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「やらされてる感」を考えてみた


はじめに

 Xでゲームで生じる「やらされてる感」についてのポストを見て、そのnoteを読みました。
 リンクはこちらです。
ゲームデザインの罠:「やらされてる感」の正体とは

 私なりの考えを相当ぎゅっとまとめて引用ポストしました。こちらです。
https://twitter.com/mTsuruta/status/1782321931481731523

 ぎゅっとまとめて漏れてる要素もありそうでしたので、こちらに改めて書いてみようと思ったのでした。

「やらされてる感」を感じる時のキモチ

「やらされてる感」、プレイヤーが主体的にプレイするのではなく、ゲームシステムによって主体性を奪われて、プレイさせられている、と感じるという意味だと思います。
 なんか分かりづらいですね。
 どうしてかと言うと「ゲームの目標をクリアしたい」という欲求があってプレイしてるのに「プレイさせられている」というのは近いようで遠いからかと思います。
 多分に心理的な構造を持った感情、じゃないかと思います。
「なーんか、この先、コレずっと繰り返すのかなぁ」
「このプレイ(作業)本当は面白くないんだけど、先の事考えたらやっとかないと」
 などが「やらされてる感」を感じている時の気持ちの本体ではないでしょうか。
 ざっくりまとめると、今やっているゲームプレイは「あまり面白く無い」あるいは「飽きている」、けれど、やっておくと先のゲーム展開で有利になるからやっおかないといけない、という義務感。あるいは、この先のゲーム展開が予想されて意外性が無く、その上、今のプレイも「それ程面白くなく」あるいは「飽きてきている」。
 そういう状態じゃないかな、と想像します。

裏にあるのは直近の「面白さの低下」

 ゲームをプレイする一番の動機は「面白い」からだと思います。もちろん別の動機があるケースもあるでしょう。(勝つため、クリア後の褒章のため、その他)
 ただこの記事では、そちらは扱わない事にします。
 先に述べたものを簡潔に書くと、下のようになると思います。

  • 今やっているプレイはツマらないけれど、その先に面白さがある。

  • 今やっているプレイはまあまあ、けれどその先にあまり面白さを予想できない。多分前と同じと予想する。

 どちらも直近のプレイが「とても面白い」と感じている状態では無い事が分かります。
 また、現在のプレイから得られる直近の結果が大体予想されるか、決まっている場合、という事も分かります。
 大局的にはやった方が得なのだけど、今プレイする動機がすり減りつつある、という状況ですね。

「やらされてる感」を避けるには?

 これを説明する前に「面白さ」についてちょっと簡単に説明する必要があるかなと。
「面白さ」
 とても難しい命題ですが、簡単にまとめるとポストにも書きましたが「驚き」だと思うのです。
 どういう事かというと、「面白さ」と対になるのが「飽き」だと思うからです。
「飽き」た状態とは、「もう新しい刺激(=驚き)が無くなった」と思った状態だと。
 心(あるいは脳)に刺激が来なく無くなって、ある意味熱平衡状態みたいな。
 と考えると、驚きがある程度周期的に発生すれば「やらされてる感」は避けられる、のではないか、と。

「驚き」の飽和

 ここで気をつけなければいけないのは「どんな『驚き』も同じものが連続すると刺激量が低下する」という点です。いわゆる「慣れ」です。
 これを避けるためには、異なる種類の「驚き」を提供する事でしょうか。
 端的な言葉で言えば「緩急」ですね。

おわりに

 割と短めの記事になりました。
 書いている途中で「面白さ」と「飽き」について妙な方向に筆が進んで軌道修正するのに手間取りました。こちらの考察はその内書くかも知れません。
 この記事がゲーム制作のお役に立てれば幸いです。

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