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福祉の「対象」について

Facebookに書いた過去記事を一部修正して再掲します。

10年近く前、新潟市社会福祉協議会在職中にパンフレットをリニューアルするということでインタビューを依頼され、「福祉ってなんだか固いイメージですけど、簡単に言うと『社会全体の幸せ』って意味なんですよね。」とお答えしました。

この考え方は今でも変わっていません。そもそも「福祉」の意味を辞書で引くと、「幸福。特に、社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福。」(三省堂大辞林より)とされています。

しかし、いわゆる「福祉」は、高齢や障がい、母子父子児童、最近だと生活困窮者等々…といった形で「対象」をつくり出します。なぜそうなるのか。これは「支援の対象」にするために、明確な根拠が存在しなければならないという理由に他なりません。

例えば全国組織で「引きこもりKHJ親の会」という団体があります。

この「KHJ」ですが厚生労働省との話し合いの中で、「引きこもり」は「現象」あるいは「状態」であり「福祉の対象にはならない」ということで、Kは強迫性神経障害、Hは被害妄想、Jは人格障害の頭文字を取って「対象」にしたと伺いました。とてもとても変なお話しです。

最近だと「福祉の対象」になるために離婚(保育園に入ったり手当をうけるために)してみたり、介護が必要な演技をしたりする人までいると聞きます。

さらに言えば、昨日までは「対象」ではなかったけれど、景気悪化や核家族化や地域の関係性の希薄化などの環境の影響もあり、病気や事故やなにかをきっかけに、ある日いきなり「対象」になってしまうケースも多く見てきました。そういう意味では他人事ではなく「誰でも対象になり得る」のが現代社会なのかもしれません。

対して、地方自治法第1条第2項には「地方公共団体は『住民の福祉の増進』を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。」とあります。少なくともこれを読む限り「福祉」が「対象」をつくろうとしているとは読み取れません。

いろいろ逆なんです。「福祉」は「誰もが対象」で「誰もが担い手」だからこそ、「社会全体の幸せ」なのではないでしょうか。

社会全体の幸せなんて大風呂敷かもしれませんが、それを追求することこそが政治なんだと思いますし、私がプロフェッショナルとしてできることに他なりません。マザーテレサが処世訓としたともいわれる、以下の「逆説の十戒」を胸に今日も頑張ります!

ケント・M・キース『逆説の十戒』

1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。

2.正しいことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるかもしれない。それでもなお、正しいと信じることをしなさい。

3.成功すれば、偽りの友と本当の敵を得ることになるだろう。それでもなお、成功しなさい。

4.今日の善行は、明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、善いと思うことをしなさい。

5.正直で素直なあり方は、あなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。

6.大きな考えをもった人は、小さな心の人によって陥れられるかもしれない。それでもなお、大きな考えをもちなさい。

7.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。それでもなお、弱き者のために戦いなさい。

8.何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。

9.人が助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べたときに攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。

10.世のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、世のために最善を尽くしなさい。

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