。(後略)


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