乱数編1 虹について

※本件はアプリでランダムに表示された12の語群のうち8つを用いて、1,000~2,000字程度の文章を作る試みである。

<語群>
 倫理観 ゴムの木 不死鳥 青臭い 時系列 漫画 
離職者 動画配信サービス 青虫 色彩 運動会

 虹は何色だろうか。これは色彩に関する割と難しい問いではないかと考えている。
 先日の旅で、私はコペンハーゲンの現代美術館に入ってみた。そこでは常設展のほか、ロマン派に関する特別展が開かれていた。前半はロマン派の作品群が時系列に即して展示されており、後半は現代に生きるロマン派の影響と題して様々な現代芸術――映像や音楽、漫画、あるいはインスタレーション等を含む――がむしろ雑多に詰め込まれていた。私は芸術については無知であるし、当地の解説文を精確に読むことも叶わないから、ここで浅く青臭い一般的解釈を披歴することは避けるが、私が分からなさに浸る中で目に留まった作品がある。
 それは、天井から発せられるライトをプリズムにより分光させ、床に映し出した、ある若い芸術家の手による作品であった。僅かに読めた解説文は、「虹は6色ですが…」と始まっていた。私は赤から順に、アダキミアアムの可視光を数え、自分が本質的にこの北欧の文化に埋め込まれた現代芸術の面白さを理解できないこと、自分が外部からの招かれざる異端者であることを悟った。
 色は不安定な産物である。それは文化によって異なる様相を呈する。虹だってアフリカのある地域では3色であり、別の地域では6色である。だがそれは虹を7色と捉える日本人が色に敏感であるとか優れているとかいうことを意味しない。日本人はかつて4色しか色を持たなかったという。明らかに緑の虫を青虫と呼び続けてきた日本人が、現代になって初めて可視化された微生物をミドリムシと命名したことはその名残である。あるいは「肌色」という呼び名が差別用語になったが、これは黄色人種を人全般の肌と同視していたことに対する批判からである。日本人はまた、色に関する混乱も来している。の毛色に「鹿毛」というのがある。これは鹿に対して用いることは通常ない。おそらく動物界からは批判が来ていそうなネーミングである。もはや日本における色に関する分節化は崩壊しているとみて差し支えないだろう。虹の話に戻れば、近年は多様性を象徴する色として「虹色」があたかも1色のように用いられることも増えたが、金銀のような無彩色や赤外線のような不可視光線に該当する、多様性から零れ落ちる存在だってあるだろう。個人的には、何も崩壊したものに輪をかけて崩壊を加速させる必要などなかろうと思う。
 このように、色とは世界の始まりから確固として存在するように見え、実はきわめて文化的な価値観や倫理観、あるいは偶然に紐づけられた人工物である。同時に、色に関する語彙も、UFOが未確認の飛行物体である限りにおいてUFOであり続けるような、不死鳥が火に飛び込み灰になることによって永遠の命をつないでいるような、そんな不安定なせめぎあいの中で色が存在するからこそ、艶やかなものになっているのだと思っている。
 現代美術館で私は、プリズムによって映された「虹」を前に、色々なことを考えさせられてしまったのである。
 (1,226字、68分)

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