Dさんとの出会い

 私はDさんと店に向かって歩いた。徒歩5分ほどのところに目的の店はあったので、簡単な個人情報の交換などをしているとすぐに辿り着くことができた。
 付近の公園の木陰にはインスタ用のサングラスと帽子をかぶった芸能人もどきのマダムと、インスタ用に交雑された小型犬のペアが等間隔に並んでいる。自分を半音背伸びさせるかのようなハッシュタグに動画や写真を結びつけ、自己顕示を充足させようとする人々の群れ。サブクスリプションで好きなモノを好きなだけ消費できる昨今、欲望の対象はモノからコトに変わり久しいが、すでに作られたステータスにあやかりコピーがコピーを生む、却って画一的な現代のコト消費という形式は、泥濘の上に築かれたこの人工島の如く、不確かで脆いものに思われる。

 さて、そんな中をDさんはナチュラルなままに進んでいく。こんなところ滅多に来ませんと笑う彼女こそ、辺り一番の雰囲気を支配しているように感ぜられた。批評を行うことに特化し、自身というものを失って久しいダブルフラットの私は、彼女に前後して歩く。

 店は大変賑わっていた。アイルランドのパブのような雰囲気の店内、開放感のあるキッチン、多くのテラス席。エスコートとかいう概念を忘れていた私に代わり、Dさんが名前を告げ、予約された席に通される。

 飲み物と食べ物を決め、本格的な自己紹介に入る。Dさんは「私はエノキダケです」と名乗った。やはり人外、というわけではなく、これは院生特有の紹介方法、つまり、生活に学問が密接に影響しすぎた結果、「私(の専攻分野)は○○です」という紹介をしてしまうというものである。「私はタイのインフラ」、「僕はAI」、果ては「私は数学者」(この言葉を発しているのは人類学者である)などという人々に囲まれてきた数年前を思い出し、なんだか懐かしくなった。Dさんとの波長は合うらしい。

 美味いビール片手に、どうして会うこととなったのか、という動機も聞いてみた。学チカの後に志望理由のようなことを聞く、きわめて面接に近いスタイルである。どうやら八王子の本物の呪術師に、七福神のどれかが良いと言われ、それを祀る神社の一つが江の島にあった。そして個性豊かな友人と江の島に行き、流れで私に直接電話をかけてみたということのようである。話を聞いても、江の島から直接電話をかけることになった流れはさっぱり不明である。今日の出会いは呪術師と七福神のお陰でありとても感謝していると言っていたが、その割に七福神の名前は忘れたと言って、この時だけスマホで検索をしていた。非常に信心深いことであるから、神もあきれて救済を後回しにするだろう。なお、そんなDさんに代わりWikipediaから引用しておくと、弁才(財)天とは「ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティ―が、仏教に取り込まれた呼び名」であり、「日本三大弁天」とは一般に、竹生島・宝厳寺竹生島神社、宮島・大願寺、江ノ島・江島神社、天川村・天河大弁財天社、金華山・黄金山神社の5つのうち3つを指すとされている。
(*1)Wikipediaより。最終閲覧日:2023年7月2日。

 ここで、頼んでいたハンバーガーが運ばれてきた。皿のある部分に下のバーガーと肉が積まれ、その隣に野菜と上のバーガーが積まれている。ピクルスはむき出しの状態になっており、ソースは自分でかけろという。おまけにナイフとフォークを渡された。ハンバーガーは4横指しっかり入るまで顎を脱臼させ、手づかみでベッタベタに食べるものだと思っていたから、ナイフとフォークの扱いには驚いてしまった。しかもハンバーガーは上下に分離し、ピクルスやソースに至っては我々で調理をする必要がある。成程、確かに店は繁盛しているが、仕掛品を渡さなければならないほど混んでいるのだろうか。それとも、仕掛品を渡すことが動画的に映えるのだろうか。或いは、調味を整えることがサブスクリプションの時代に適合しているというのだろうか。

 ところで、二郎系に代表される「味を選べる仕組み」について、私は懐疑的である。辛味やアレルギーに伴う変更を除き、店は客に選ばせるのではなく、店の思う味というものを一つ客に出してほしいものである。味を客に選ばせることは、味が悪いという批判を頼んだ客側に転嫁させるという近年の個人主義の極致である。もちろん、選択肢を与えつつも店のおすすめを提示している場合もあり、そのような場合は一定程度納得もできる。ただし、当店のおすすめは普通ではなく硬めなどというのは一番タチが悪い。このような店は、売れ筋の硬めを普通に変えず、客の傾向を放置して顧みないという不作為が認められる。そればかりか、大衆と同じ凡庸な味覚であるにもかかわらず、硬めという頼み方に「普通ではないツウな玄人感」を出したい類の人間の充足を満たすことを赦している。要するに味で勝負していないのだ。

 さて、私が唯一の完成品であるポテトばかりを食べながら相手の様子を伺っていると、Dさんは、フォークなんですね~とか言って、ソースをかけ、ハンバーガーを食べ始めた。ある状況が与えられたとき、世間への批判を試みる私と対照的に、その状況を受け容れ楽しむDさんの、なんと純粋で力強いことか。Dさんと話していると世界に明るく暖かい色味が加わるような気がする。

 店の雰囲気は概して良く、なかなか美味しい料理であった。互いの趣味やら属性やら交友やらを話しつつ、昼としては結構な量を食べ、ほろ酔いで店の外に出る。昼下がり、まだテラスにはたくさんの人が居た。スマホにかじりついたり、ソースをかけたり、他人のゴシップに興じたりしている。だが、それぞれに楽しんでいるなら、まあいいじゃないかと思った。

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