Dさんとの出会い(第3話)

 店を出て2人は辺りをぶらぶらと歩いた。初夏の日差し、河岸に向かって並ぶベンチ、咲きわたる花、磯の香り、遠くかすかに何かの試合の応援、2人だけの海辺、2人だけの世界。この情景ならきらめく水面の奥から良い感じの魚が顔をのぞかせているだろうと思い、Dさんと共に海をみた。そこには過日の雨で増水し、濁りきった水ばかりがあった。まあ登場人物が濁った人生とエノキダケであるから仕方あるまい。

 駅へ向かう途中、Dさんが不意に「好きなタイプはどんな人ですか?」と尋ねた。私はこの素直な問いかけを前にちょっと焦ってしまった。私には「君がタイプだ」などという浅薄な気障を駆使して場を逃れるお人好しの機転や不真面目さはない。かといって私は、具体的に好きなタイプを答えるほど生真面目で率直な人間ではない。考えながら慎重に発した言葉は、結局基準表の総合評価以上というものであった。いくつかのNG条項とグラデーションでしか図れない加算ポイント。数式のように相手を要素分解して相手を評価する機械的な作業しかしてこなかった代償として、私はいつしか、特定の生身の相手を前にしてタイプを述べることもできない人間に成り下がっていたのである。

 思えば青春と呼ぶ日々はとうの彼方に退き、果てるを意味する20歳も随分と昔になってしまった。15の時にアンジェラ・アキの「手紙」の1番に重ねた若く真っすぐな心情も、今やその2番の歌い手としてアドバイスをする側の人間になっている。

 かつて私は恋や愛について時間を忘れて滔々と語った。クラスのカースト上位の男女の話を――羨みこそすれ――妬むでもなく、恋愛にダーウィンの進化論のような、いつかは誰もが通る道としてのイメージを抱いて聞いていた。あるいは「出逢ってくれて、会ってくれて、合ってくれ」る人が現れることを所与とした、半ば放埓な話も重ねた。そうして自分の考える恋愛の形、いつかありうべき「その人」のタイプについて、夢想を膨らませていた。
 ところが現在、そうしたことについて考える時間も表現する時間もなくなった。周囲の恋愛・結婚・出産等の話を聞いても「みんな違って、みんないい」的な「多様性」というソフトな暴力の中に回収されてしまい、自らへの教訓を引き出すことができなくなってきている。なにより、「出逢って、会って、合う」以前に、「愛」などというものが人生に「在って」いるかもわからない、アコムもびっくりの状況に「遭って」いるのだから、シャレにならない状況である。
 このような中で、タイプの人間とは、体験を共有し、つらいときに手を差し伸べ、共同で意思決定と経済の連帯関係を有し、偶発的に小さい人間が発生した場合は共に管理育成を行うことを約す、そのことができる人間という、小綺麗だけれどきわめて平板で無難で一般化された、そして何より、自分と相手と自分たちが不在の定義に落ち着くのである。だから、私はDさんを前にして咄嗟にタイプを答えることができなかった。この点が最大の反省点である。

 さて、東京駅に着いた。別れの時である。私の新幹線まで時間が余っていたことと、DさんはC県方面でありK葉線を使うというので、久しぶりにK葉線まで歩くことにした。余談だが、私は上京して10年の間、陰キャを極めたために夢の国に一度も行っていない。したがって、K葉線は久しぶりだったのである。長い長い駅を歩き、そろそろ徒歩でC県に行きついたかと思う頃、駅のホームが見えてきた。エスカレーターに乗る。エスコートができなくなっているから、私が上側になってしまった。私はnoteに書く尺が少し足りていない可能性を感じたため、よくイケメンがやっている頭ポンポンというのをやってみようかと思った。だが私はこういうことが生来頗る下手である。力加減を分からないので、むち打ち患者に対する疼痛誘発テストでおなじみ、ジャクソン・テストみたいになってしまった。結果は陰性であったから、多分頚椎のアラインメントは正常と思われる。

 駅のホームで別れ際、互いに感謝を述べた後、Dさんは「いつか水族館とか行ってみたいんですけどね…」と言って笑った。私の書いた自伝的エッセイを思い出したようである。もしかして、noteが私を恋愛から遠ざけているのでは…??

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