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安寧の巫女(1〜15話)


■はじめに

 あるとき急に降ってきて、取り憑かれたように書き上げたお話しです。
 書き上げてみると、1話が大体A4で、十数枚、それが35話という結構なボリュームになってしまいました。
 3つに分け、この1〜15話内、1〜5話を無料で読める形で。残りを各10話ずつを有料としてみようと思います。
 お読み頂けると、とても嬉しいです。

【2020/03/09 から「小説家になろう」へ投稿】

第1話 巫術師 玄雨雫と恋

■物語について

 この物語は、私たちがいるこの「時の線」とは、少々異なる「時の線」の物語。
 ああ、「時の線」は、この物語で出てくる用語でございましたね。 
 古いSFファンの方なら、パラレルワールド。最近のアニメファンの方なら、世界線、と言った方が通りが宜しいかも知れません。 
 多少、意味合いは異なっているとは存じますが。 

■プロローグ

「客か。売り物なら無いぞ」
 奥の方からぶっきらぼうな声がした。
「へ?」
 ボクは思わず、間抜けな声を出してしまった。
 お店なのに売り物がない? 声の感じからすると若い女の人みたいだけど、この物言いは、おかしくない?
 祖父が骨董品好きだった関係で、そういうお店周りをするのが好きになったボクは、ちょっと出かけた先で、この一六堂という、五階建てのビルの一階にある骨董店を見つけた。そして、その扉を開けたら、さっきの言葉が飛んできたんだ。
 そう言えば、扉にぶら下がっていた「水曜営業」ってのもおかしいよ。1週間に1日だけの営業!?
「ここは、ほぼ、買い取り専門だ」
「ほぼ?」
「特定メンバーにのみの通信販売だ」
 なるほど、そういう店なのか。でも面白そうなものがいっぱいだよ。
「あのぅ、見ていっても良いですか」
「見せるだけだ。欲しくなっても売らない。万引きしたら警察には通報せず、ここで私が折檻する」
 相変わらず、若い女の人の声なのに、ぶっきらぼうな言葉。それに、言ってる事がなんか変だよ。「折檻」て、今どき使わないよ。そんなの。
「ま、万引きなんかしませんよ。ボク」
 その後を続けようとしたら、また、奥から声が飛んできた。
「ああ、判ってる。お前は真面目な中学二年生だ。視れば判る」
 え? ここ、陳列棚の裏だから、奥からじゃ見えないんじゃないのかな?
 確かにボクは中学二年生で、よく真面目な子って、言われるけど。だけど、真面目な子って、あんまり良い評価じゃないよね。
 見たって言ったけど、マジックミラーとか、防犯カメラとかがあるのかな。
 見渡したけれど、そんなものはどこにも見当たらないなあ。
「防犯システムは無いぞ。私自身が防犯装置みたいなものだから不要だ」
 どういう理屈なの!? とても勘のいい人なのかな。それとも耳が良いのかも。
 店の奥の方から、国会質疑特有の質問者の名前を呼ぶ間延びした声と、毒づくその人の声が聞こえてきた。
『世代重ねるたびに、劣化がすぎるぞ、新政府の政治家ども。此奴の曽祖父が占って欲しいと泣いついて来たのを思い出した。曾孫の枕元に立てと、占ってやるべきだった』
『雫ぅ、相変わらず手厳しいわね〜。今お店?』
『ああ、中学生が見物してる』
『ふ〜ん。追い返さないなんてめずらしい〜。機嫌が良いんだね〜』
『さっきまではな。アリス』
 何だか良く判らない会話が奥の方から、だと思うんだけど、聞こえてくる。ハンズフリーで電話でもしてるのかな。
 でも、言ってる内容が微妙に変だな。国会中継見て、突っ込んでるみたいだけど…。
 あれ? 今、陳列台の蛙の焼き物の目が動いた気がしたんだけど。そんなコト無いよね。5センチくらいの蛙の焼き物。他にも木彫りの蛙とか、蛙が結構あるなぁ。
 木彫りの蛙を見ていたら、その隣の鍬の刃に気がついた。
 鍬の刃って、骨董品にしては珍しい品だな。長い間使い込んだのか、鍬の歯は随分すり減ってて短くなっていた。
 ボクはその鍬をよく見ようとして、うっかり触って落としてしまった。
 慌てて拾う。
「すみません。飾ってあった鍬を落としちゃいました」
「鍬だと? まさか」
 ガタッと音がして、陳列棚の左側から顔を出したのは、あの声の人だった。
 やっぱり若い女の人で、きれいな長い今どき珍しい黒い髪をポニーテールにして、真っ赤な年代物の品の良い櫛を刺している。
 白いセーターに黒いパンツ、薄い黄色のベルトを締めて、何故か足袋に緑色の鼻緒の下駄を履いている。
 綺麗な人だな。と見とれていると、女の人は目を見開いたら、顔が真っ青になっていく。どうしたの!
「お前、すぐ帰れ。もう店じまいだ。は、早く帰れ」
「あ、あのう、コレ」
「いいから、帰れ!」
 背中を押されるように、追い出されてしまった。内側のカーテンが引かれて、照明が消えた。
 気がつくと、ボクは拾った鍬の刃を手に持ったままだった。

■雫、熱を出す

 私は、急いで少年を追いだすと、ふらつく身体を何とか動かして、店の奥の部屋まで来た。
 寝室は、骨董店の上の階にある。だが、とてもそこまで行けそうもなかったからだ。
 全身に鉛が詰まったように感じる。
 気力を振り絞って扇を一振りした。
 押し入れから、布団が滑り出し、なんとか寝床の形が整った。
 飛ばした気脈が乱れている。巫術が雑になっている。おかしい。
 何とか布団に入ると、次第に何も考えられなくなっていった。

■アリス、あわてて渡日す

 ファイブラインズ社の専用機の豪華な椅子にもたれ掛かっていても、アリス・ゴールドスミスは全くリラックス出来なかった。
 世界各地を市場とする重要な多国籍企業の株をかなりの比率で持ち、それらの多国籍企業を実質上支配しているのが、アリスがCEOを勤めるファイブラインズ社だ。彼女は社の株の95%を所有している。
 豪華な金髪のロングをアップにして、ビジネススーツに身を包み、一寸の隙もない。
 プロポーションはモデル並で、はっとする美貌の持ち主だ。
 彼女がこれほどの支配力を持った理由は、彼女が人ならぬ者だからだ。
 自称、西洋の女神。
 経済と軍事で世界を支配している。
「株価は許容範囲を超えての変動、犯罪数前日比の大幅増加。もう影響が出始めてる」
 そう呟くと、アイスは客室乗務員にワインを注文した。
「ま、着くまでには時間があるし、原因不明だから、対処の手も打てない。これが解決しないと、他の案件にも手が付けられない。それに、これ以上の緊急事態は多分、無い。つまり、ある意味、あたしのお休みタ〜イム♡」
 能天気特盛な独り言をアリスは言った。だが、その顔は強ばっている。
「何が起こったのよ」雫、待ってて。すぐ行くから。

 アリスが心配する雫。
 それは、齢数百年にして政に関わり強大な巫術を使う不老不死の巫女、玄雨雫。
 自称、日の本の国の神。
 二人の邂逅は、日本開国の頃に遡る。
 アリスは数百年を費やし同族を探していた。
 日本に不老不死の巫女がいる、という手がかりを掴むと、列強を操り日本を開国させ、見つけ出したのが、雫だった。
 それ以来、親友で盟友、自分の命よりも相手の事が大事という間柄だ。
 二人の間には、心を結ぶリンクが形成されており、いつでも会話が出来る。
 そのリンクが途切れてしまった。
 リンクが切れるという事は、雫の不調を意味する。
 雫の体調次第で、株価は乱高下、犯罪は増加、事によっては天変地異さえ起こりかねない。
 雫は巫術をもって、世界の秩序を支えている神なのだから。

 専用機が日本のとある空港に着いた。アリスは急いでタラップを降りると、今度は、米軍のヘリに乗り込んだ。
 ヘリは、またとある地方都市のヘリポートに着陸すると、出迎えている黒塗りの大型高級車にアリスは飛び乗る。
 雫が趣味でやっている骨董店一六堂の場所を決める時、最短で行けるように設定したのは正解だったわ♡と、少しだけアリスの気持ちは楽になった。
 黒塗りの車が一六堂の前に付くと、アリスは転げるように店の扉の前に走って行く。
「水曜営業」の札の下がった一六堂の扉に鍵を差し込む。急いで中に入る。
 中は真っ暗だったが、何にもぶつからずに、奥の部屋の戸を開けると、布団に入った人影がアリスの瞳に映った。

■雫、固まる

「雫、どうしたの!」
 慌てて部屋に入り声を上ずらせながら、アリスは雫に尋ねた。
 雫はその声で目を覚ましたが、まだ、眠りから完全に覚めていない。頭が朦朧としていた。
「アリスか。リンク出来ず、すまない」
 雫は上半身を起し、アリスの方を向いた。すると、アリスの目が見開かれて行く。
「雫! 若返りの時期じゃないでしょう! 少なくとも八才は巻き戻ってるわよ!」
 雫は、「んぁ?」と間抜けな声を出すと、近くにおいてある手鏡を取ってのぞき込んだ。
 そこには先日、少年を追いだした20代半ばの女性の姿ではなく、10代後半から終り頃の女性の姿が映っていた。
 それを見て、雫は少し眉をひそめると、のんびりと言った。
「良くないな、これは。貫録が無い」
 こんなに心配させて、急いで来たのに!
「そういう問題じゃないでしょう! 昨日から秩序係数が大幅に低下して、株価や犯罪数に影響が出てるのよ」
「すまない。熱が出たからだ」
 熱を出した?
 雫の言葉に、アリスのいらだちは立ち消えた。不老不死の雫が熱を出した、という異常事態に気がついたからだ。
「雫、熱出すなんて、何年ぶり?」
「前に熱を出したのは、たぶん三百年は、前と思う」
 雫はぼやけた頭を働かせてそう言った。
「そう言えば、よくいつもの上の階の寝室じゃなくて、ここだと判ったな。アリス」
 アリスは、じっと雫の瞳をのぞき込むと、心配で仕方のないのよ、という顔をした。
「雫の事なら、なんでも知ってるんだから。当然でしょ。それで、何が起こったの?」
「ほら、知らない事がある、アリス」
 寝ぼけた雫に、うっかり足下をすくわれて、アリスはつい、心配の余り声を荒げてしまった。
「あのね、雫、あたしは、雫の事、本ッ気で心配してるんだからね。こんなに心配になったのって、太平洋戦争中くらいよ!」
 雫はアリスを怒らせた事より、心配させた事が痛かった。
「すまない。あの時も体調が悪かったな」
 雫の謝罪の言葉に、怒り過ぎたとアリスは気が付いた。照れ隠しにふざけて言う。
「あ〜あ、いつからあたしは雫の保護者になったのかなぁ」
「おまえの国々がこの国を占領した時からだろう」
 頭がぼんやりしてきた雫は、普段なら上手く返す所を、妙に真面目に質問に答えてしまった。
 やっぱり雫の様子がおかしい。いつもなら、こんな反応、絶対しない。
 アリスは、異常事態を再認識した。
「今はその話止めましょう。何があったの?」
 雫は昨日の事を思い出そうとした。まるで霧の中で物を探すような感じを覚えた。
「昨日、客が来た。で、顔を見たら、ふらふらし始めて、寝込んだ」
 あのリンクで会話してる時の客か、とアリスは思い出した。
 気になる。
「どんな客?」
「真面目そうな中学二年生の男子。女装しても似合いそうな美形」
 アリスの脳裏に、雫の体調とは別の不安が芽生えた。
「何故、顔を見たら、熱が出たの?」
 アリスは出来るだけ、優しく聞いた。だが、何故か、口の端が痙攣していた。
「分からない。見た時、衝撃受けた。慌てて追い返した。寝込んだ。熱が出た」
 なんですって! 顔を見ただけで、雫がショックを受ける! 追い返す!
 アリスの不安は、大きく育って行った。
 何かを思い出したのか、雫は急にしっかりとした口調になった。
「彼奴が『彦』の鍬を持ったまま、追い返してしまった」
 雫は重々しく、まゆ根を寄せて言った。
「拙い」
 雫はまた、寝ぼけた口調に戻った。
「思い出したら、また熱が出てきた」
 アリスは、自分の不安が何に起因するか、冷静に調べる事にした。
 骨董店に入るんだから、趣味は骨董ね。雫と趣味が合う。趣味の合う美形の少年。顔を見るとショックを受けて、思い出だしても熱が出る。年齢差の帳尻を合わせるように、急に若返った雫。
 この条件を使い、アリスは自分の人生経験を、膨大にして豊富な人生経験を検索し、たどり着いた一つの結論に、アリスは打ちのめされた。
 アリスは、自分の頭がくらくらして来るのを覚えた。

 雫が、その美形の中学二年生に恋をした。
 あたしがこんなに、雫の事が好きなのに〜〜!!!

 アリスの両目が、ギラリと光った。
 その様子を見て、雫はけげんな顔をした。
「どうしたの? アリス? 目が怖いよ?」
 その少年の話が出てから、言葉遣いも少し変わってきたわよ。雫ぅ〜〜〜!!
 アリスは、ゆっくりと、雫に聞いたつもりだったが、微妙に音声が震えていた。
「ねえ…雫。…ちょっと聞きたいんだけど…」
 熱で寝ぼけたような雫の頭でも、流石にアリスのただ事とならぬ雰囲気を感じ取ったのか、こくり、と頷いた。
 アリスは、直球に聞いて、打ち返された時の自分のダメージを考え、外堀から埋める作戦に出た。
「その少年見て、どう思った?」
「美形だった」
 普段の雫なら、アリスの意図をくみ取り、余裕で危機回避する。
 だが、再度熱が出て上手く考えられなった雫は、見たままを言って、アリスの地雷を踏んだ。炸裂する。
「雫! その少年に恋しちゃったんじゃないでしょうね!」
 アリスのいきなりの怒気に雫は戸惑った。そして、アリスの発した言葉が染みこんでいくと、雫の心の底の何かが弾けた。
「こい? 恋! まさか!!」
 雫は驚いて立ち上がった。そして、自分がそんな事をした事に気がついて、狼狽えた。
 怪しい!
 その行動が、アリスの怒りの炎へ燃料投下、という事態を招いた。
「どうなのよ!その少年に恋してるの、してないの!」
 疑るアリスが畳みかけた。
「恋、恋、恋!私が、恋を!」
 目を見開き、頭を抱え、同じ言葉を何度か繰り返すと、雫は固まって動かなくなった。
 誤魔化そうったってダメよ。雫!
 アリスは、怖い目でじっと雫を見詰めた。
 だが、雫は固まったままだ。
 何の反応も無い。
 固まった雫とそれを睨むアリス。時が止まったような、重苦しい時間が過ぎていく。
 部屋の壁に掛けてある振り子時計のカチ、カチという音が異様に大きく響く。
 動かぬ雫に、アリスの心がざわめき出した。
 …あれ…? なんか様子、おかしくない?
 やがて、アリスの怒りは萎れ、代わりに不安が顔を出して来た。
 どうしよう。熱が出だけで、あれだけ世界に影響がでたのよ。
 このまま雫が固まったままだと、世界が滅びちゃうかも。
 そんな事より、あたしの雫が、こんなになったままなんて、嫌だよ〜〜〜!
 アリスは両手で顔を覆った。
「どうしよう」
 何か閃いた。思い出した。
 こういう時の非常手段。

■一滴、登場

 アリスは雫の耳元に口を近づけると、小声で呟いた。
「一滴をここへ」
 雫が、何かが切れるようにすとんと座ると、すう、と様子が変わって行く。そして雫の口が動いた。
 淡々とした声がその口から零れた。
「なにかご用でしょうか。アリスさま」
 アリスは、慌てて一滴に助けを求めた。
「一滴、雫が『恋』にまつわるトラウマで問題を抱えたの。お願い、助けて」
 一滴は、表情を変えずに言った。
「雫さまの状態をご確認致します」
 一滴は目を閉じた。アリスはしばらく待った。
 それにしては、長い。
「どうしたの?一滴」
 まさか、一滴でもダメ!?
 世界は滅亡なの!
 アリスが冷や汗をかき始める寸前、一滴が目を開け、話し始めた。
「雫さまに、完全に眠って頂きました。ご警護含め、よろしくお願いたします」
「わかったわ。ここに来る時に用意してたから大丈夫」
 雫が完全に眠ると言う事は、世界中の秩序の自然回復力が一時的とはいえ大幅に低下するという事。アリスはサーバントにトップレベルの警戒の指示を出した。
 骨董店の前に止められていた黒塗りの車の中、これまた黒ずくめで、黒メガネをかけたガードマン然としたお兄さん達が、弾倉の銃弾を薬室に送り込み、銃撃戦の準備から始まり、スクランブル発進する戦闘機、空母の移動、原潜の核ミサイル発射コード解除と、世界終末時計はキューバ危機と同程度になった。
「雫さまの恋の相手と間違えられたのは、美形の中学二年生ですね」
「そう」
 と、アリスは頷いた。
「その子に恋したの!って問い詰めたら」
「雫さまがお固まりになった」
 一滴は、いったん目を閉じ、すぐに目を開けた。
「判りました。アリスさまのご推察の通り、雫さまに『恋』という言葉にまつわるトラウマがございました」
 ですが、と一滴は続けた。
「それだけで雫さまが固まるとは思えません。他に何かご存知の事をお教えください」
 そうか。
 アリスは、事の発端である、リンクが切れた所から、熱を出して寝ぼけたような雫の状態を、一滴に話した。
「昨日から、ですね。承知致しました」
 そう言うと、一滴はまた目を閉じた。
 目を開けた一滴の眉間には、しわが寄っていた。
「アリスさま、重大なトラウマが発動しておりました。『彦』です」
 アリスは息を飲んだ。
 『彦』の鍬だ。
 大抵の事は、何でも話してくれる雫が、あの『彦』の鍬の事だけは、絶対に話さない。
 アリスの顔色が変わった。
「調べられないの、一滴」
 アリスの問いに、一滴はまた目を閉じる。
 目を開けた一滴は、扇を取り出すと、広げて畳の上に置いた。一滴が柏手を叩く。すると扇がひとりでに立上がり、風に舞うようにくるくると回転し、ぱたり、と倒れた。一滴はその様子を、鋭い目でじいっと見ていた。
 一滴は、それを数回、繰り返した。
 扇を仕舞うと、一滴はアリスに言った。
「『彦』ですが、申し訳ありません。防壁が固く、雫さまでないと読めないようになっておりました。ただ、相当昔の出来事に起因する、重大なトラウマである事だけは、判りました。幸いな事に、解決方法も」
 解決方法! やった〜〜!!
「で、どうするの!」
 アリスの問いに、一滴は、少々嫌な笑みで返した。
「アリスさまの罪を、雫さまに謝罪して頂きます」
 あたしの罪ですって。
「まず、アリスさまは、雫さまが恋などしていないにも関わらず、既に重度のトラウマで苦しんでいる雫さまに対して、新たに恋のトラウマを発動させ、耐え切れなくなった雫さまを固めてしまいました」
 その罪です、と言う一滴の目は鋭く光っていた。
「え〜と、それってしないと」
「世界が滅亡するやも知れません」
 と、一滴はゆっくりと言った。
「第七艦隊をもってしても、雫さまには傷一つ負わせられないと、アリスさまはおっしゃいました。その雫さまをこの状態に追い込んだのは、他ならぬアリスさまではございませんか!」
 アリスは、自分の為すべき事を知った。思い知らされた。
「やりま〜す。雫を疑った事、『恋』というトラウマを発動させちゃった事、きちんと謝りま〜す」
 しょげ返るアリス。だが一滴は更に不吉な事を言う。
「ですが、それは、第一段階」
 アリスは、一六堂に来て何回目になるのか、数えるのを止めた不安を覚えた。
「肝心の『彦』のトラウマが残っております。ただ、トラウマは解除出来ませんが、症状は解消出来ます」
 え!
 ここに来て、初めての朗報に、アリスの心に日の光が差し、瞳が輝いた。
「ショック療法です。『彦』のトラウマに別のトラウマをぶつければ、一時雫さまが大混乱致しますが、混乱で『彦』の発動条件が初期化されます」
 あれ?それって。
 一つの疑問が沸き上がり、それをアリスは一滴に尋ねた。
「もしかして、あたしの踏んだ『恋』は、ショック療法になる、とでも言うつもり?」
「大正解ですぅ、アリスさまぁ」
 一滴が天真爛漫な笑みを浮かべた。
 しまった。思い出した。前に雫が言ってたっけ。「しずく」と言う字は、雫と滴の二つがあって、私の裏面の一部、という意味で「一滴」と名付けたけれど、後から考えると「乾坤一擲」の一擲と音が同じだから、「一滴」を使うのは大ばくちだって。上手く行っても、使った側にも痛手があるかもと。
 さすが巫術の使い手で占いの達人、すっかり読まれてたよ。いたた。
 怒る気も失せて、がっくりとするアリスを、一滴は面白そうに見つめた。
「『彦』のトラウマと違い、『恋』のトラウマは、原因を聞いてあげると効果的です」
 もうすっかり一滴の毒気に当てられたアリスは、素直な口をきくしかなかった。
「判りました〜。聞きま〜す」
「私が消えて、雫さまがお戻りなりましたら、すぐに謝罪すれば、『彦』も含めて万事全快します」
 アリスがやった〜〜と言いそうになる寸前、一滴が恐ろしい事を言い出した。
「『彦』のトラウマを踏んだ少年が、あと一時間でやって参ります」
 アリスの動きが固まった。
「その少年の動向を占った結果です。私の占いの精度は雫さまとほぼ同じ。短期的な範囲で条件が良ければ、雫さまを上回ります。少年の件は確実です」
 なんですって〜〜〜!
 キラリとアリスの目が光った。アリスは手っ取り早い解決策を思いついたのだ。
 アリスは雫の為なら何でもする。その為に何度も歴史に残るほど、世界に干渉してきた。
 それを制するかのように、一滴が言った。
「アリスさま、その少年の暗殺は更にまずい事態を引き起こす可能性が高いです。『彦』を調べた際、『死』と近い位置にありました。『死』は雫さまがもっとも嫌われていらっしゃる事。その少年が死にますと、占った所、私の手に負えない事態となる、と出ました」
 一滴の手に負えない状態ですって!!
 もうこうなったら、一滴の策にすがるしかない。アリスは観念した。
「で、どうすればいいの?」
 一滴は、答えた。 
「その少年との再度の邂逅に、アリスさまもご同席頂き、雫さまを助けて頂きたい。これは私の願いでもあります」
 毒気の無い一滴の言葉に、アリスはちょっと驚いた。
「一滴、あなた意外といい子なのね」
「さて、どうでしょう。では、占いの結果を含めての策ですが、これは雫さまには秘密です」
 アリスはこくりと頷く。
「わかったわ」

■雫、回復する

 アリスは胸をなで下ろした。
 一滴から雫に戻った後、一滴言う通り『恋』について雫に謝罪したら、雫のパニックも発熱も収まった。
「私とした事が、恋と言われて血迷うとは」
 アリスは面目無さそうに、雫に謝罪の言葉を口にした。
「雫、ごめんね」
「もう言うな。それと、疑うな、アリス」
 雫はそう言うと、かなり険悪な目でアリスを睨んだ。
「もう言わない。雫の事疑わない」
 そう言うとアリスはオーバーにしょんぼりした。
「でも、なんでそんなに恋が嫌いなの?」
「占いをやると、かなりの割合で恋の占いになる。それを聞かされるのも、占った結果を言うのも、嫌で仕方なかった。だが、一番の原因は、朝廷占い方になった初めの頃の事。自分の色事とうとうと語り、私が赤くなるのを見て愉しむ輩がいた事だ! それも何度も何度もだ! 今、思い出しても腹が立つ!」
 そんな事があったんだ。
「雫をからかうなんて、途方もない命知らずね。ある意味尊敬できるかも」
 その頃の雫だったら、初々しいだろうな〜、弄ってみたいな〜、というのが顔に出たのか、ギリッと雫に睨まれて、アリスはぺろっと舌を出して誤魔化した。
「で、どうしたの?」
「詳しい事は省く。策を錬って、帝に文を書いた。そしたら、そやつ遠方に飛ばされた。スッとした。そういう訳で『恋』という言葉が嫌になった。それをアリスに言われ、血迷った」
 そう言った後、思い出したように雫は言った。
「一滴が言っていた。『雫さまの仕返しは、私が過分に致しましたので、どうぞアリスさまをお責めにならぬよう』と」
 雫はアリスをじっと見て優しく聞いた。
「そうだったのか、アリス?」
 アリスが、ちょっと恥ずかしそうに、こくん、と頷いた。
「一滴がおそらく、無礼をした。すまなかった、アリス」
 あれは、もろ刃の剣だ、と雫は続けた。
 確かに良く切れる。
 アリスも思った。ホントにこっちも切られちゃうけどね〜。
 雫は、アリスを見詰めると、言った。
「いろいろ有ったが、熱も下がった。これもアリスが来てくれたお陰だ」
 アリスに向かい、頭を下げる。
「ありがとう」
 滅多に聞かない、雫からの感謝の言葉に、アリスは舞い上がった。
 ひゃっほ〜雫ぅ〜〜!
 アリスが雫に抱きつこうとした、その時。

「あの〜」
 骨董店の扉の向こうから、呼ぶ声が聞こえた。
 来た。アリスは身構えた。

■少年、到着する

 アリスは一滴の言葉を思い出すと、骨董店の入り口に向かおうとした。
「雫さまは、『彦』の鍬を見ても、あのような動揺は致しません。とすれば、今回の動揺の原因は、『彦』の鍬とあの少年を同時に目にした事となります。少年は『彦』の鍬を返しに来ますから、アリスさまは、少年から『彦』の鍬を取り上げて、雫さまの目の届かない所にお仕舞いください」
 ところが、元気になった雫が、「自分が出る」と行こうとする。
「昨日来た中学二年生だ」
 これは拙い。
 アリスは慌てて言い繕った。
「ダメよ雫。年が八つは巻き戻ってるんだから、とても説明できないわよ。それに病み上がり。ここはあたしが対応するから、休んでて」
 判ったアリス、と雫は納得した。
「とにかく寝てて、骨董の事とか分からない事とか出てきたら、リンクで聞くから」
 雫が布団に戻ろうとするのを確認すると、とにかく急いでい入り口に向かった。
 なんでこんなに危機が続くのよ!
 入り口に着くと、問題の少年が隙間からこちらを伺っているのがアリスの目に映った。
 そうか、店に入った時きちんと扉を閉めていなかったから、少年は店が開いていると判って声をかけたのか。
 自分の行動まで一滴の占いに読み込まれたような感じがして、アリスはぞくりとした。
「こんにちは。あのう、昨日来た中学二年生ですけど」
 扉を開けるとアリスは素早く言った。
「はい、知ってるわ」何しに来たのかもね。
 昨日来た中学二年生の少年、神峰純は、急に目の前に現れた金髪美女に、簡単に言うと、ビビった。動きが固まった。
 モデル級のプロポーションの上、身長も百七十五センチでピンヒールを履いているから、百八十五は超える。
 当然、身長百五十二センチの純は見上げる形になった。
『雫と同じくらいの身長ね。いや、雫の方が少し小さいか』
 アリスの心の声が、リンクに漏れた。
『前から言おうと思っていたが、アリス。私が生まれた頃は、普通の範疇だ』
『雫、ごめ〜ん』
「あの〜」
「あ、何のご用かしら?」
 うっかり雫とのリンクを通じての会話で、アリスは少年の事を失念してしまった。
「僕、昨日コレ持ってて、その、そのまま外に出されたもので。お返しに来ました。今日、開いてて良かったです」
 純が『彦』の鍬を取り出すと、アリスは素早く、可能な限り素早くバッグに仕舞った。
「ありがとう。それ雫が大切にしているものなの。返してくれて感謝するわ。あ、自己紹介がまだだったわね。私はアリス」
 習慣でアリスは握手を求めた。
「僕、神峰純です」
 純はおそるおそる手を握った。
 ちっちゃい手。かわいい。
「昨日のお姉さん、雫さんって言うんですか。綺麗な人ですね」
『私の事を綺麗と言っても、先程の様に嫉妬はするな』
『分かった、分かった。お願いだからゆっくり寝てて』
 慌ててアリスはリンクで返事をした。
「あれ、もしかして、ア、アリスさんて、昨日、その、雫さんと電話で話してた人ですか」
「そう、昨日ちょうど君が来た時、…聞こえた?」
 アリスの目に鋭い光が宿り始めた。
「あ、すみません。盗み聞きするつもりは無かったんですけど、大きな音だったので。すみません」
 純はペコリと頭を下げた。
「雫さん、寝てるんですよね。お大事にって伝えてください。昨日、顔が真っ青でしたから。じゃ、ボク、これで帰ります」
 アリスと雫の目が同時に見開かれた。周辺の空気が張りつめて行く。
 帰ろうとする純の前に、黒塗りの車の中から降りてきた、黒ずくめの男達が立ちふさがった。
「緊急事態ですか?アリスさま」
「コード3よ」
 黒ずくめの男達が、ひるんだように、純から少し離れた。
「君、悪いけど、ちょっと店の中に入ってくれないかな。大事な話があるの」
 急に態度の変わったアリスと黒ずくめの男達に囲まれて、純は骨董店の中に入って行った。
 店内には灯が点いていて、腕組みをして仁王立ちした雫が待っていた。
 純は雫の姿を見て、何か少し昨日と違うな、と思った。だが、そういう事ではないなと気がついた。
「あ、そうか。妹さんですね。こんにちは」
『まあ普通そう思うわよね』
 リンクでアリスはそう言った。
『この声が聞こえるか?』
 問いただすように、雫はリンクで少年に聞いた。
「? 聞こえます。あのー、ボク何か失礼な事しましたでしょうか」
 純はつい、丁寧な言葉遣いになった。
 雫が、さらに聞いた。
『口をよく見ろ。動いてるか?』
 初めて純はおかしな事に気がついた。
 なんで、口が動いてないのに、声が聞こえるの!
 常識外の出来事に、純は骨董店を出たいという緊急回避の本能に従った。
 だが、逃げ出そうとして、真後ろにいたアリスとぶつかり尻餅を着いてしまう。
 そんな純を見下ろして、アリスが言った。
「神峰純くん。奥の部屋に行こう」
 このシチュエーションは、絶体絶命の危機のパターンだ!
 純の心は不安でいっぱいになった。
 アリスに促され、純は雫が寝込んでいた部屋に入る。
「お邪魔します」
 ほう。こんな状況なのに、礼儀正しいとは、今どきめずらしい。
 雫が純を観察する。
 昨日は何故動揺した? 今はなんともない。綺麗な顔をしているが、それだけだ。
 それよりも、とアリスが目で催促した。
「昨日は慌てて追い返して悪かった。『彦』の鍬を返してくれて、ありがとう。心から感謝する」
『うわ〜、雫から心から感謝するとか、異例中の異例だわ〜』
 珍しい雫の言葉に、緊急事態にも関わらず、アリスの能天気モードが顔を出した。
『うるさい、アリス』
 純は耐え切れなくなった。
「あの、ここ宇宙人の秘密基地で、あの黒ずくめの人達はメンインブラックで、あなた達は宇宙人で、テレパシーで会話してるとか。この事は誰にも言いませんから、帰してください」
 言葉の後半は涙声になっていた。
「人ならぬ者、という意味では宇宙人と言うのは、当たってはいないが、外れてもいない」
「宇宙からか〜。その可能性は検討しなかったわね〜」
「話しが脱線しているぞ、アリス」
 こほん。咳払いを一つして、アリスは仕切り直した。
「あのね〜。話すと長いから相当端折ると、ここにいる雫は、日の本の国の神さま。ま、女性だから女神さまね。で、あたしは西洋の女神さま、ってこと。口に出さずに話す内容を、人が聞く事なんて出来ないの。普通は」
 雫が後を引き取った。
「聞き取れる者がいるとしたら、その者も、神になる資格を有するものだ」
 言っている意味がしみ込むのに、数秒かかった。
「え〜〜〜〜〜!!!」
 一六堂の空気が純の驚きの声で振動した。

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キャラクター作画:スズカ

第2話 巫術師 玄雨雫の弟子

■始めの記録

 この記録は、アリスさんに貰ったPCで書いてます。
 あ、そうか、自己紹介を先に書かないといけなかったんだ。
 ボクは、神峰純、中学2年生、男子。
 雫さんの一六堂に入ったのがキッカケで、アリスさんと雫さんの声に出さない声、リンクっていうんだっけ、それが聞こえるからって、ボクに神の資格があるとかで、すごい展開になっちゃった。

 雫さんは、数百年生きてて不老不死で、巫術っていう魔法みたいな力を持ってる人で、アリスさんは、世界経済を全部支配しているくらいの会社の社長さんなんだって。
 二人とも人とは違うもので、神と称してるんだ。

 う〜ん。自分で書いていても、ウソくさい。
 でも、二人が口を動かさないで話しているの見てなかったら、そうだと思う。

 「神になる資格を有するものだ」って雫さんに言われた後、雫さんが、「コード3のスケジュールなら、まず、ファイブラインズの専門の施設で、コイツ(ボクの事)の検査となる。なら、今から連れて行き、検査しろ。アリスが面接し、終ったなら、戻してくれ」って言ったっけ。

 そしたら、アリスさんが、「面倒事は全部あたしに押し付けるんだから!」って怒ってたけど、雫さんが「疲れたから寝る。頼むぞ、アリス」って言って上の階に消えてったら、「もう、しょうがないか」ってすごく優しい声で言ってたっけ。

 その後凄かったんだ。
 いきなり黒い高級車に乗せられて、その次は米軍のヘリに乗って空港に着いたら、アリスさんの会社の専用機とかでアメリカに行って、空港に着いたらリムジンとかいう、長い車に乗って、アリスさん会社に行ったんだ。

 すごく広い地平線が見えそうなくらい広い敷地に、沢山の平屋の施設があって、そこまでリムジンで行って、中に入って見たら、地下に五十フロアとかある建物でビックリした。

 そこで、よく判んない、いろんな検査をされたんだ。
 すごく怖かったけど、アリスさんが「絶対安全。普通の医療機関の安全基準が紙だったら、ここのは5メートルの鋼鉄の壁くらいだから」って言ってた。とにかく安全みたい。

 あ、家の事や、学校の事が気になってアリスさんに聞いたら、学校にはアメリカに体験留学で、家には特別な才能のお子さんに政府が援助して、才能を伸ばすプログラムに参加して頂いている、って説明してくれるから大丈夫、ってアリスさんが教えてくれた。

 アリスさんて優しいな。

■次の記録

 記録が添削されて返ってきた。
 表現が幼いとか、アリスさんは優しいとは何事かとか、添削の基準が変だと思う。

 ボクの身辺調査の書類が送られてきて、どうやって調べたのか、ボクも覚えていないような事が沢山書かれてた。
 アリスさんは、とても忙しいはずなのに、時間をかけてボクの面接をしてくれた。
 いろいろ質問されたけれど、アリスさんが知りたい事は判らなかったみたいで、少しがっかりした様子に、ボクも少し悲しくなった。

 やっぱりアリスさんは、いい人だと思う。

■その次の記録

 やはり添削されて帰ってきた。
 しかも、アリスさんをほめている箇所を重点的に。
 どう考えても、おかしいよ。

 ただ、自分でも初めの文章を読んで見ると、確かに文章が幼いと思う。
 段々、良くなってきているのが判る。
 どういう事か判んない。

 アリスさんに聞くと、同調、っていう現象が起こっているのかもしれないと説明してくれた。
 神の資質があると、近くにいるより大きな神の影響を受ける現象だそうだ。
 アリスさんと雫さんが、一緒にいる時そういう現象が起こって、双方の弱点が補完されたんだと言う話。
 アリスさんの欠点て何だったんだろう。
 雫さんの欠点はそのままな気がする。あの人、言葉遣いが変だと思う。

■その次の記録

 相当添削されて返ってきた。
 添削の基準が少し判った。
 アリスさんを褒めると、その箇所が添削される。
 もう一つの添削箇所は、雫さんの欠点の事を書いた箇所から考えると、雫さんを褒めて、アリスさんの欠点を書くと、添削されない気がする。

 試してみたいけど、どうしたら良いだろう。二人とも一緒にいた時間が短過ぎて、よく知らない。
 判ってる範囲で書いてみる。

 アリスさんは背が高くてかっこいいけれど、ボクがより小さく見えるから、一緒に写真を撮られるのは嬉しくない。
 雫さんは、美人だと思う。

 昨日で医学的な検査が終わり、今日から身体能力の検査が始まった。

 正直、これが検査!? と思うほどのハードメニューで映画の海兵隊の人がやってるような感じ。
 身体のあちこちが今でも痛い。

■その次の記録

 添削されていない。添削基準は予想した通りだったと言う事みたい。

 それと、もう一つ気がついた事。あれだけ運動したら、次の日は筋肉痛になるはずなのに、なっていない。
 昨日の成績が戻ってきたけれど、余り良くない。
 しょうがないよ、運動部じゃないんだから。

■その次の記録

 昨日の成績を見せてもらって驚いた。
 各機能の数値が平均20%以上アップしてた。
 筋肉痛の事といい、普通こんな事は普通無い、と詳しくないボクでも分かる。

 このレポートの添削も含めて検査だとしても、ボクの身体、あと考え方とかに変化が起こっている。

■最期のレポート

 このレポートで終わりらしい。
 読み直す事を進められた。

 始めのレポートがとても恥ずかしい。
 これが同調の効果なんだろうか。
 今、背筋に寒気が走った。

 ボクは人間じゃないの?

■純は誰が育てる?

 リンクを通じて雫とアリスとは話し合った。
『送った検査結果読んでくれた〜、雫ぅ?』
『見た。アリス。驚いた』
『可能性はかなり高そうだよね〜』
『今までの神の資質についての仮説と食い違うのが、解せん』
『それなんだけど、医療検査で、意外な事が分かったの〜。添付資料の255ページを見て〜』
『悪い、アリス。添付資料までは目を通してなかった』
『だと思った〜。見た〜?』
『これは、間違い無いんだろうな。アリス』
『本当よ〜〜。数回に分けて検査した結果だから〜。仮説はそのままでいけそうね〜』
『うむ』
『問題は、どっちで育てるか、なんだけど〜』
『アリス。身辺調査のレポートで面白い事が出ている。この祖父の所』
『まあ、なんていう偶然なの。いや必然かも!』
『アリス。純は、私の弟子にした方が良いと思う』
『雫の判断に賛成〜〜〜! 明日、そっち帰ってもらうわね〜〜』
『判った。アリス。空港には私が迎えに行く』
『色々、準備が忙しくなるね〜〜』
『そっちの方は頼む。忙しいのに、すまん』
『雫ぅ。一言「アリス、愛してる」って言ってくれたら、アリス、張り切っちゃう〜!』
『バカ!言うか!』
『ちぇえ〜〜〜。じゃ「アリス、ありがとう」で妥協するわ〜』
『…アリス、ありがとう…」
『うわ〜〜〜い、アリス頑張っちゃうぞ〜〜〜』

■純、帰国する

 純が渡米した順番の逆を辿って帰国すると、空港に雫が待っていた。
 純とあった時と同じ、黒い髪をポニーテールにして、そこに真っ赤な櫛を刺し、白いセーター、黒いパンツ、薄い黄色のベルト、足袋を着け緑色の鼻緒の下駄を履いている。
「おかえり。純」
「ただいま、雫さん。アリスさんから話を聞きました。ボク、雫さんの弟子になるんですね」
 雫は頷くと、順に質問した。
「ひとつ初めに聞いておく。アリスの方が良かったか?」
 純は少し考えると、思い切って雫に聞いてみた。
「その前に教えてください。あのレポートの添削、雫さんがやってたんでしょう?」
 雫はすっと微笑むと、はっきりした声で言った。
「正しい質問だ」
「えっ?」
 もしかしたら叱られるんじゃないか、と思っていた純は驚いた声を出した。
「そう思うように誘導する添削だ。自分で気がついた事を確かめられるか、確かめた」
 そう言うと、微かに微笑んだ。
 その笑顔に励まされたのか、純は、正直に言う事に決めた。
「あの、正直に言います。アリスさんは優しいですけど、ボクは雫さんの弟子になりたいと思いました」
「何故だ?」
「あの、初めて遭った日、雫さんの事、とても綺麗だなって思ったんです」
 雫は黙っている。
「それと、アリスさんが教えてくれました。雫さんの巫術って、舞うんですよね」
「そうだ。舞いを舞い、その舞いに気脈を乗せて操る技だ」
 純は、また、少し考えた。
「あの、あの初めて遭った日、雫さん事、巫女さんみたいだって思ったんです。舞っている姿見てみたいと思ったんです」
 雫は少し驚いた。確かに巫女に見えなくもないが、舞っている姿を見たいとは。本当に視えるようになるかも知れない。
 だが、視えなければ。そこで雫は思考を打ち切って、純に告げた。
「判った。今この時より、神峰純は、玄雨雫の弟子だ」
 純の顔に喜びが広がって行く。
 雫は思った。こいつ本当に私の舞いが見たいんだな。顔には出さず、雫は心の中で微笑んだ。
『純く〜ん。雫のヤツ、喜んでるよ〜』
 アリスがリンクで爆弾投げ込んだ!
『バカ!』
 顔色変えず、雫がやり返す。
『うふふ。純くんをお願いね〜』
『無論だ』
 二人のやり取りを聞いて、また、なんとなく純は嬉しくなった。
「行くぞ」
 雫が黒い高級車に乗り込んで行く。純も続いて車に乗ると、車が動き出す。
「あの一六堂に行くんですよね」
「あそこは、引き払った」
 意外な答えに、純は驚いた。
「え? じゃあ何処に行くんですか?」
 すっと目を細めると、雫はとても真面目な顔で言った。
「玄雨神社。そこでしか、玄雨流巫術の修業はできぬ」
 ふうと息を吐くと、窓の方を向いて続けた。
「あそこだと、アリスが来づらくなるが、仕方ない」
 純は雫さん寂しそうだな、と思った。
『そんなコトないわよ〜』
 リンク経由でアリスの声だ。
『近くの山丸ごと買い取って、ヘリポート建設予定で〜す。むしろ前より近くなるわよ〜』
『あの辺て、国有地で、しかも霊山だぞ!』
『何言ってるの雫。私の会社は合衆国のスポンサーで、日本のモノは米国のモノ、で、米国のモノはウチの会社のモノ、でもって、会社のモノはすべてこの、西洋の女神アリスのものよ〜』
 相変わらずのアリス節だ。
『日の本の国の神としては哀しいぞ』
『はいはい、妥協点を提案してくださいな〜』
『国有地の件はそれでいい』
 雫は一呼吸すると、続けた。
『ヘリポートを作る時、景観を崩さず、出来る限り樹齢の短い木を切るだけで済む場所を選んでもらいたい』
『了解よ〜。あとね〜車が通れる道路は必要でしょ? ヘリポートからの車道も造っておくから〜』
リンクでもぶっきらぼうに雫は言った。
『ああ、後は任せた』
 言葉とは裏腹に、雫が嬉しそうなのが純には判った。
 それにしても、なんだか、凄い会話を聞いた気がするぞ。
 本当にこの人達、神様なんだ。
 車が止まった。
 すごい山の中だ。空気が張りつめていて、肌がピリピリする。
 と、雫に続き、車から降りた純は思った。
 雫は歩き始めた。
「ここからは歩きだ」
 と言うと、スタスタと歩いて行く。道はかなりでこぼこしていて、歩き難い道なのに下駄履きで平地のようにすいすい進んで行く。
 純も急いで雫の後を追った。雫は前を向いたまま、「離れると疲れるから、無理してでも着いて来い」と言った。
 あ、同調か。それと、あのハードな検査はこの為だったんだ。
 純は出来るだけ早く歩いた。
 今になって純は気がついた。
「雫さん、荷物とか」
「ああ、先に運んである。アリスが手配した。抜かりはない」
 きっと家のもの、運び出したんだ。
 エッチな本の事を思いだして、純は赤くなった。
「そう言ったたぐいのものは、処分した」
 え、心読まれてる? そう言えば、初めてお店に言った時も。
「その内、教える」
 かなりの速度で歩いているが、雫のそばにいるためか、純は全く疲れない。
「弟子にするのに、一つ懸念があった」
 相変わらず振り向きもせず、雫は言った。
「え?」
「純の祖父の記録を読んだ。祖父は日本舞踊の名取りだな」
 純の息が少しだけ切れてきた。
「純は、その祖父に小さい頃、日本舞踊を学んでいる。かなり厳しく指導されたようだ」
 だんだん、雫との距離が開いて行く。
「舞いは、小さい頃から始めないと、勘が養われない。中学二年生からでは間に合わない」
 純の呼吸がぜえぜえというものに変わってきた。
「私は、純の祖父に感謝している」
 純の歩きがかなり遅くなった。
「もう少しだ」
 純の目の前に、急に景観が開けた。そこは境内だった。いつの間にか、神社の長い石段も上っていたのだ。
雫は振り返ると、純の目を見詰めて言った。
「ここが玄雨神社。私が巫術師に成った場所だ」
 純を見る目は暖かった。

「着いたみたいね〜。ん〜〜」
 アリスは自分の執務室で、伸びをした。
 雫の不調の件と、純の面接などが仕事に割り込んだ為、働きづめだった。
「純くん。上手く視えるようになるといいな。お願いね。雫ぅ」

■純、修業する

 翌日から純の修業が始まった。
 玄雨神社には、舞い舞台があり、そこで稽古をするのだった。
 きれいに拭き清められていて、とても数百年前のものとは思えなかった。
 雫が基本的な足運びから初めて、色々な型を初めに示し、それを純がまねて動く。
 小さい頃に祖父から日本舞踊の手ほどきを受けていた純は、始めこそ、上手く出来なかったが、次第に上手く出来るようになって行った。
「基本の型は重要だが、玄雨流巫術に於いては、始まりに過ぎない。舞踊を究める訳ではないからだ」
 雫の言葉に、純は頷く。
「肝要なのは、舞いの動きに気脈を乗せる事。それとは別にもっと重要なことがある」
 純を指導する時はいつも真剣な感じの雫だったが、この時は、特に真剣に言った。
「視えぬ者には、巫術は教えられない」
 言っている意味が良く判らないが、大事な事なんだ、と純は思った。そう言えば、初めて会った時も、「視れば判る」と言って、喋ってもいないのに「真面目な中学二年生」と言い当てた。
「純。一つ話をしよう。純の前に私の弟子になった人の話だ」
 意外だった。初めての弟子だと思っていた純はつい、聞いてしまった。
「その人は、神になったんですか?」
 雫は首を振ると、少し哀しそうな顔をして話を続けた。
「その人は、私の師匠であり、初めての弟子だった。私の名がまだ『さき』だった頃の話だ」

■玄雨望(のぞむ)

 私は、十二になると、この玄雨神社で巫術の修業を始めた。
 純より二つくらい下の年のころだ。
 幸いな事に、舞いについては、玄雨神社に入る前に、手ほどきを受けていたので、それ程苦労せずにすんだ。
 私の師匠は、玄雨望(のぞむ)。その当時の神社の主だ。
 とてもいい人だった。舞いに気脈を乗せて舞う姿は、凛々しく美しく、私は心酔した。
 私と同じように神社には数名の娘がいたが、名前や顔など、もう良く覚えていない。
 ある日、女だけの玄雨神社に、賊が押し入ってきた。金品を奪い、娘を陵辱する為だ。
 賊の侵入に気付いた望は、彼らを巫術で退けるのではく、客としてもてなした。
 上等な酒、料理を振る舞った。
 そして、望自ら舞いを披露した。
 だが、賊だと思うと、拍子をする手もすくむ。舞い始めたものの音が揃わず、舞いと音が噛み合わぬ。
 望は、いつも通りの気持ちでいつも通りやりましょう、と言って、拍子の子、一人一人に話しかけたよ。
 賊のいる客席に一礼し、もう一度舞い始めた時には、それ程乱れてはいなかった。
 望の舞いは美しい。拍子の子達も、その舞いに魅せられ、賊の事を忘れ、夢中になった。
 舞いと音が一つになり、いつも以上の出来栄えだった。
 私は入ったばかりだったので、賊に料理や酒を振る舞う係だった。
 何時襲われるかと、怖かった。アリスが笑いそうだな。
 だが、望の舞いを視ていると、そんな怖さも消えて行った。
 望は実に上手く気脈を操る。舞いと一体化して、それは天女が羽衣を着けて舞っているようだった。
 賊はと視ると、望の舞いに魂まで魅せられたかのように魅入っていた。
 その時は、人の気脈の判じ方は良く判らなかったが、賊の悪心が消えて行くのは見て取れた。
 何しろ、涙を流しながら見ているのだから。
 結局賊は何も取らず、誰も襲わず、帰って行った。
 中には、押し入る時壊した戸などを、修理してくれるものや、女だけは危ないからと、番兵の役を買って出るものまで出てきたよ。
 望は番兵の件は、やんわりと断った。
「あなたにも、待っている方がいらっしゃるのでしょう。そこに戻るのが、一番の幸せですよ」と。
 もし、賊を巫術で退けていたら、賊は恨みを残し、神社も無事では済まなかっただろう。
 また実際、帰った賊は義理堅く、あの神社を襲う事ならぬと、仲間内に口をきき、以後、玄雨神社を襲う賊はただの一人もいなくなった。
 望の舞いに感動した私は、視えた気脈の事を望に話したよ。
 すると、望は私に玄雨家の今までの巫術書と、望が書き記した巫術書がある書庫へ入る事を許してくれた。
「お前には視えるんだねぇ。私には視えないが。お前なら、この巫術、極められるかも知れぬ」
 私は巫術の書物を読みあさった。
 そして、気脈霊脈を操り、今の私が使う巫術の原形といったものを作り出した。
 賊を追い払った手腕と、占いの腕を見込まれ、やがて望は朝廷に出入りするようになった。
 禁裏に赴く時、望は私を伴って行ったよ。
 夜遅く、私が気脈を操り、風を起す巫術を行っていた時だった。それを望が見てしまった。
 望は、私に頭を下げ、それを教えて欲しいと頼んだのだ。
 私は望に心酔していた故、すぐに教える事に決めた。
 こうして、望は私の初めての弟子になった。
 元から視えずとも気脈を操っていた望は、すぐに風の技をものにしたよ。
 だが、あの人には視る目が無く、利く耳がなかった。
 何故か、と聞くか。純。
 視る目が無いとは、世間では目利きでないという意味で使う。
 が、術師にとっては、気脈霊脈が見えないとは、手が見えずに物を掴もうとするのと同じ。
 掴もうと思ってやみくもに手を動かしても、決して肝心のものは掴めない。
 それどころか、余計なもの倒し、壊す。
 そうしてあの人は自滅の道を進んだ。その力を与えたのは私だ。
 朝廷に戦が迫ると、望は風の力を披露し、戦場での働きを願った。
 私は唖然としたよ。
 人を殺めず、咎めず、許す人だと信じていた望が、戦場で風の技を使うとなどと。
 必死に止めたが、聞き入れてもらえなかった。
 望は戦場で、数々の武勲を上げ、数多の褒美を貰ったよ。
 だが、兵士側の顔を立て、公には、風の事は、天変地異のためとされた。
 褒美は、占いの報償という扱いになった。
 この働きで、望は更に朝廷との関わりを深め、政の中でも重いものを占うようになった。
 玄雨神社は繁栄した。
 だが私の心は暗かった。
 何故、あれ程の人がこうも変わってしまったのか。力は人を狂わせるのか。
 そう何度も自問自答したものだ。
 新たな戦が起こった。
 気脈の見えぬ望は近づく槍兵の姿を捉え切れず、投じた敵の槍に倒されてしまった。
 その亡骸は、この神社の裏で眠っている。
 今朝、純と一緒に合掌したのは、望の墓だったんだよ。
 術師を失った朝廷側は動揺したが、なんとか兵力戦で巻き返したらしい。
 朝廷は望が行っていた占い方をどうするかで、もめた。
 玄雨家のこれまでの功績は大きい。
 その一番弟子に白羽の矢が立った。
 そう、つまり私だ。
 だが、私は役に付くあたり、一つ条件を出した。
「術師を失う事は大きな痛手。術師は戦場で戦わず、事前の占いに力を注ぐが肝要」と。
 望の働きを快く思っていなかった兵士方が賛同し、私は朝廷の占い方に任ぜられた。
 そして、家督を継いだ事をもって、名を「さき」から「雫」へと変え、今の玄雨雫となった。

■雫の舞い

 パチパチと弾けるたき火の前で、雫は語り終えた。
 話しの途中に見せた悲しそうな表情は、師匠であり、弟子である玄雨望を悼んでのものだろうと、純は思った。
 もし、ボクが視えなかったら、本当に教えられないんだ。ボクも教えてくださいとは言えない。そう純は思った。
「さて、ちょうど良い頃合いだ。かがり火を用意したら、舞うとしよう」
 二人はかがり火を用意した。
 純に見せる為の舞いだから、あらかじめ用意した機材で拍子を流す準備も整った。
「純、私が扇を前に差し出したら、拍子を」
 そう言うと、雫はゆっくりと扇をとじたまま上に上げると、す、と前につき出した。
 拍子が流れ始め、舞いが始まった。
 流れるように動き、時には速く、時には緩やかに。
「綺麗だ」
 純は思わず声に出していた。
 空気がだんだんと張りつめて行くのが感じられた。
 舞いが半ばになった頃、風が吹いて、満月が雲に隠れた。
 さらに風が吹いて、かがり火が消えた。
 真っ暗になった。都会とは違う、山奥の真の闇。
 純は驚いた。漆黒の闇の中のはずなのに、舞いを舞う雫の姿だけは、浮いて青白くはっきりと視える。
 舞台も客席も漆黒の闇に覆い尽くされている。
 まるで、雫一人が宙に浮いて、舞いを舞っているようだ。
 月が姿を現すと、さらに不思議な光景が現れた。
 月明かりで、客席と舞台がおぼろに見えるようになった。
 だが、純の目を見張らせたのは、舞っている雫の姿だった。
 身体に、青白い光の帯をまとい、それが扇の先に流れて行く。
 雫が扇を開き、風を起す所作をすると、その光が扇型に広がって行き、触れた木々をそよがせた。その光はやや緑がかって視えた。
 舞いの最後になった。雫は扇を閉じると、扇の先で光の筋を作りだすと、それをそっと切り離し、純の方に流して行った。
 光の帯は緩やかに純の方に流れて行く。
 その美しさに純は見とれていたが、光が自分の頭上に来ると、立ち上がりその光を掴んだ。
 途端、光の帯はさながら蛍が舞い散るかのごとく消え去った。
「視えたか」
 純に尋ねるのではなく、自分に問うように雫は言った。
「視えました」
 純は答えた。
「望さんの舞いを視た、雫さんの気持ちが分かりました。とても美しかった」
 気がつけば、純は涙ぐんでいた。

「いいわね〜、羨ましいな」
 アリスは執務室で、雫の声を聞くと、ちいさく微笑んだ。

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第3話 巫術師 玄雨雫と修業

■アリス、壊れる

『アリス、純の修業の事で重要な話がある』
 執務室のアリスは、いつもと違う雫の口調に嫌な予感を覚えた。
『なになに〜。脅かしっこはなしよ〜』
 口調はいつもの能天気モードだが、ちょっと額に汗が滲んでいる。
『玄雨流巫術の修業の一つに、肌合わせの儀というのがある』
 アリスは、自分の嫌な予感が的中しつつある事を、嫌な気持ちで感じた。
 は、肌合わせ、聞くからにイヤらしい響きがあるじゃないの!
『言葉の響きから、Hな感じがするんだけど〜まさかね〜〜』
 冷静な口調で雫は続ける。
『多分、アリスの想像に近いと、思う』
 これがアニメなら、ブッと鼻血を出してのけ反るアリスが出てきそうなくらいの衝撃をアリスは受けた。
『儀の説明をする』
 お構いなしに雫は続ける。
 雫ったら、玄雨神社に戻ったら、初めて会った頃の雫に戻ってる気がするのは、ワタシだけ?とアリスは思った。
『師匠の気脈の流れと弟子の気脈の流れを循環させる事で、弟子の気脈の向上を図る修業だ』
 おろおろと、いや、おそるおそるアリスは尋ねた。
『あの〜〜、それって、やっぱり』
『そうだ。裸になって抱き合う儀式だ』
 私の雫が、私の雫が、純くんとは言え、他の人と裸で抱き合うなんて〜〜!!
 うおおおおおおお〜〜〜〜〜〜!!!! 声にならない声をアリスは発すると、机の上のブランデーの瓶を思いっきり床に叩きつけた。
 ブランデーの瓶は砕け散り、執務室中に芳醇な香りが立ち上る。
 イメージ的には、頭から湯気をあげているアリスがぴったりな状況である。
 物音に驚いた警備のサーバントが執務室のドア開け、入ってきた。拳銃を構えている。
 執務室の状況を見て、銃を収めると、見なかったふりをして戻って行った。
 良く気のつくサーバントで、アリスは助かった。
 まあ、頭から湯気を出したようなアリスが、真っ赤になって肩を怒らせ、息をはあはあしていれば、誰でも部屋から出て行くものでは、ある。正直、相当怖い。
『落ち着いたか?』
 爆弾投げ込んだ本人が、さらっと言った。
 キッと顔を上げると、アリスは口をピクピクさせながら言う。リンクなので喋りはしないのだが。
『し、雫ぅ。その話、弟子入りの時、してない、よね』
『無論だ。してない』
 ぐあああああ〜〜〜〜〜!!!アリスは頭を抱えた。
『し、雫ぅ。私の気持ち、判るぅ』
『後から知るよりも、と思って今、伝えている』
『そ、それ、ぜっぜっ絶対やらないと、イケナイの!!」
『儀は行わなくては、修業にならない』
 アリスは、泣きだした。大泣きしている。こんなに壊れるアリスは、この数百年の中で、おそらく、無い。
『うええ〜〜〜〜ん。雫のばかぁ〜〜〜〜』
 しばらく、非常に気詰まりな空気が、多分、米国のファイブラインズ社のCEOアリス・ゴールドスミスの執務室と、日本の山奥の玄雨神社の稽古場に流れた、はずだ。
『で、ここからが本題なのだが、聞いてもらえるか。アリス』
 え、何? これだけの破壊力の爆弾投げ込んどいて、その上何かあるの。もう何この展開。やだ、あたし。
 こうなりゃヤケクソよ。
『聞くわよ!雫』
 なんとなく咳払いの気配がした。
『その儀なのだが、純の神への昇格の儀の後に、三人で行う事を提案したい』
 さ、三人でって。ナニソレ。
 アリスの中で、何かが弾けた。思考が一瞬停止して、すぐに回復する。
『今、一度に二つの提案したでしょ。それ、ルール違反よ、雫』
『判った。その件は謝る。しかし、これは両方の承諾が無いと、成立しない。そうでないと、純の神への昇格が出来ない』
 アリスは、はっと気がついた。神が三人、いや三柱になると言う事は。
 仲間が増えた嬉しさで、その事をすっかり忘れてた!!
 いや、本来ならそれは気がつくアリスだったが、雫の発熱事件、純のコード3の発動と、インタラプトイベント満載で、実務が溜まりに溜まり、そんな事を考えている暇が無かったのだ。
『つまり、同じ事、なのね』
『そういう事だ。…で、アリスはいつ、こっちに来られる?』
 アリスは、気がついた。あれ? これって、デートの口実を探す初々しい感じがぷんぷんするんですけど。
 仕返しだ!よし、弄っちゃおう。
『雫の発熱と、コード3に関わるもろもろの手続きで、2週間分くらいタスクが溜まってしまったの。消化するには、私の最大速度でも、一月半はかかるわ。その後ね」
 どうだ!うろたえろぉ雫ぅ!!!
『そうか、そうなると、前の話に戻るのだが』
 え、イヤな予感再び。
『肌合わせの儀を行わないと、修業が止まってしまう段階まで、あと二週間くらいだ。仕方ない、こちら単独で進めさせてもらいたい』
 いや〜〜〜〜〜〜〜!!!物凄い爆弾投げ返してきた〜〜!!
 アリスは机の上のブランデーを床に叩きつけようとして、ブランデーが無いのに気がついた。
 さっき投げつけたわ、ソレ!※@*※@*!!!
 アリスは心の中で、言葉にならない叫び声を上げた。
『大丈夫か、アリス』
 はあはあ。肩を怒らせ、息が荒い。
『大丈夫なワケ、ないでしょう!! あたし泣きたい』
『もう泣いていると、占いに出ている』
 ナニ!
 あ、雫、この話する前に、占いで相当戦略立ててんのね。としたら、本当に行けるタイミングも突き止めてる。
 アリスはサーバントリンクを呼びだして、タスクの確認をする。
 あ、二週間で終る。というか、行くくらいの時間が作れる。
 待てよ、ヘリポートの方は。
『ヘリポートの工事の進捗は、現場の人に聞くと、やはり二週間後だそうだ』
 雫ぅ〜、リンク以外で心読むのは反則よ〜。
『気にするな、アリス』
 は〜、そう言えば一滴の時に懲りたんじゃなかったっけ。雫相手に心理戦やろうとか、最大級の無駄だってこと。
 あれ?突っ込んでこないわ?
 なんで?
『ただ、道の方は途中までしか出来ないらしい。だからその』
 ん? なんだか様子がおかしいぞ。
『純にも説明する必要もあるから、初めて会った時のように』
 アリスは、ピンときた。
 そうか!そう言えば、暫くちゃんと会ってないし、場所もあそこだ、あの時を再現したいんだ!
『皆まで言うな〜!!判った〜〜〜〜!!それに今まで私の心をもてあそんだ事も、全部許してあげる!!二週間後ね。行く!!絶対行く!!例え大統領の葬儀が入っても必ず行く!!』
 この後、アリスが出発するまでの間、要人の警護が重要になったのは間違いない。
『それは大丈夫だ。何も起こらないと占いに出た。心配だから一滴にも占わせたが、同じ結果だ』
 雫、そうとう事前準備したのね。一滴まで動員するなんて。
 一滴。
 …あ!
 アリスはニヤリとした。私の仕返しは、一滴ちゃんがやってくれるか、やっちゃったんだ〜〜。
『分かったわ。詳しい日程は、後で送るから。…でも、一言いっていいかしら?』
 アリスは初めて、リンクの向こうで雫が弱っているのが判った。
『アリスが言いたい一言は判る。「一滴、やっておしまい!」だろう。それは既に一滴が承知している』
 うぷぷぷぷ。あったり〜♡
 アリスは、心の中で笑ったのに、つい、手を口に沿えてしまう。
『それと、来る時に純の医学的検査の資料を持ってきて欲しい。例の件もその時に説明する必要がある』
 別の爆弾、ではないが、大きい案件が来た。アリスは冷静さを取り戻した。根っからのビジネスウーマンである。
『あの件ね。そうか、確かに伝えないと、いろいろ拙いわね。分かった、資料作って持ってく』
『忙しいのに、済まない』
 少し間が空く。なんだか、もじもじしている雰囲気がアリスに伝わった。
『ええと、来てくれるの、嬉しい、ありがとうアリス』
 相当照れてる雫の声が聞こえてきた。
 これだ! これが一滴の仕業だ!ありがとう一滴、君は最高だ!
 アリスは思わず両拳を握りしめ、ガッツポーズを取ってしまった。
 そのあと、一滴が言わせた事とは言え、雫の言葉がじわじわ、来た。じわじわが血液に乗って全身に行き渡る。
『では、忙しい中、失礼する』
 まるで、雫は電話のようにリンクでの会話を打ち切った。
 執務室の外で警備するサーバントは、中から漏れでる雰囲気がくるくると変わるので、気が気ではなかった。
 がちゃっ。執務室のドアが開くと、緩み切った顔のアリスがスキップしながら出てきた。
「執務室の掃除、よろしくね〜〜♡ ちょっと休憩してくるから〜〜♪」
 スキップしながら去って行くアリスを見ながら、アリスの喜びが伝播して、自分も少し嬉しくなったサーバントであった。

「話終りました? 雫さん」
 耳を塞いでいた純が、雫に尋ねた。
 アリスと二人きりで話がしたいからと、純にリンクから外れてもらっていたのだ。
 まだ、イメージが上手く出来ない純は、耳を塞ぐという身体感覚を使って、遮断する方法を取っていたのだ。
「もういいぞ。純」
 耳から手を外すと、アリスの鼻歌が聞こえてきた。
 なんだったんだろう。
 雫を見ると、背を向けている。微かに見える耳の先が少し赤くなっているような気がした。
 純は、見てはいけないものを見ている事に気がついて、ささっと目をそらすと、「そ、掃除してきます」と言って逃げ出した。
 雫は、一滴に心の声で言った。
(い、言ったぞ。一滴、約束守れよ)
 一滴の心の声が雫に届く。
(はい雫さま。私の占い通りだったでございましょう。 これで私を夢に視る事なんてありません。夢に見るのは負い目と言う…)
(分かった、知っている、というか、お前の知っている事は私も知っている! 下がれ、一滴)
(承知しました雫さま。ご用の際はなんなりとぉ)
 と、語尾をやや伸ばして一滴の気配は消えた。
 気がつくと、雫も純がしていたように、両耳を手で塞いでいた事に気がつき、慌てて手を下ろした。
 一滴になんて、相談しなければ良かった!と雫は思った。

■アリス、奮闘す

 にやついたアリスの顔は、休憩後には元のビジネス然とした顔に戻り、雫に会えるという最上級のモチベーションの効果で、執務の処理スピードは、嫌が上にも速まって行く。
 元々神である彼女は数時間の睡眠で残り全部働いても、何の支障もないほどの精神力と体力を持っているのに加えて、それにジェットエンジンを搭載したような状態が、今のアリスである。
 タスクが瞬く間に消化されて行き、通常のプロジェクトでは、多分、いや、絶対に生じない、前倒しのリスケジュールが何度も繰り返される。
 爆音を上げてタスクを処理して行くアリスは良いのだが、スケジュール管理を行っているサーバントの方がダウンし、一時的な人員配置の調整などが生じ、アリスが詰めた時間が、結局元に戻る、という事態が生じるに到って、アリスは反省する。
「スケジュールは守らないといけない!例え速く終ってしまうとしても!もし速く終るようにするなら、それによって生じる負荷でのクリティカルチェーンを把握し、事前対処が重要です」とサーバントリンクに記録した。
 反省のしどころが、組織により負荷をかけている気がするが。
 きっと、日本から戻ったら、本格的な組織改革に取り組むに違いない。
 ビジネスの鬼は恐ろしい。

■純、修業する

 一方、玄雨神社での純の修業の方は、実に淡々と進んで行く。
 日が昇れば、起き、稽古をし、遅めの朝食を二人で作り、食べ、稽古をし、日が沈むと夕食を二人で作り、食べ、風呂に入り、寝る。
 夕食後、時折、雫はお酒を嗜む事がある。
 しんと静まり返った山奥の玄雨神社で、花鳥風月を愛でながら、雫は純米原酒に羊羹という、常人なら糖尿病になる組合せで、つかの間の時間を過ごす。お茶と和菓子で、純も付き合っている。
 一度、純は雫に尋ねた事がある。
「お酒に羊羹って、合うんですか?」
「日本酒は発酵度数が高い。辛めの酒は、甘いものが合う。ウィスキーとチョコレートなどがそうだ」
 あ、そうか。と純は思った。和菓子を切って食べる。
「昔からの作り方をする店が少なくなった。良い品が手に入り難い」
 雫は少し哀しそうに杯に口を付けた。

 食事の習慣は、雫が生まれた頃の一日二食となっている。
 一日二食と聞いて、純はちょっと不安になったが、同調の効果もあり、特に不自由はなかった。
 稽古の中には、古い巫術の本を読む事も含まれている為、昔の本の読み方を覚える必要があったが、純に書道のたしなみが有った為、和とじの古い書物をすらすら読めるようになるまで、それ程時間はかからなかった。
 舞いの稽古が終わり、気脈の操り方を覚える段階になる。
 この段階で、稽古は夜に行われるようになった。気脈零脈を見やすくするためだ。
「気脈と霊脈は、基本は同じ。同じ血液でも、静脈と動脈と言うようなもの。身体の外にあるものを霊脈。身体の中にあるものを気脈という。身体から出て行ったものも、しばらくの間は気脈と言う」
 雫はそう言うと、立って純に視せた。
 雫の足下から、青白い光が上ると、それは、身体の周りを巡り、扇に達し、扇から外へと流れて行った。そして、流れて行った途中で空気に解けるように消えて行った。
「視えたか」との問いに「青白い光が見えました」と答える純。
「身体に沿って動いた青白い光が気脈だ。そして、この辺りにうっすらと漂ったり集まったりしているのが、霊脈だ」
 と扇で虚空の一点を指し示す雫。
「視えるか?」
 必死に視ようと目に力を込める純だったが、何も見えない。
「…視えません」
 ふっ、と口元を緩めると、雫は言った。
「視ようと力を込めるほど、視えなくなる。むしろぼんやりと全体を眺めるようにした方が良い。視点を動かさず、眺めるようにすると視える」
 視点を動かさずにいるのは、人の本能に逆らう動作なので、純は初め少してこずっていたが、やがてコツが分かると、視える世界が少しずつ違って行く事に気がついた。
 場所によって、景色がゆらゆらと揺らめいたり、ぼおっとした青白い光が漂ったりするのが、視界の外側に感じるようになった。そこを視て見ようと視点を動かすと、それらはたちまち視えなくなる。
 コツが分かってきた。
「掴めたようだな」
 こころなし、雫も嬉しそうだった。
「では、先程の扇から気脈を飛ばすのをもう一度行う故、霊脈を視る遣りようで視てみよ」
 全く違って視えた。
 雫の足下の稽古場の下の方からぼんやりとした青白い光が集まって行くのが感じられ、雫の外側にもぼんやりとした青白い光を放つ気体の集まりが、揺らめいているのを、純は視て取った。
 さらに、雫の身体の中のあちこちにも、ぼんやりとした青白い光を放つ気体が、大小様々に視て取れた。
「身体の中で幽かに光っているのも気脈だが、これは操っていない気脈。それを集めて使う方法だが、これは最後の手段。万が一、霊脈が尽きた時のものだ」
 と言って、動かしてみせる。
 霊脈を足から入れるのを止め、身体の中のぼんやりとした気脈を、少し集め扇に先に乗せた。蛍のようだった。
「ここは、霊脈に満ちている故、身体から気脈を取り出しても、周りから容易く取り入れる事が出来る。大事ない。だが、霊脈が枯れている所でか様な事をすると、疲れて動けなくなる」
 気をつけろ、と雫は結んだ。

 ある程度、純が気脈、霊脈を動かせるようになった頃、ちょうど約束の二週間が過ぎた。

■約束の日

 その日、見慣れない垂直離着陸機が、玄雨神社の上空を通過すると、出来たばかりのヘリポートに着陸した。雫がアリスに頼んだように、そこにヘリポートがある事など、空から見なければ、おそらく誰にも判らないだろう。
 その後、妙な音が聞こえてきた。
 まるで時代劇で聞こえる、あの馬が走ってくる音にそっくりだった。
 雫と純は、稽古場ではなく、神社中央奥の部屋にいた。昔、雫が時の権力者と会う時に使った部屋だ。
 蹄の音は、階段の下で消えると、足音が響いてきた。
 中央右手の来客用の玄関で、バタバタと靴を脱ぐ音が聞こえてくる。
 さらにバタバタと足音が響く。
 襖が激しく左右に開くと、凄い勢いで乗馬服を着たアリスが飛び出してきた。大ジャンプだ。
「雫ぅ〜〜〜〜!!! 会いたかったよ〜〜〜〜!!」
 違うだろ、ソコ。あの時は、飛び込んでこなかったぞ、アリス!
 雫の眉がぴくぴくと動いた。
 雫はあの日を再現し、純に説明したかった。
 ふっ、と軽く息を吐きだすと、雫は仕方ないな、というしぐさで立ち上がった。
 そこに、アリスが抱きついてくる。抱き合うはずが、体躯の差が大き過ぎて、単なるタックルになってしまい、二人揃って倒れると、畳の上をしばらく滑べって行く。
 その様子を目を丸くして、ぽかんと視ている純。
 なんなんだ、コレ。
 誰でもそう思う感想を純は持った。
 あ、そういう場合じゃないと気がつくと、二人に近づいて行く。
「大丈夫ですか、雫さん! アリスさん!」
 二人は動かない。
 アリスの下から、雫の声が聞こえてくる。
「く、苦しい。アリス、どけ」
 アリスは言う事を聞かない。
「いやだ。ずっと待ってたんだから。今日が来るの」
 雫がそっと言った。
「おい、純が見ているぞ。順番が違う」
 ぱっと凄い勢いでアリスが雫から離れる。
「ごめん、ごめん。早く雫の所に行きたくて、勢いつき過ぎちゃった〜〜。あははは」
 巫女装束の襟を直しながら、フンと雫が鼻から息を噴きだした。怒っている。
「まったく、台無しだ。あの時は、きちんと襖を開けて、そこに正座して、挨拶して、近づいてきたら、あっ」
 雫の口は、アリスの口に塞がれて、雫は何も喋る事が出来なくなった。
「やめろアリス!本気で怒るぞ!」
 なんとかアリスから離れた雫がアリスに怒鳴る。
「あの時も、最後はこうなりましたあ〜。それに、私が抱きついて、抱き返してくれたのは、雫じゃない」
 歯がみする雫の顔が少しずつ怒りで赤くなって行く。
「ああ、確かにそうだ。だが、純が固まってるぞ!」
 アリスがそっと、恐る恐ると言った方がいいのか、首を回すと、目を見開いて、口元を右こぶしで隠すようにした、純が、確かに固まっていた。
「ええいもう!ゆっくり話そうと思っていたのだが、仕方ない。純、はっきり言う。私とアリスはそういう関係だ!」
 きゃあ、とアリスが囃し立てた。
「雫のカミングアウト〜〜〜!」
 雫は、ギリッと青白い眼光を発しながら、アリスの方を見た。
「ちゃかすなアリス!」
 本当は殴ってしまいたいのを我慢しているのか、雫の両拳がプルプルと振るえているの見て、流石のアリスも反省する。
「…ごめん、雫。でもほんとに会いたかったんだよ〜」
 しょんぼりしたアリスが、上目遣いで、身長差があるので、実際は違うが、そんな感じで言った。
「黙れアリス! もういい! それより純だ」
 さっきにもまして固まったいる。石化呪文かけられた勇者のようだ。
 雫は、純の前に正座すると、頭を下げた。
「お詫びする。大変申し訳ないまねをしてしまった」
 雫はギロリとアリスを睨むと、アリスも同じように正座して、頭を下げた。
「すみません。ごめん、純くん。許して」
 純は少しずつ身体が温かくなってきたのに気がついた。
 足下を視ると、両手を突いて頭を下げている雫の手元から、気脈が流れ、畳を伝い、純の足から身体に流れ込んでいるのが視えた。
 少し力を抜いて、純が言った。
「頭上げてください。雫さん、アリスさん。女神さま二柱に頭を下げられたままだと、ボクに天罰下りそうです」
 良かった、と、心の中で呟いて、雫が頭を上げた。
 少し遅れて、アリスも頭を上げる。
 さて、どうしたものか、雫が思案していると、純が聞いてきた。
「あの、さっきから言ってる『あの時』って何ですか?」
 ふっと力を抜いて、雫が言おうとする。が、アリスが先にその口を開く。
「あたしは、数百年に渡って、同族を探していたの。その時、日の本の国に、扇で突風を起し、敵軍を退け、不老不死の巫女がいるという文献をみつけた。嬉しかった。でも、文献の真偽が判らない。日の本の国に行って確かめたかったけど、その時この国は鎖国していて、出来なかった。もちろん、強引な方法を取れば、入国する事は出来るかもしれないけど、探すとなると、難しい」
 ふっと息を吐くアリスの間を、雫が繋いだ。
「それで、アリスは、列強を使い、日の本の国を開国に追い込む策を錬り、実行した。その結果どうなったかは、歴史の通りだ。そして、充分な準備をして、アリスはこの国に来た。不老不死の巫女の話を新政府に聞いたが、いっこうに判らない。上手く行かない。そしてたどり着いたのが、徳川家最後の将軍職、慶喜公だ」
 いきなり歴史の授業のような展開に、純が戸惑っていると、続きをアリスが話し始めた。
「古い話を知りそうな人物という意味じゃないけれど、明治政府より江戸幕府の方が、可能性があるかもと思って、で、最後の将軍に会ったのよ。あ、私が会った事や、列強動かした事なんか、絶対歴史の授業じゃ出てこないから。私の会社も、ネットで調べても絶対出てこないのとおんなじ。大事な情報は、簡単に見つからないのよ〜」
 だんだんと普段のアリスに戻って行く。
 こほん、と咳払いして、雫が続けた。
「慶喜公とは、とある件で文のやり取りをした事がある。もちろん、公は将軍職に着くにあたり、この神社を訪れ、私と会っている。だから、アリスが、不老不死の巫女と問えば、玄雨神社の玄雨雫、と答えただろう。そして、アリスを連れて、ここに来た。公と挨拶をし、公が帰られた後、待っていたアリスが、きちんと障子を開けて、そこ」
 と扇で示す。
「に座って、私に礼をし、丁寧に口上を述べた。そして、目を見た。私もアリスの目を視た。そしたらだ、いきなり抱きついてきた。驚いた」
 雫はむすっと黙り込んだ。
 アリスが話し始めた。が、どうも様子がおかしい。
「アリスは、アリスは、ずっと一人だった。何百年も、何百年も。必死に探した。同族を。仲間を。そして見つけたのよ! 目を見たら判った。この人が探していた仲間だって。同族の一人だって。嬉しかった。気がついたら、抱きしめていた」
 肩を震わせて、下を向いているアリス。畳に、涙の跡が付いていく。
 ふっと顔を上げると、右にいる雫に優しく抱きついた。雫は怒らない。すっと畳の上で身体の向きを変えると、アリスを優しく抱きしめた。
「そう。こんな感じだった。温かかった。嬉しかった」
 いつもの能天気なアリスからは、想像も出来ない、弱さをさらけ出したアリスだった。
 見れば、雫の目も潤んでいる。
 「私も嬉しかった。この世に同じものがいるとは思っていなかった。いや、思っていた。いて欲しいと。いつも、私の周りの人は次々に死んでいく。立派な人も、尊い人も。そして、私だけが取り残されていく。だから私も、アリスの目を見た時、判った。いや、感じたのだ。この人は、私と同じなのだと。人の目は、溜まった哀しみを映す。永く生きればそれだけ深い哀しみが溜まる。アリスの目を見て、私と同じ目だと、思った」
 雫は、ふっと抱きしめる力を緩めると、アリスから少し離れ、純の方に向き直った。
 すっと雫の背筋が伸びた気がした。
「ここまでの修業、見事であった。よく上達した、純。そなたの神としての資質、神と成るに足ると、玄雨雫は、巫術玄雨流当主として、いや、日の本の神として認める」
 アリスも身体の向きを純の方に向けた。が、まだ顔は下を向いている。
「ごめんね。純くん。見苦しいトコみせちゃって。ここで、この同じ場所で、雫があの時と同じ巫女装束でいるの見たら、もう、堪え切れなくて」
 アリスは、しばらく肩を震わせていた。
 顔を上げると言った。
「私、アリス・ゴールドスミス、ファイブラインズ社CEOとしてではなく、西洋の女神として、純くんを人から神に昇格する事を認めます」
 なります、と純が口にしそうになる直前、雫が厳しい口調で言う。
「純、神になると言う事の意味を説明する。少々感傷的な気分が多い状態だ。説明を聞いて、統べてに得心が行った場合のみ、神となる事を承諾すべし」
 純は、言いそうになった言葉を飲み込んだ。
「まず、どのような神になるかは、成ってみないと判らない。私のように不老不死になるか、あるいは、アリスのようになるか、不老不死の辛さは、先程、私が述べた通りだ。アリスの辛さはアリス自ら話してもらう事として、共通する問題がある」
 アリスが、口を開いた。
「私たち、血を飲むの」

■神の正体

 純は頭が痺れた。考えられない。
 雫が話す。
「その話の前に、純。実は君の性、正確には性別について、君の認識と身体に食い違いがある」
 えっ、と純が顔をあげる。
「純、君は、正確な意味では、男性ではない」
  言っている意味がしみ込むのに、数秒かかった。
「え〜〜〜〜〜!!!」
 玄雨神社御神体拝礼の間の空気が純の驚きの声で振動した。

 ひとしきり純の叫び声が収まった後、雫は何事もなかったかのように話を続けた。
「アリスの会社の医学検査の結果判明した所、君の体内に、女性器一式が胎児のサイズで存在する事が判った。同様に頭蓋内にも、吸収されかなり小さくなってはいるが、別の固体の脳細胞の固まりが見つかった。どうやら君は二卵性双生児で片方の女の胎児を取り込んだようだ」
 その後をアリスが、いつも間に取り出したのか資料を広げて説明し始めた。
「そうなのよ〜。ウチの検査じゃないと絶対判らないと思うけど、ほら、ココとココ。見つけた時は、ビックリしちゃった。これが拡大図ね。ちまみに、これが、女の赤ちゃんの。ほら、同じでしょ。で、この別の固体の脳細胞は、生きてて、あなたの神経ネットワークにリンクしてる。あなたの意識にも影響を与えてるの」
 純は広げられた資料を、目を皿のようにして見詰めるしかなかった。
 うそでしょう?
「信じられないのも無理はない」
 雫が優しく純を見詰めて、続けた。
「ただ、純が本来は女性である証拠がある」
『この声が聞こえるだろう』
 雫がリンクで純に話した。
『聞こえます。だから、ボクに神になる資格があるって』
「そうだ」
 話すのを肉声に切り替えて、雫は続けた。
「私とアリスは、神の為の資質について、長年、と言う言葉では表せないほど、協議した」
 アリスが話す。
「それでね、判った事があるの。まず、女性であること。もう一つが、さっき言った血を飲む事。ただ、この血を飲むっていうのは、一般に言われる吸血鬼とはかなり違ってて」
 雫が引き取った。
「初潮、生理、月のもの、で出血した時、血を飲みたい、という衝動に見舞われる」
 純は気がついた。雫が少し苦しげである事に。
 それに気付いたアリスが先を引き取った。
「飲む血は、人のものでなくてもいいの。生き血でなくてもかまわない。純くんの性別の話に戻すわね。純くんは、私たちとリンクができてるのに、男性。神の資質についての仮説が間違ってたのかな〜って思ったら、さっきの純くんの身体の事が分かって、それで、純くんの本来の性別は、女性だって分かったの。君の中の女性の脳が私たちとリンクさせてるの」
 雫がもう一つ、と言って話した。
「純、気脈が視えただろう。玄雨神社が女性だけの神社、と言う話は修業の時にした。何故か。女性、しかも、乙女しか玄雨流巫術師になれないからだ。そして、修業し純は才を示した」
 雫が少し厳しい口調になった。
「純が神になると、身体はやがて完全に女性になる。私たちと同じ女神になる」
 少し区切ると、少し優しい口調になった。
「神にならなければ、今のままだ。純、君は今でも半神なんだよ」
 純は怒濤の展開に、目を見張り、口を開いて聞いているしかなかった。
 これだけ、証拠を突きつけられたら、認めるしかない。
 神になると、女性になる。男から女に。
 あ。
 純は気がついた。
 純は、おそるおそるその事を尋ねた。
「と言う事は、神になると」
 その意味を汲んで、雫が言った。
「人としての神峰純は死んだ事になる。もうご両親とも、知り合いとも他人になる。例え会っても、別人だと思われる」
 アリスが優しく言った。
「辛い選択だと思う。だから、きちんと考えて、決めて欲しいの。純くん」
 雫が、固い口調で言った。
 その顔は何時にも増して、辛そうな、そして哀しく、苦しそうだった。
「神になり、女性になると、月のものが来る。出血した時、吸血衝動が起こり、人を襲うかもしれない。その悲劇を知っておいて欲しい」
 アリスは、雫がとても重い事を言おうとしているのに気がついた。
 雫は、すう、と息を細く吸って、言った。

「私は、これから『彦』について話す。良く聞いて欲しい」

第4話 巫術師 玄雨雫と儀

■『彦』

 アリスの方を向くと、雫は、頼む、と言うように頷いた。アリスも頷き返す。
「もし、私が意識を失ったら、一滴を呼んでくれ」
 アリスは、一言も言わず、もう一度頷いた。
「『彦』は、私の弟だ。二人で木登りしている時、私に初めての月のものが訪れた。出血したのだ。そばに『彦』がいた。腕の血管が見えた。噛みついていた」
 雫の息が荒くなっていく。
「彦は慌てて、木から落ちた。そこから良く覚えていない。気がつくと、地面は血だらけでその中に、『彦』が倒れていて、私はその、その、『彦』の血を、舐めていた。そして気を失った」
 肩で息をしながら、雫は下を向いた。そんな雫の左手をアリスは優しく握った。
「『彦』の死は、誤って木から落ちた為だと、大人たちは考えた。私は、初めての月のものが来たら、すぐに、この玄雨神社に入社する約定だった。だから、『彦』の弔いにも、出る事が出来なかった。大人たちに責められはしなかったが、『彦』に謝る事もできなかった」
 アリスの握る手の上に、自分の右手を重ねた。
「一六堂で、お前が持った『彦』の鍬の刃は、『彦』が使っていたものだ。今思い出すと、お前は『彦』に似ているかもしれない。だから、多分」
 熱が出たのね。アリスは、判った。
 一滴の分析は恐ろしく正確だった。
「すまん、アリス。一滴を呼んでくれ。少し代わりたい。この後の事は言い含めてある」
 アリスは、小さく頷くと、雫の右耳に口を寄せると、「一滴をここへ」と呟いた。
 雫の首がこくり、と落ちると、雰囲気が変わって行く。すっと顔を上げると、造作は同じものの別人になっていた。
 既に見ているアリスには、何でもないが、始めて見る純には何が起こったか判らない。
「初めまして。純さま。私は、雫さまが精神的に耐えられなくなった時の、危機回避のために用意された、『一滴』と申します。多重人格とは違いますが、そのようなもの、とお考え頂ければ宜しいかと存じます。まずこの度は、わが主、雫さまの『彦』のトラウマの解除にご助力頂き、ありがとうございます。これ以降は、『彦』の鍬と純さまを一度に見ても、発作は起さなくないましょう」
 いったん、話を区切ると、一滴は続きを話し始めた。
「雫さまの例を上げるまでもなく、神となれば、そのような悲劇が起こる可能性がある、と御承知置きください」
 一滴の言葉が、重み伴って純の心に響く。
「ただ、昔と違い、今は対処の方法もございます。このように」と、巫女装束の懐から、赤い液体の入った容器を取り出した。献血のパックに似ている。
「出血した場合、衝動が来る前に、あるいは来た時に、他を見ず、これを見れば、悲劇は防げます。ただ、中身は血ですので、飲んでいるさまは、人からは忌み嫌われます」
 一滴は、アリスの方を向くと言った。
「純さま、雫さまのお話、私のお話、良く良くご吟味くださいませ。最後に一つ。『彦』の悲劇の衝撃で、それ以後、雫さまには月のものは訪れておりません」
 そう言うと、一滴は一礼した。
「私のお役目はここまででございます。どうぞアリスさま」
 一滴に促され、アリスは一滴を戻す言葉を言った。
「一滴、下がれ」
 かくん、と一滴の首が下がる。すうっと元に戻ると、雫になっていた。

■純、決断する

「さて、純。まず一つ、吸血衝動の事。承知出来るか答えて頂きたい」
 雫は、厳粛な口調で純に問うた。
 純は、つばを飲み込んだ。真剣を喉元につきつけられたような問いだった。
 純は自問自答した。
 吸血衝動の悲劇。それを覚悟する。
 ボクにそこまでの覚悟があるだろうか。でも、これに応えられないと、神にはなれないんだよね。
 そんな事より、巫術も多分、終わりだろうし。きっと、雫さんとも、アリスさんとも二度と会えなくなるんだよね。
 その言葉が心に沈んでいく。
 純の心の底で、強い感情が沸き起こった。
 そんなのは嫌だ!
 純は覚悟を決めた。
「はい、衝動の件、承知しました」
 いつの間にか、言葉遣いが変わっていた。数週間とは言え、雫と過ごした為かもしれない。
 雫は、ふっと少し力を抜いた。だが、すぐに厳しい表情に戻った。
「次は、人としての神峰純は死に、女神となる。この事承知出来るか答えて頂きたい」
 その前に、とアリスが口を開いた。
「吸血衝動以外の私の不都合の事、言ってないわね。あのね、純くん。私は雫と違って、不老不死じゃないから、いずれ死ぬのよ。でも、雫はあたしを、ここで会ったアリスと同じだと思ってくれる。どうしてだと思う?」
 そう言えば、確かにおかしい。純は気がついた。
「簡単に言うと、生まれ変わって記憶を引き継いでいくの。これの問題はね、何度も何度も人生を繰り返すの。つらいのよ」
 アリスは、繰り返される何かに胸が締めつけられたように、言葉を区切った。
「だから、どうしても、同じ仲間が欲しかった。同じ時間の長さで一緒に生きてくれる仲間が」
 アリスは下を向くと、また、涙を流した。
「アリス」
 雫は優しく、アリスの手を握った。
 そして、純の方を向くと、厳しい口調で言った。
「人としての神峰純は死に、女神となる。承知出来るか返答願おう」
 続けて、雫は言った。
「もう、父母、知り合いとは会えない。会ってももう他人と見られる。そういう覚悟があるか」
 順は歯を噛みしめた。
 だが、二つの問いの意味は両方とも同じだ。
 神になるか、人に留まるか。
 雫さんも、アリスさんも、ボクが知らなかったと後悔しないように、本当は言いたくない事を、苦しい過去の事を話してくれた。
 本当は、ボクに神になって欲しいんだ。
 でも、正直に、悪い事を教えてくれた。
 ボク、この二人が大好きだ。
 離れたくない。
 純は父母の事を考えた。
 ごめんなさい。お母さん、お父さん、ボクは人じゃなくなります。
 今まで育ててくれて、ありがとう。
 純は目が熱くなっているのに気がついた。すぐに、涙が溢れ流れた。
 純は目を閉じた。
 雫と、アリスは、その意味を察した。
 だが、黙って、純が口を開くのを待った。
 純が口を開いた。
「人として死に、神として生きます」

■神であること

 やった〜と、アリスが諸手を挙げた。
「まだ、説明していない事がある。アリス」
 ちぇ、という顔をして、アリスは黙った。
「神になると、行わねばならない事がある」
 雫が重々しく言うと、アリスがいきなり、雫の言葉を遮って言い出した。
「あのね、雫が言うと、難しいから、私が簡単に言うね!純くんが女神になると、雫と純くんが私の愛人になるの!どう、いいでしょ!」
 ぽかり。と雫がアリスの頭を叩く。
「あのな、アリス。正確に伝えないといけないだろ。かなり大事な事なんだぞ」
 雫の首に抱きついて、アリスが言う。
「みてみて〜純くん。あたし達仲良しでしょ〜〜。そうじゃないと、どうなると思う〜〜?」
 抱きつかれた雫は嫌そうだが、アリスが大事な事を言うと分かり、振りほどこうとはしない。
「もしよ、もし、あたしと雫が本気で喧嘩始めたら、どうなると思う?あたしは大統領や各国に核攻撃の指示を出して、世界中の軍隊使って、攻撃するわ。雫は巫術を最大限使うから、凄まじい気象災害、地震、天変地異が起こるでしょうね。巨大怪獣同士が、地球のあちこちで戦ってるようなになっちゃうわ。多分、人類は終りね」
 純は、二人が怪獣の着ぐるみ来て、戦ってる姿を連想した。それはそれで楽しそうだが、実際の事を考えると、寒気がした。
 アリスが先を言った。
「それにね、どっちが勝っても良い事ないの。雫がいなくなったら、天変地異は自動発動しちゃうし。あたしが死んだら、うちの会社崩壊するから、世界経済も数時間で崩壊して、物流や各国の政治調整機能が停止して、予定調和のない、泥沼の戦争状態になるわ。相打ちなら、その両方ね」
 にっこり笑って、アリスが続けた。
「どう〜? すごいでしょう〜? だからそーならないよーに、あたしこんなに雫の事、好きなの〜♡」
 首に抱きつく手の力が強くなって、雫がうげっという顔をした。
「やめろアリス。苦しい」
 じっとその様を見ていた純だったが、ぷ、と拭きだした。
「ほんとに仲がいいんですね〜」
 そう言うと、純は二人の首に抱きついた。
 純は、少し真面目な顔をして、雫に聞いた。
「人としての神峰純は死んで、ボクの名前はどうなるんでしょう?」
 雫があらかじめ決めていたように言った。
「神になった瞬間より、純の名前は、玄雨純となる」
 雫は純の背中にそっと手を回した。

■昇格の儀

「ジャ〜〜〜ン! これが、ウチの会社で作った『純くん改造マシ〜ン』よ〜〜」
 雫さんとアリスさんに付いて、御神体拝礼の間から、舞い舞台の観客席としても使う中庭の真ん中に、どうみても人体改造して怪人にするような機械がおいてあって、ボクがそれなんですか、ってアリスさんに聞いたら、そう言ったんだ。
 まんまじゃん!
「アリス、きちんと説明してないと、純が不安になる」
 って雫さんが言ったけど、アリスさんの悪ノリは止まらなくなってた。
「だって〜、人から女神に変わるんだもの。立派な『改造』じゃな〜〜い!」
 なんだか、アリスさんの顔がマッドサイエンティストに見えてきた。
 雫さんが、はあ、とため息をついた。
「アリス。私が説明するが良いか!」
 一括されてアリスさん、急に説明を始めた。きっと説明する役を取られるのが嫌だったんだと思う。
「さっきも説明したけど、純くんの頭の中と、お腹の中にあるもう一人の純くんは、ほとんど眠ってるの。で、その純くんが本当の純くん。自分でも、ときどき、そう感じた事あるでしょ?」
 ちょっと考えた。
 ある。
 二次性徴が始まった頃、なんとなく違和感があって、カウンセリングを受けたけど、性同一性障害、ってほどじゃなかったらしいけど。
「純くんの大部分は、男性のものだから、一般の性同一性障害とは違うんだよね〜。でね、この機械は、その眠ってる純くんを起す機械。どんな原理かは、ヒ・ミ・ツ。特許にも申請されていないウチの社のスーパーテクノロジーだから〜」
 え、技術って特許申請しないと、拙いんじゃ。
 って、そう言ったら、アリスさんがビックリする事教えてくれた。
「あのね。特許申請されたら、それはもう、普通の技術なの。そんなのいらない〜〜。ウチのラボは、公開されてる科学技術を年数で言ったら、少なく見ても、ざっと百年は進んでるのよ〜」
 そこで、雫さんが、思い出したように言ったんだ。
「そう言えば、アリスが乗ってきた垂直離着陸機、あれは、良く落ちると評判の機体に似ていたが」
 それを聞くとアリスさん、ますます嬉しそうにして、こう言った。
「嬉しい。良く聞いてくれました〜〜。好きよ〜雫ぅ」
 雫さんが、バカが。と小さい声で言ったのに気付いてるのに、アリスさんは続けた。
「見た目はそっくりだけど、中身は全然違うあたし専用の最新鋭機。といっても、機体の重要箇所、アレだとローターとかプロペラ部分とかだけど、落ちないようになってまーす。だって、あたしが乗るんだもの。アレは、あたし専用機を紛れさせるために使えそうだと思ったから、ホンのちょぉっとゴリ押しして、こっちの米軍に配備したんだよ〜。アリス先見の明ありすぎ〜〜。これもぜーーんぶ」
 ひと息すってから、アリスさん、こう言って雫さんに投げキスした。
「雫に会うためで〜す♡」
 雫さんが、右手を額に当てて、うなだれてる。
 ときどき雫さんがアリスさんを怒るの、だんだん分かってきた。
 ありがた迷惑の国際版だよね。そんな言葉じゃ表せない規模の。
 ああいう言い方されたら、雫さんが配備の原因で、そのために、配備反対とかで色々もめたのも、なんだか、バカみたいに思えてきちゃう。
「話が脱線してるぞ、いや、脱線させて済まない。続けて欲しい」
 迂闊なコト言うと、アリスさんの自慢大会に燃料投下しちゃうって、雫さん、気がついで、催促する作戦に変えたみたい。
「わかったわ♡ 雫ぅ」
 アリスさんの悪ノリは絶好調だよ。
「で、この機械に純くんが入って、私が、この」
 と言って、いかにも自爆装置の自爆ボタン、みたいなボタンを指で指したんだ。
「純くん改造ボタンを押して待つ事、1時間。チーンて音がしたら、女神さまの純くんの出来上がり〜。あ、身体は今のままだけど、ええと」
 というと、どこかと話しているみたいな感じでアリスさん黙ったんだ。でも、リンクの声は聞こえない。
 雫さんが教えてくれた。
「あれは、アリスがサーバントリンクと話している時の癖だ。アリスのサーバントは、意識を共有している。例えるなら、スーパーコンピュータみたいなもの、と思えば良い」
 ボクが初めに言った宇宙人、ていうの、あんまり変わらない気がしてきた。
「今、計算させたら、ざっと二週間くらいで、純くんの身体は、同年代の女の子とおんなじになるんだって〜〜。それとね〜。チンされた後は、男性機能、つまり精子を作る能力は、休眠状態になるから〜」
 チンとか電子レンジでカップ麺作るみたいに言わないで欲しい。
 レポートにアリスさんはいい人、とか書いたら、ダメだし食らった意味、だんだん分かってきた。
 いい人なんだけど、どっか、おかしい。
 って思ってたら、雫さんがこう言った。
「ああ、バカっぽくしてるのだが、純を緊張させない為の、アリスなりの配慮だ。遣りようは拙いが」
 それ聞いて、なんだか、納得した。
 アリスさんと雫さん、心底相手の事が分かってるんだな。絶対壊れない関係だから、ああいうドタバタできるんだ。
 その仲間になるんだ。
 と考えたら、ちょっと不安になった。
 ボクの役どころ、ドコだろう。
 ボクって、キャラ弱いって、良く友達から弄られてたけど。
 ぞくってした。
 この二人に弄られキャラとして確立しちゃったら。
 そういう心を見透かしたのか、雫さんが言った。
「純、今なら、まだ、引き返せる」
 優しい目でボクを見て、雫さんが言ってくれた。
「だが、私としては、やはり純に女神になって欲しい」
 あれ? 雫さん耳がちょっと赤くなってる。
 それ見たら、キャラ立てで悩んでた、ボクの心が静まった。
「よ〜し、純くん準備出来たよ〜〜。で、チンしたら、次は雫の出番だから〜」
 あれ?
 チンしたら、終りじゃないの?
「純、身体の女神化が終ると、身体の中でだが、初潮が起こる。吸血衝動が来る。それを少しの間、巫術で押し留める故、協力して欲しい。機械の中で暴れると、純が傷つく。それを抑えたい。血は、私とアリスの血を飲め。それで、昇格の儀は、終りだ」
 思いだした。吸血衝動。覚悟してたけど、こんなに早く起こるんだ。
 雫さんの言葉に、ボクはこくりと頷いた。
「純は、衝動が来ても、身体を動かさないようにする事だけ、考えてくれ。後は私とアリスが受け持つ」
 と雫さんがはっきりとした口調で言うと、アリスさんも、同じくらいの真剣さ、なんだけど、いつもの口調で言った。
「大丈夫よ〜〜。絶対安全〜〜。あたしと雫が組んで、出来ないコトなんて、ほとんど無いんだから〜。大船どころか、最大級の巨大タンカーまとめて、でっかいいかだ作ったくらいの船に乗った気分でいてね〜〜」 
 ボクはアリスさんに促されて、その「純くん改造マシ〜ン」の中に入った。
「ぽちっとな〜〜」
 アリスさんが悪ノリついでに、お約束な台詞を言って、ボタンを押した。
 初めはなんでもなかったんだけど、頭の奥の方と、お腹の下の方がだんだん、温かくなってきた。
 この感じ、何かに似てるな〜って思ってたら、雫さんが両手を付いて気脈をボクの足に送ったのに何となく近い気がした。
 だんだん温かくなってくるのと反対に、その、睾丸の所が冷たくなっていくの分かる。
 あれ? 機械の中にはいるのに、星空が見える。何故だろ。
 寝ちゃって夢でも見てるのかな。
 しばらく暗くなったと思ったら、真剣な顔のアリスさんが見えた。
 そしてまた暗くなったと思ったら、ボクが入っている「純くん改造マシ〜ン」が見えた。
 その内眠くなってきて、ボクは眠ってしまった。
「純くん。絶対上手く行くからね」
 アリスは、心配そうに肩を震わせていた。
 何度もチェックし、入念にテストを何度も繰り返した。だが、本番は一度きりだ。
 不安になるのも無理はない。
「大丈夫だ。私と一滴で占った。必ず叶う」
 そう言うと、雫はアリスの手を優しく握った。

 チーン。
 ほんとに間抜けな音がして、ボクは目を覚ました。

 どくん。

 心臓が大きく動いて、血液を押しだした。
 目の前が真っ赤になってきた。
 咽が渇いていく。
 血、血、血。
 血の事しか考えられない。
 うわああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!
 大声がすると思ったら、自分の声だと後から気がついた。

「純は、衝動が来ても、身体を動かさないようにする事だけ、考えてくれ。後は私とアリスが受け持つ」

 誰かの声がした。
 目の前の赤味が少し、薄くなった。
 咽の渇きが、少し減ってきた。

 あれ、ボク、何してるんだろう。

「衝動が来ても、身体を動かさないようにする事だけ、考えてくれ」

 また、声が聞こえた。
 そうだ、身体を動かさないように。
 そしたら、何かが動いて、星空が見えた。
「純、これを見ろ!」
「純くん、これを見てっ!」
 視界の中に、何かが飛び込んできた。
 どくん。
 また、目の前が真っ赤に変わった。
 咽が渇く。
 血、血、血。
 血の匂いがした。
 匂いの方向へ。
 声のした方へ。
 何かを口に入れられた。
 口の中に、暖い、鉄の味のする液体が入ってきた。
 それを飲む。飲む。
 少し、咽の渇きが収まったけど、まだ足りない。
 あ、何かが口から離れた。
 あ、だ、だめ、取り上げないで。
 まだ足りない。咽が渇く。苦しい。
 開けた口に、また、何かが入ってきた。
 何か分からない。目の前が真っ赤で、分からない。
 何かから、暖い液体が、さっきと同じ鉄の味のする液体が流れ込んできた。
 飲む。飲む。飲む。
 だんだん、咽の渇きが収まってきた。
 目の前の赤味が薄くなっていく。
 張りつめていた緊張が解けて、ボクは意識を失った。

 意識を取り戻したら、ボクの視界の中に、ボクの顔をのぞき込む、雫さんと、アリスさんがいた。
 アリスさんは、泣きそうな顔をしていた。
 雫さんは、凄く怖い顔をしていた。
 ボクが二人の顔に気付くと、アリスさんはもっと泣きそうな顔になった。
 雫さんは、顔から力が抜けて、優しい表情になった。
「純、もう大丈夫だ」
 雫さんが、そう言った。
「純くん、よかった。よかった」
 アリスさんは本当に泣き出した。
 ボクは起き上がろうとしたけど、身体が何処にあるか分からない。
 目だけの存在になったみたいだ。
 「未だ、身体に馴染んで無い。無理に動くな」
 雫さんが言った。
「純くん。もう少ししたら、神経系の再構築を各器官が学習し終るから、少し待って」
 アリスさんが待つように言ったけど、どういう意味か分からなかった。
「純、身体を動かさず、気脈を操ってみよ」
 雫さんがそう言うから、やってみた。
 身体が何となく何処にあるか分からない感じだったから、霊脈を見つけて、目から吸い込んだ。
 そしたら。
 画面が変わって、ボクを見詰めていた。
 混乱した。
 慌てて入ってきた霊脈を目から押しだした。
 場面が変わって、元の視界に戻った。
「純くん、手を少し動かしてみて」
 アリスさんが言うように、手を握ったり、放したりしてみた。
 さっきより動かしてる感じがする。触った感じがする。
 手を動かして、顔の前に持ってきた。握ったり、はなしたりする。
 ちゃんと、そういうふうに、見えた。
 だんだん、身体が何処にあるか、分かってきた。
 足を動かして見た。動かしてるのが分かる。
 手を動かして、上体を起した。
 息をしているのが感じられた。
 口の周りが、ぬるぬるしてる。
 右手で拭ったら、手が真っ赤になった。血がついてた。
 そうか、血を飲んだんだ。
「純、立てるか」
 多分立てる。うんと頷いて、立ち上がった。
 「純くん改造マシ〜ン」に入る時、服は全部脱いだから、裸だった。
 目の前に、大きな鏡があった。舞いの稽古をする時のものだ。
 そうか、ここは稽古場なんだ。
 鏡に、ボクの裸が映っていた。
 前と同じはずなのに、凄く違和感がある。
 ボクが嫌な顔をしたのに気がついて、雫さんが言った。
「純は女神だ。故に、男性の身体に違和感がでる」
「ゆっくり、女の子の身体になっていくから、大丈夫よ」
 アリスさんが、そう言ってくれて、ほっとした。
 性同一性障害の人の気持ちが分かった気がした。
 ボクは二人の方を向いて、こう言った。
「はじめまして。ボクは、玄雨純です。よろしくお願いします」
 そう言って、お辞儀した。
 アリスさんが抱きついてきた。雫さんもだ。
「いらっしゃい、純くん」
「良く来た。純」

 その後、三人でお風呂に入った。みんなあちこち血だらけだったから。
 初めて、アリスさんと雫さんの裸を見た、けど、変な気持ちにならなかった。
 そうか、もうボクは女神なんだ。
 霊脈が見えたから、つい、さっきのように、目に取り込んでみた。
 そしたら、雫さんが驚いた声を出した。
「純、その目は」
 また、場面が切り替わって、ボクの顔が見える。ボクの目が青白く燃えているように見えた。
「どうしたの、雫。純くんの目がどうかしたの?」
 !
 もしかしたら、ボクが見てるの、雫さんの視点?
 手を上げて見た、鏡で見るのと反対側の手が上がる。少し前に出て、記憶している位置関係で、雫さんに触ろうとしたら、手が近づいてきた。
 間違いない。
 霊脈を目から吐き出した。おかしな表現だけど、そんな感じ。場面が変わって元に戻った。
「何が起こった、純?」
 どう説明したら良いか考えたけど、見たままを言えばいいと思って、こう言った。
「霊脈を目に吸い込んだら、雫さんの目で、ボクの身体が見えました」
 雫さんは、少し考えた後、こう言った。
「純は、半神の時でも、気脈霊脈が視えた。女神となれば、それ以上の事が視えるのは道理」
 じっとボクの顔を見てから、こう言った。
 「純は、『視る』を通じて『判る』を超え、『知る』になるやも知れぬ」
 アリスさんがどういう事、と尋ねると、雫さんはこう答えた。
「私は占いで物事の行く末を『知る』が、純は『視る』だけで、ありのままの行く末を『知る』ことができるやもしれぬ」
 はっとした顔で、アリスさんが言った。
「つまり、視ただけで、先の事が判るって事?」
「そうだ。このままの運命の条件が変わらないなら、という条件付きで、だが。『視れば、知る』だ」
「という事は、『運命の分岐点』も視えると言う事?」
「そうなるやも、知れぬ」
 二人の話について行けなくなってるボクに気がついて、雫さんが、優しい顔でこう言ってくれて、安心した。
「アリスが帰ったら、本格的な修業に入る。その時、目について教えよう」
 お風呂をでた後、大きなお布団に、三人で裸で寝て、雫さんがボクに抱きついて、「肌合わせの儀」を行った。
 ボクの中の気脈の流れが前より早くなったのが感じられた。
 待ってる間、アリスさんがボクの後ろからボクと雫さんの二人を合わせて抱きかかえるようにして抱きついてた。
 気脈が早く動き始めると、アリスさんにも判るのか、温かい、って言ってた。
 その後、ボクを間に挟んだ状態でアリスさんが雫さんにキスした。二人が熱愛状態になるんじゃっ…て、ボクは真っ赤になった。
 ところが、男の子だった時、なんとなく、二人はそういう関係だったらと想像していたのと違って、全然Hな感じは無くて、なんて言ったら良いかな、優しくお互いの心の汚れを払っている感じがした。
 そう言ったら、雫さんが、その通り、って言ってくれて、その後二人でボクにもしてくれた。身体の中の汚れたものがどんどんなくなっていって、意識がどんどん透明になるのが分かった。
 気持ち良いとかじゃなくて、神聖な感じ。
 気がついたら、ボクの身体が少し光って見えた。多分、そう視ているんだろうと思った。
「純、それが『神脈』だ。神の調子が良い時のみ現れる気脈だ」
 と雫さんが教えてくれた。
 あたしも見たいな〜、ってアリスさんが言ったから、もしかしたらと思って、霊脈をボクの目に吸い込んで、少し吐き出して、その霊脈をアリスさんの目に繋いでみた。
「あっ、みんな光ってる! 凄く綺麗」
 ってアリスさんが言って、雫さんが驚いた。
「純、もしそれが、リンク越しでできたなら、視ているものを伝えられるやも知れぬ」
 アリスさんは、初めて見る霊脈気脈それと神脈の世界を視て「羨ましいぞ〜、いつもこんな世界視てて〜」っ言って、いつもの調子で雫さんの首に抱きついたからものだから、二人に挟まれてるボクはこう言うしかなかった。
「苦しい、アリスさん! 助けて、雫さん!」
 そしたら、雫さんが、ぷって拭きだして、そして、みんなで大笑いした。

 こうしてボクは、女神、玄雨純になった。

第5話 巫術師 玄雨雫の呪

■アリス、帰る

 昇格の儀が終り、三人は数日共に過ごした。
 アリスの空き時間、仕事の隙間時間というべきかも、が無くなり、アリスは、それはもう、後ろ髪をそれこそ、彼女のサーバント全員に引かれる思いで、玄雨神社を後にした。
 分かれる前、当然のようにアリスは雫に抱きついた。雫はそれ程嫌そうにしなかった。アリスは、少しあれ?と思ったが、彼女にしてみれば、良い事だから、アリス嬉しい、とますます力を入れたら、流石に「苦しい、アリス」と押し返された。
 アリスは、同じように純を抱きしめた。男子中学2年生だった時の純なら、とぎまぎしただろうけれど、既に女神となった純は、アリスを抱き返した。大切な姉を思う、妹の様だった。
 だが、良い雰囲気はここまでだった。
「純くん、かわいい〜〜!!」
 アリスは素早く、純にキスした。固まる純。睨む雫。
 アリスは、余裕でウィンクすると、「ただの挨拶よぉ」と言う。
 雫は、はあ、とため息をついたが、純はと見れば、純がぷるぷる震えている。
「ボ、ボクのファーストキスが〜」と小さく呟いている。
 この一言が、アリスの悪ノリに燃料投下。
「純くんのファーストキス、頂き〜〜〜。アリス幸せ〜〜。純くんもこぉんな美女がファーストキスのお相手で、良い記念になったわね〜〜♡』
 まあ、確かに有る側面は事実ではあるものの、純がショックである事には変わりない。
「アリス!」
 雫が怒った。
「ごめんごめん。あんまりかわいいから、つい」
 てへへ、と誤魔化そうとする。
「そういう問題じゃないだろう。アリス!」
「あれ?嫉妬してるの、雫ぅ。違うか〜、どっちかって言うと、保護者の顔ね。じゃ、私も安心だ」
 雫の怒気が立ち消えした。
「世界一頼りになって、怖〜い保護者が付いているんだから、純くんも安心。それであたしも安心」
 じゃあ、というと、アリスは去っていった。
 雫は、純の肩に手を置くと、言った。
「アリスはああいうヤツだ。傷つけたとしたら、謝る」
 純のぷるぷるは収まっていた。
「もう大丈夫です。ちょっとビックリしただけです」
「修業を始めよう」
 こうして、純の修業が再開した。

■純、修業を再開する。
 
 修業は淡々と進んでいった。
 以前と違うのは、純が舞っている時に、気脈を通じ、雫が補佐を入れるようになった事だ。
 肌合わせの儀の本当の狙いは、気脈の根底的な同調にある。
 これで、師匠と弟子は、気脈を通じ、潜在意識レベルでの、共感能力を得る。
 動きや感情をまねるミラーニューロンの働きが強化され、弟子は師匠の動き、所作、技を、見ただけで、ある程度、出来るようにさえ成るのである。
 剣道で言う、見取り稽古の強化版と言えるかも知れない。
 雫曰く、「視れば判る、視れば出来る」という事らしい。
 純の上達の速度は増していった。
 雫は目について教える段階に至ったと考え、調べていた事を純に話した。
 「視知の術」の事。素質のある術者が、零脈を目に取り入れ、ものに意識を向けると、そのもっとも近い未来の変化を読み取るという能力だ。
 では、意識を向けないとどうなるか。
「それが、純が私の視点で見た、『目合わせの術』だ。近い巫術者の視点で、視る事が出来る技だ」
 その後、「運命の分岐点」について、雫は説明したが、内容が難解で、純が混乱しているのを視て取ると、雫は説明をやめて、「その内判る」と優しく言った。
 運命の分岐点。

 雫の占いが外れる事がある。ほとんど百発百中の雫の占いが、大きく反れるのだ。
 占ったタイミングと、それの後発生した事象で、未来が変わってしまったと、初めは考えられた。
 だが、ある事象が生じる事自体を折り込んで占いの結果が出る。
 とすると、それは特別な事象が原因では無いかと、アリスは調べたのだった。
 だが、事象を特定出来ない。
 事象の種類には関係しないのではないか、もしかすると、時間軸、運命が分岐しているのではないか。
 やがて、そいう仮説に至った。
 その分岐点の事を「運命の分岐点」と二人は呼んでいる。
 世界をデザインし、コントロールしているアリスにとっては、すべては予定調和である事が望ましい。
 そうでない要因は、ことごとく把握しておきたい。とアリスは考える。
 という話しを雫が量子力学から、独自の宇宙観を含め説明し始めたものだから、元中学2年生男子の純が混乱しない訳がない。
 雫は、「視知の術」の修行の方法を示すと、純に行うように言った。
「手始めに」と言って、向かって左手の社殿を示した。
「あれを『視知の術』で視てみよ」
 純が、『視知の術』で視た時、異変が起こった。

■純が視たもの

 雫の目には、一瞬ではあるが、純が消えた様に見えた。
 すぐに現れた純は、まるで幽霊を見たような顔をしていた。
「どうした、純!」
 ごくり、と唾を飲み込むと、純は言った。
「女の人が視えました。巫女装束を着た年配の女性です。左の手の甲に火傷の痕がありました」
 雫の目が見開かれる。
「望、だ」

 玄雨望は、雫の師匠であり、初めての弟子でもある。
 数百年以上前に亡くなっているが、どうやら純が視たのは幽霊では無さそうだ。
 純は視た事を雫に伝えた。
 何かの箱を持った望が、左手の社殿の床下に入ると、しばらくして出てきた。
 その時には、手に箱は持っていなかった。
 雫の記憶には、そういう逸話はなかった。
 気になった二人は、修業を中断すると、左手の社殿の床下を調べた。
 すると、床の下側に、和釘で打ち付けられた一つの箱が見つかった。
 どうやら純が見たものは、過去の映像だったようだ。
 純は「視知の術」のもう一つの力を示したのだ。
 未来ではなく、過去を視る力。
 雫は、その箱を床下からそっと引き剥がすと、二人は稽古場に戻った。
 箱の蓋を開ける。
 すると、中には和とじの書物と、もう一つの箱が出てきた。
 その書物を読む雫。
 読み進む雫の頬に、一筋の涙が流れた。

「これは望の日記だ」

■望の日記

「望は、私の行く末を占ったようだ。そして知った。私が近い将来、玄雨家の家督を継ぎ、望が務めている朝廷の占い方に任ぜられると言う事を」
 それは、つまり。
「計らずも、望は自分の死を知ったのだ。そうでなくては、占いのどおり結果にならぬ。望は、私が苦しまぬようにと、この箱を、隠す事にした、と認めてある」
 雫は、望が隠した箱の中から出てきて箱を指さした。
「この日記を読むと、何故、私があれ程止めても、戦場に行った理由が判った」

 望の先代巫術師、玄雨朔(さく)は、風の技を使い、さまざま事を行ったそうだ。
 望は、自分もそういう者になりたいと、願った。
 丁度私が望の舞いを視て、人を傷つけずに事を収めた事に、心酔し、望のようになりたいと思ったように。
 だが、望には、霊脈が見えず、結果、風の技を会得出来なかった。
 その才が無い、と酷く落胆したと書いてある。
 賊が来た時、舞いを舞ったのも、自分の非力さ故と。
 もしできるならば、風の技を使い、賊を追い返したかったが、出来ぬ事は出来ぬ。
 望は、歓待と自分の舞いに賭けたのだ、と。
 大きな賭だった。舞いながら冷や汗が止まらなかったと、書き記してある。
 自分に力があれば、脅えながら酌をして回る、「さき」にあんなに怖い思いをさせずに済んだのに、と、悔しくて堪らない、とも書いてあった。
 「さき」か、懐かしい名前だ。私の昔の名前。
 そんな望に、私は風の技を教えてしまった。

 雫は上を向くと、しばし黙った。そして、遠くを見ると言った。
 「やはり、望を死なせたのは、私だ」

 望が戦場に赴く事になったのも、そして死んだのも、風の技を会得したからだった。
 だから、雫は望の死を己の責と考える。

 望の日記を置くと、もう一つ箱を開けた。
 中のものの異形に、純は後ずさった。
 雫の顔も強ばっている。
 中に入っていたのは、赤子の木乃伊と書きつけだった。

■雫のもう一人の弟

 雫は書きつけを読み始めた。
 途端に雫の顔色が変わって行く。それはまるで、初めて純と『彦』の鍬を見た時と同じだった。
 雫は自分の身体が重くなっていくのを感じた。倒れそうになり、片手を突く。
 呼吸が荒い、目の前が暗くなっていく。
 あと少しで意識を失いかける直前、雫は、身体の内側が、暖くなるのを感じた。
 暖かさは広がっていき、身体の隅々に行き渡る。
 雫の身体は復調した。
 気付くと、純が気脈を操り、雫に送っていたのだ。
「ありがとう、純。もう大丈夫だ」
 その声を聞いて、純は溜めた息を吐きだすと、気脈を送るのを止めた。
 張りつめた緊張が溶けていく。
 雫は、箱の中の赤子の木乃伊を示すと言った。

「この赤子は、私の弟だ。名は『あと』」
 あ、と純は気がついた。
「そうだ、『さき』という私の名は、先に生まれた子供だったからだ」
 そう言うと、雫は書き付けに書いてある事を純に読んで聴かせた。

 「さき」は、巫術師になる格別の才がある。
 だが、大き過ぎる力は禍を呼ぶ。
 「さき」がもし、玄雨家に禍を成さぬよう、また、玄雨家から逃さぬよう、この「あと」の亡骸を持って、「さき」を縛る。

 純には良く判らない文面だったが、雫には、強く思いあたる事があった。
 それは、アリスにとっても。
『雫を日本に縛ってるの、それだ! み〜つけた!!!」
『そのようだアリス』
『やっぱり呪いだったんだ! 雫が日本から出られないの。初めて会って、船で一緒に米国に行こうとした時、それから、戦争が終って、飛行機で渡米させようとした時』
『いずれも私が、いつの間にかこの玄雨神社に戻ってきてしまった理由。それがこの呪い』
『あたしと雫を離れ離れにしてる、一番の原因が、それなのね!』
『「縛る」とは、正にその呪いの事』
『雫ぅ! その呪い、解ける?』
『暫し待て』
 そう言うと、雫は目を閉じた。まるで頭の中を探すような感じだった。
『有った。できるぞ。アリス』
 この後のアリスの大喜びぶりは凄まじかった。
 あれ程、雫の事を好きと言ってはばからないアリス。いつも共に居たいと、心底願っている。
 だが、その縛る呪いのため、幾度試しても、成しえない。
 数百年に渡り探しだした同胞、そして、親友、盟友、それ以上に大切に思っている雫とアリスの間を阻む、呪物。
 その呪いが解ける!
 アリスは雫といつも一緒に居られる喜びに打ち震えた。
『じゃ、それちゃちゃっとやって、こっちに来て!来て!来て!』
 が、それに雫が水を差す。
『そうはしたいが、純の修業が有る』
 雫には、アリスの気持ちが痛いほど判っている。だが、純の修業が有る。
 リンクから、アリスが必死に考えているのが伝わってくる。
『ずっと居てとは、言いたいし思ってるけど、ひとまず、あの「起動式」だけ、来てくれない?』
 アリスは相当の譲歩をした。
 それは雫にも、伝わった。
『判った、アリス。その時、そちらに行く。純も一緒だ』
 アリスは歓喜した。
 その歓喜は、一時的に単に雫が自分の所に来る、というだけのものでは無いだろう。
 おそらく、一度こっちに来てしまえば後はなんとか、などと言う腹黒い計略も考えていたに違いない。
 アリスはとびっきりの策士で、その上、トップレベルの問題解決手腕を持っているのだから。
 アリスの喜びは、やや狂気に満ちて、執務室を対象にして、ぶちまけられた。
 怪獣が暴れているような物音を聞きつけて、警備のサーバントが執務室のドアを開けると、執務室にある物を次々に投げ上げ、喜びの声を上げているアリスの姿があった。
 アリスの執務室は、壊滅した。

■鎮魂歌

 雫は、「あと」の入った箱を置くと、舞いを舞い始めた。
 純には、まるで鎮魂歌を歌っているように思えた。
 有る意味、これは「あと」の弔いなのだ。
 純は気がついた。
 弟の弔い。
 雫が初めての吸血衝動。その時の事故で、木から落ちて死んだ雫の弟『彦』。雫は玄雨神社との約定でその葬儀に出られなかった。
 もしかすると、雫は「あと」だけでなく、『彦』の弔いの舞いも舞っているのかも知れない。
 その舞いから流れ出る気脈は、「あと」の亡骸に吸い込まれていく。
 純は視た。
 「あと」の亡骸が、一瞬光ったのを。
 そして、それが、呪いが解けた瞬間だった。

 途端、純はある事を思いだした。
 いや、視た。

 熱に浮かされるように、純が意外な事を言い始めた。
「雫さんは、『彦』を殺していません。木から落ちた『彦』を助けようとしたんです」
 雫は、純が何を言っているのかと、目を見張った。
「雫さんは、『彦』を助けようとしたんです。唾を付ければ、傷が治るって、教わっていたから」
 雫の思考が停止する。
「だから、血を舐めていたんじゃないんです。『彦』を助けようと、傷口に唾をつけようとしていたんです」
 それ故、大人たちは、両親は、私を責めなかったのか。
 この時、初めて、雫は事の真相を知った。
 かくん、と純の首が下がった。
「純!」
 雫は純の前に駆け寄った。
 はっと純が顔を上げる。
「あれ、雫さん」
 純はまるで、何故雫が前に居るのか、判らない様子だった。
「何故、判った?」
「何がです? 雫さん?」
 純は意味が分からない様子だった。
「何が視えた?」
 純の頭がはっきりとしてきた。
「ボクに似た、小さな男の子の姿が視えました。あの」
 純はそこで気がついた。
 雫の両目から、涙が流れているのを。
 それを見て、純の何かを聞こうとした気持ちが消え、何を聞こうとしたかも溶けてなくなった。

 雫と純は、神社の裏にある、望の墓の隣に穴を掘ると、「あと」の亡骸と、『彦』の鍬を一緒に埋めた。
 合掌する二人。
 雫は、自分の心の動きを見詰めていた。
 罪の意識から、ずっと持っていた、『彦』の鍬。
 『彦』に似た純を見た事から、純は女神になった。
 そして、雫のもっとも重い枷を二つ、取り去ってくれた。
 『彦』の事。望の事。
 そして、自分を縛る呪いを解く切っ掛けとなってくれた。
 いろいろな思いが、雫の中を駆け寄った。
 日記を読んで、望の事も判った。
 望は先代当主玄雨朔が、「さき」に呪いをかけた事もあり、また、ちょうど自分の子供のような年と言う事もあって、本当に「さき」の事を想っていたのだ。
 その愛情を、雫は初めて知った。
 「あと」の亡骸を知れば、「さき」は、苦しむ。
 自分が死んだ後、家督を継げば、いずれこの箱を見つける。
 己の死を知った、自分の日記も、「さき」を苦しめるかもしれない。
 二つとも、「さき」の目の届かない所に隠そう。
 望の気持ちが、雫には、今となってようやく判った。
 純と言う弟子を持って、初めて、守るものを持って。
 合掌する雫の目から、頬へと涙が落ちていく。

 二人は合掌が終ると、立ち上がった。
 雫は純の方を向いた。黙っている。
 純は私に、いろんなものを運んできてくれた。
「ど、どうしたんですか」
 いつにない雫の様子に純は戸惑った。
「何でもない」
 そう言うと、雫は稽古場に向かって歩き出した。
「修業の再開だ。純」
「はい」
 そう言うと、純は雫の後を追った。
「あ、あの、アリスさんが言ってた『起動式』ってなんですか?」
 雫は純を振り返ると、ふっと、表情を緩めた。
「行って、視れば、純にも判る」
 そう言うと、雫はまた背を見せて歩き始めた。
 純も何も聞かず後を追う。
 今の雫さん、少し感じが違ったな。なんだか、良く判らないけど、重い荷物を下ろしたみたいだ。

■純、女神(完全版)になる

 昇格の儀から、二週間が過ぎた。
 純の身体は、完全に女性になっていた。
 「雫さん、これで完全に女神ですね」
 純がそういうのを雫は嬉しく思った。
 儀の後、自分の身体を鏡で見た純がした、嫌な表情が気になっていたから。
 昇格の儀で、心は先に女性になったが、身体が完全に女性になるにはさらに二週間が必要だった。
 その間、純は男性の身体に違和感を抱き続けていたのを、雫は知っている。
「え、雫さん」
 急に雫に抱きつかれて、純の頭は混乱した。
 え、雫さん、どうしたの。え、え、?
 雫はすっと離れると、くるりと後ろを向いた。
「祝福だ。先輩の女神からの、な」
 純は、腑に落ちなかったけど、その言葉を無理に飲み込んだ。
 無理に飲み込んだのは、後ろから幽かに見える雫の耳が赤かったからだ。
 ありがとう、純。
 私の心の枷と呪いを解いてくれて。
 いつか、純にお礼がしたかった。
 なかなか機会が掴めず、純の完全女神化という事のお祝いに乗る形で、お礼をしたのだった。
 だが、自分から考えて抱きしめる、という行為に慣れていない雫は、抱きしめた後、自分の行動が急に恥ずかしくなった。
 顔が赤くなっていくのが判る。
 見られたくない!
 それで急に後ろを向いたと言う訳だ。

 一部始終をリンクで感じ取っていたアリスは、心穏やかではなかった。

 確かに完全女神化の祝福は良いよ〜〜。
 でも、赤くなって、くるって、後ろ向くなんて、ソレ、なんであたしじゃなくて、純くんが先なのよ〜。
 くそ〜〜〜。
 こうなったら、起動式が成功したら、おんなじ事してもらうもんね〜〜。
 ぜ〜〜ったい、雫にそういうコトしてもらうんだから〜〜〜。
 起動式の後、雫を返さない策略、タンカー五隻分くらい準備しちゃったもんね〜。
 きしししししし。

■起動式

 その「起動式」の日の前々日に、雫と純は米国のアリスの元へと向かった。
 玄雨神社近くのヘリポートからアリス専用の垂直理着機で、米軍基地へ飛び、アリスがCEOを務めるファイブラインズ者の専用機で、米国へ向かった。
 「じゃ〜〜〜ん。これが、龍脈微弱捕獲装置、通称『龍巻きくん』よ〜〜」
 純は思った。
 ボクの昇格の儀の時と同じ、悪のりアリスさんが、また、出た。
 「流れる龍脈から、霊脈を、ちょっとだけ取り出して、こっちの、力場に巻き取るから『龍巻きくん』なの〜」
 雫が、はあ、とため息をつく。
「相変わらず、アリスの意匠の趣味は、どこかおかしい」
 ぷ、と純が吹きだす。かろうじて笑い出すのを我慢する。肩が震えている。
「なによ、純くん!」
 口から手を放して、純は言った。
「だってアリスさん、こんな巨大なものの名前が『龍巻きくん』なんですか、『くん』なんですか」

 アリスの会社を何処に置くかにあたり、雫が占って場所を決めた。
 運気という点を考慮して、龍脈の流れる場所を選んだ。龍脈、つまり、地面の下を河のように流れる霊脈の流れ。
 雫の選んだのは、龍脈の中でもかなり大きなものだった。
 アリスの会社の建物は、その龍脈の流れを阻害しないように、龍脈の両側に、地上から見ると幾何学的にいくつも配置されている。一つ一つは円形の平屋だが、地下50階もある。
 『龍巻きくん』は、霊脈の流れの両側に配置された、龍脈から霊脈を取り出し、発生させた力場に閉じこめる装置。
 その大きさは、地下50階あるアリスの社屋群の一つと同じ大きさの巨大な物体だった。
 大地の中を流れる龍脈は、外からは見えないが、純はその流れを感じていた。
 純は思った。
 そう言えば、前に検査の時に来た時、低いうなりみたいなのをときどき感じたのは、これだったんだ。
 アリスの会社の施設で、純は精密検査を受けた。その結果、女神である事が判明したのだ。
 「起動式」というのは、アリスが言う所の『龍巻きくん』の火入れ式という事だった。
 「起動式」と言っても、社外秘というか神様だけのヒミツなので、偉い人のスピーチも、テープカットも無い。無駄が嫌いなアリスは、最低限の事しかしないので、ぜんぜん「式」らしくない。
 「式」らしいものと言えば、最終調整のために、雫が一差し舞ったくらいだ。
 「で、これが、『龍巻きくん』の起動スイッチ。『龍巻けくん』よ〜〜」
 そう言えば、『純くん改造マシ〜ン』の時も、そういう事言ってた。と純は思い出した。
「でね、これを女神三人で、あ、三柱で、一緒に押すの〜〜〜。それが『起動式』!」
 純は、あ、と思った。
 そうか。
 これがアリスさんのやりたかった事なんだ。だからあんなに喜んだんだ。
 素直な純はそう思うと、嬉しくなった。
 アリスがタンカー五隻分もの、雫引き止め作戦を準備しているとも知らず。
「いい、一緒に押すんだよ〜〜。掛け声はいつもの。せ〜の」
「ぽちっとな〜〜」
 仕方なくアリスのノリに付き合う雫。嬉しそうに言う純。
 『龍巻きくん』が起動し、龍脈から霊脈を力場に巻き取り始める。
 巻き取られた霊脈の流れを、純は視た。
 凄まじい量の霊脈だった。青白い光の筋が数え切れないほど、それが途方もない密度に詰まっている。
 荘厳な美しさだった。
 思わず、純の口が空いていく。
「なになに〜〜。そんなに綺麗なの〜〜。視せて、視せて〜〜」
 霊脈を目に飲み込んで、その一部を出して、アリスの目と繋ぐ。
 アリスが言葉を失った。
 自分で作ったものが、どういう流れを生み出したのか。
 アリスは感動していた。永い記憶を持つアリスにしても、この光景は圧巻だった。
 思わず、口に手を当ててしまう。
 無理も無い。
 雫は思った。初めて龍脈の一部でも見れば、そう感じる。
 はっとアリスは自分を取り戻した。彼女には起動式の後、やらねばならぬ事がある。
 ぱっと両手を広げるアリス。
 きょとんとする雫。
 「はーい。雫ぅ。起動式大成功〜〜! 私にも、女神の祝福して〜〜♡」
 はあ、とため息をつくと、アリスを抱きしめた。
「おめでとう。アリス。起動は大成功だ」
 アリスは心の中で思った。
 こっちも大成功だよ。あ、これからか。
 アリスは小さい声で、言った。
「純くん抱きしめた後、なんで真っ赤になったの?」
 ぼっ。
 瞬間湯沸かし器のように、一気に雫の顔が真っ赤になった。
 慌ててアリスから離れると、誰にも見られないようにくるりと後ろを向く。
 やった〜〜〜!!作戦大成功〜!!
 アリスは大喜び。
 なにがおこったんだろ?
 純には何が起こったのか、よく判らない。
 そうして、雫の手を見た。ぷるぷるしていた。まるで何か我慢しているみたいに。
「アリス!」
 雫は振り返るとアリスに向かって怒鳴った。
 顔は赤いが、今度のは「怒り」だ。
「なになに〜〜」

 いつもの二人のドタバタが始まろうとした時、ある知らせが飛び込んできた。
 世界をコントロールするアリスがデザインしない出来事の知らせが。

■安寧の巫女(1〜15話)の残りのお話し

第6話 巫術師 玄雨雫と記録
第7話 巫術師 玄雨雫と宇宙
第8話 巫術師 玄雨雫と空
第9話 巫術師 玄雨雫と太鼓
第10話 巫術師 玄雨雫と星
第11話 巫術師 玄雨雫の宴
第12話 巫術師 玄雨雫と門
第13話 巫術師 玄雨雫と時
第14話 巫術師 玄雨雫と宝
第15話 巫術師 玄雨純の慰め

宜しければ、投げ銭ついでにお読み頂けると嬉しいです。

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