「無駄」が出来るまでの無駄話 飯野雅敏編

雅敏はぼくがアルバイトをしていた個別学習塾の生徒でした。たしか、彼が中学二年の春休み、春期講習の時にやってきたのです。

「なんだかすごいやつがいる」というのが講師の間での噂でした。「どんな風にすごいんだろう」期待と不安を抱えながら、ぼくは彼との初めての授業に臨むことになるのです。

雅敏は実にフレンドリーな男です。もしかしたら、度が過ぎる、無礼だ、と評価する人もいるかもしれませんが、ぼくは彼のそういうところがむしろ好きです。その印象、フレンドリーさはぼくとの初めての授業でも感じられました。みんながすごいすごい言うから、真面目な堅物だったらどうしよう、と思っていたのです。正直なところ、ぼくは真面目な人間が苦手なんです。おそらく、真面目な人はぼくのことが嫌いでしょうし。まあ、それはいいとして。

ぼくは中学二年生の雅敏に尋ねました。「どんな本読むの?」

「バルトとか」雅敏はそう答えます。

ここでそれを聞いたのが竹内君(いつか登場します)だったら、「ああ、把瑠都ね。君、お相撲好きなの?」となったでしょう。竹内君は明大中野に通っているちょっとふくよかな生徒に初対面で「相撲部?」と尋ねた男ですから(ちなみにその子は音楽、オーケストラか何かをやっていたように思う)

ぼくはこう返しました。「カール?」

「いや、ロランだよ(笑)」

雅敏は中学二年にしてロラン・バルトもカール・バルトも知っていました。むしろ把瑠都を知らなかった可能性が高いです。

なんて言うか、競馬で喩えるなら、デビュー前の2歳馬の調教に乗って度肝抜かれた騎手みたいな気分でした。「これはダービー勝てますよ」その騎手は興奮しながらそう話すことでしょう。

はっきり言って、教えることなんてほぼなく、彼との授業は毎回談笑のための時間と化しました。何、話したっけ?ぼくの読んでいた加藤周一の話とか、「成年自己申告制」ってのを話したような記憶があります。まあ、勉強は教えませんでした。教えたのは南極には白熊はいないということぐらい。英語の問題であったんです。白熊の話が。

彼が生徒としてそこに在籍したのは高校受験の終わる1年間だけでしたが、その後も細々ながら連絡を取り合っていました。こんな面白い人間を手放すわけにはいかない、そう思っていたんだと思います。

そしてついに彼が大学生になり、なんとその塾で働くようになったのです。まあ、そう仕向けたのかもしれないけど。

と、いうわけで、仲間になったわけですけど、彼はいまパリにいます。留学中なのです。惜しむらくは、彼にツールドフランスの魅力を教えなかったことです。こうなるとわかっていたら、あの講師ー生徒の時に、何をおいてもそれを教えていたのに。



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