6/22の日記

男女平等や人権問題へ声を上げやすく、また社会を覆う意識を変えてこうとする流れが生まれてるの、すごく嬉しいししっくりくるし、みんな生きづらくなくなればいいなと思って、タイムラインでそういった話題を見かけたら、なるべく情報にアクセスするようにしている。
自分は、女である自分、っていうのがいくつかの理由からあんまり好きになれなくて、昔からしっくりこなかった。漠然と、ちゃんと女という土俵に上がれてないんだろなーみたいな気持ちになっていた。(そもそも"女という土俵"という概念、今思うとヤバイ。)
自分自身が自信とか自己肯定感を持ちにくい性格だから属性である女が嫌なのか、単純に"女っぽいこと"全般なんか受け付けない…という思考だったのか、判断できないけど、でも高校・大学の頃なんかは、勝手にカテゴライズした"ちゃんとした女の子"のことを、別にみんな一緒に見えるしカッコよくないじゃん、みたいに斜に構えていたことも確か。
もし意識的に関連記事を読んでなかったら今でも、女性が好んでする割合が比較的高そうな物事、例えばお化粧とか、流行のものに並ぶだとか、あるいはキラキラした何か、ピンク色のキュートものなど、そういった世界を穿った目で見続けただろうなと思う。今はただ、全員が自分にしっくりくるやり方で生きたらいいんやな、と腑に落ちていて、何よりそれを実感している。
多様性とか平等性は、分かりやすいスローガンやお膳立てされた教科書だけに触れても自分ごとにするのは難しくて、そこに至るまでの思考の道筋みたいなものからまるっと納得してはじめて共感できるのかも。
思考するのが仕事の人、公正に発信できる人、そういった人たちの発言や文章にアクセスしやすい現代は、本当にいい時代だなあ。ひとりひとり考えをアップデートしていけたら、世の中もっと悪くはならなさそう!あわよくばよくできるかも。
そういう機会を提供してくれる哲学者や研究者、アーティスト、一般人……全ての人と、テクノロジー的な土壌に感謝。

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