「無駄」ができるまでの無駄話 種田元晴編

ぼく、兼藤は、「無駄」主要メンバーである種田元晴さんのことを種田先生と呼びます。これは、ぼくらの出会った個別指導塾の風習というか、アルバイトの講師、それがたとえ大学生同士であっても、互いのことを「先生」と呼んでいたのです。おそらく、通ってくる子どもたちにとっては雇用形態や年齢がどうであれみんな先生なんだ、ということなのでしょう。そのころのクセが抜けずに、いまにいたっています。それに、そもそも種田先生は先生なのです。都内の大学で教壇に立ち、建築について教えていますし、そうだ、本も一冊出しているのです。しかも単著。『立原道造の夢みた建築』というのがそれです。

ぼくがその個別指導塾でアルバイトをはじめたころ、すでに種田先生はベテランとして君臨していました。ぼくと種田先生はほぼ同い年ですが、彼は雲の上の存在、とてもではありませんが話しかけられません。いや、そんなことはなかったけど、すぐに意気投合、というわけでもなかったように思います。どのようにいまのような関係になったのか、いまいち思い出せません。なにせ出会いは14年も前です。なので、印象に残っていることを並べていきましょう。

東浩紀さんの主催する講演会のようなものが東工大であってそれにぼくが種田先生を誘いました。テーマが「アーキテクチャーのなんたらかんたら」で、建築家の磯崎新さんも登壇予定ということで誘ったのだと思います。行ってみると大盛況、会場に入れず、別室でプロジェクターで映し出された会場の様子を見ることになりました。その会自体ははっきり言って不発でした。なんともかみ合わない感じで、まだテレビに出る前の宇野常寛さんはなに言ってんのかわからないし、浅田彰さんは「家が遠いので帰ります」と途中で退場するし、と実り多いものとはとても言えないものでした。

「ゴダールを見る会」なるものを結成していたこともあります。種田先生、シュウ君(いずれ別稿で説明します)、竹内君(たぶんいずれ別稿で説明)、そしてぼくが誘われました。簡単に言えば、種田先生のお父上の吉祥寺にある事務所でプロジェクターでDVDの映画を映し、見る、とそれだけなのですが、たまたまその第一回にゴダール「勝手にしやがれ」を見たので「ゴダールを見る会」と呼ばれるようになりました。実際にはゴダールを見たのは一回目だけで、それ以降はそれぞれが気になる映画おススメの映画を見ました。開始が23時頃でした。各々業務が終わったあとなのでそんな夜更けなのです。そして、それから映画を2,3本見るとなると、さらにお腹もすいているので弁当を食べ、口さみしいのでビールを飲みながら見る、となると睡魔との戦いでした。きつかったのは「シェリタリングスカイ」「舞妓Haaaan!!!」あたり。「選挙」や「タクシデルミア」、ほかに何見たっけ?で、夜通し映画を見て、早朝の吉祥寺駅前の富士そばで四人並んで朝食を取り、始発で帰る。

なんだか青春な感じですね。

たぶんこんな感じで仲良くなったんでしょう。あれ?仲良くなってますよね?もしかしたらぼくだけ仲良くなったと思っているだけかもしれないけど。

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