出会いをたずねて百三里

 八O子の奥深くに野猿峠というのがある。野猿峠は治外法権の地であり、ケッペンの気候区分で局地的なAfを示している。鬱蒼とした森の中、独自の生態系の中で進化を遂げた多様な生物が、個々主張して一つの環境を作っている。一つ一つの生物は鮮やかな原色でありながら、決して全体として調和することがないため、遠目に見ると補色が混ざり合ってドブのようなグレーをした塊がモゾモゾと蠢いている、そんな環境が野猿峠であり、峠を擁する八O子である。 
 そんな野猿峠の辺りで人材の斡旋を行う媒介師が居る。

 緩い日曜の昼、私は趣味のゴロゴロに磨きをかけていた。突然、緩さを破りラインの着信音が響いた。相手は媒介師。私に会わせたい人がいる旨のラインであった。非常に面倒で迷惑な話である。聞くと私より年下の女性だという。まあ会う分には良いがと答え、再びゴロゴロに勤しんでいると、程なくして、今度は媒介師から一本の電話が鳴った。電話の奥は野猿峠であったから、常にポリフォニーで生物たちの音が同時進行的に聞こえていた。私はその様に圧倒され、生返事を繰り返していると、ほんの数時間のうちに女性と出会う日時やら場所やらがセッティングされてしまった。さすがは野猿峠の媒介師。手慣れの手腕に私は思わず舌を巻いた。

 その若い女は、名前をDという。このnoteを読み、私も主人公になりたいと思ったらしい。奇特な人も居るものだ。ついでにより親しい関係になる可能性もあるとのことで、事前にこちらから幾つか質問をし、僅かな情報をもらった。知り合いのM氏が作成したマッチングアプリの目安表に照らすと、目安5あるいは総合評価あたりになるだろうか。少し私には高望みであるが、相性が良ければ関係が進むかもしれないという人であった。

 媒介師から写真もいただいた。野猿峠の知り合いだから、どんな原色の髪をした人物かと構えたが、黒に近い栗茶の髪色をした、至って普通の女性である。明るそうな表情をしている。衣服も着ている。化粧も木の実をすり潰した顔料では無さそうだ。肩にかけているのは仕留めたガゼルではなく、小綺麗なカバンである。ここにきて私は野猿峠に対する認識を間違えていたのではないかという疑念と、騙されているのではないかという疑念の二つを抱いた。

 出会い前日。私は大阪から東京へ移動することとなる。過日の大雨でダイヤが乱れていた。ニュースと睨めっこしながら、何とか目的地に向かえそうだと判断し、家を出る。
 駅は人で溢れていた。先頭も最後尾も判然としない無数の行列ができ、アナウンスは引っ切り無しに流れ、増員体制で忙しそうに動く駅員に、前期高齢者達が、アナウンスするには及ばない水準の質問を浴びせている。彼らに一つ教えておきたい。そこに止まっているのは回送列車だから、扉は開かないし、乗車できない。その列車を車庫に送らないと、次の列車は来ない。次の列車がいつ来るかは分からないが、あなたが1分質問すれば、列車の到着は1分遅れるだろう。

 数十分遅れてなんとか到着した列車に乗り込むと、私の席に女性が座っていた。私はぷらっとこだまの乗車券を見せながら、この車両が指定席であることを説明する。自由席はどこかと聞かれたので、懇切丁寧に教えてやった。女性はそちらに向かって行ったが、おそらく座席には座れないだろう。
私は弁当を開ける。京都から修学旅行生が乗ってきた。三島方面まで乗っていたが、大変な中、引率の先生も生徒も賢明に振舞っていた。非常時の危機管理能力、情報収集能力といったことについて考えさせられる事例である。

 岐阜からは満員、通路に立つ人も溢れ、名古屋手前で列車は動かなくなり、貨物列車に抜かれる事態になった。私は途中ちらと野猿峠の媒介師を疑った。これはすべて媒介師の陰謀ではないか。だが、宿も予約済み、帰りの便も指定済み、静岡を流れる濁流はざんぶと飛び込まずとも眺めるだけで通過でき、途中ウトウトしても身体は東に進み、盗賊に襲われる予定も公衆の面前でぶたれる予定も真っ裸になる予定もない。がっつりこだまを利用してフォッサマグナを超え、箱根の山を超え、私は沈みゆく太陽の何分の一かの早さで東京駅に滑り込んだ。乗車時間は5時間半。本来の刻限から2時間余りが経過し、ついでに遅延証明の払い戻し権利をもらうこともできた。

 長旅の末、久しぶりに東京まではるばるやって来たのだ。最早戻ることは出来ぬ。
 その晩は媒介師と友人と食事をし、私はホテルのベッドに横になり、まだ見ぬDのことを考える。

 私は明日殺される。殺されるために走ってきたのだ。

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