「無駄」ができるまでの無駄話 兼藤伊太郎編

ぼくらはいま、「無駄」という雑誌を作ろうとしている。作って、11月の文学フリマ東京で売るのだ。どうせ作るなら多くの人に手に取ってもらいたい。とはいえ、どこの馬の骨とも知れないやつの書いたものにお金を払いたいという人がいるだろうか?そもそも、ぼくらのことなど誰も知らないのだ。存在すら知らないものに興味を持つことなんて不可能だろう。

というわけで、これは宣伝です。宣伝のための自己PRであり、ぼくらの履歴書であり、あるいは自分たち自身にとっても、自分たちの来歴を知るためのものでもあるかもしれないけれど、基本的にはぼくらを知らないあなたに向かって書いています。そう、あなたです。できるだけ、嘘偽りなく、細大漏らさず、とは思うけれど、それなりの脚色や、省略はあるかもしれないし、わかりづらいところもあるかもしれません。まあ、その辺はご容赦くださいということで。

あ、あと付け加えるなら、これはこの文章を書いている兼藤(「無駄」首謀者)による、「私的無駄前史」です。ぼく以外の視点からは、まったく、とは言わないまでも、違う語られ方がすることでしょう。その点にも気を留めてお読みいただければ幸いです。

時は2005年、それはもう14年も前の事ですが、ぼくは三鷹にある個別学習指導塾でアルバイトをすることにしました。当時、ぼくはすでに大学を卒業していましたが、いちおう、教職を目指すという体でプラプラしていたので、そのエクスキューズとしてそこでアルバイトをはじめました。ぼくは学生時代から書店でアルバイトをしていましたが、教職を目指す、という体なので、なにか教育に関わるバイトでもしておいた方がいいだろう、くらいの感覚です。実際のところ、その目標に対するぼくのなかに占める割合は良くて3分の1、4分の1か5分の1くらいだったような気もします。教職試験も受けましたが、そこまで熱心に勉強しませんでした。ぼくのなかを多く占めていたのは何か物語を書くことでした。大学の頃から少しずつそうした作業をはじめていて、できることならそれで口に糊したいと思っていたのです。とはいえ、そんな大それた目標を口にすることのできない小心者のぼくです。表面上は教職を目指しながら、小説を書いていました。

大学時代のぼくは、特に大学でのぼくは、あまり人付き合いをしない人間でした。東京の、駅伝と野球の有名な私大に通っていたのですが、そこではぼくと興味関心を同じくする人に出会わなかったのです。ぼくの興味は文学や思想でした。ぼくの周囲の人たちはなにに興味をもっていたのだろう?おそらく、具体的で現実的な事柄に関心があったのでしょう。ぼくはそうしたものに関心がなく、就職活動にも興味がなく、リクルートスーツを着て足早に歩く学生たちをぼくは軽蔑すらしていました。大きなシステムになんの疑問も抱かないことに対する疑問がぼくにはありました。ぼくには彼らが主体性も無く、ベルトコンベアで運ばれるように、高校から大学、そして企業へと進んでいっているように見えたのです。今となってみれば、その方が楽だったのかもしれない、もっとうまく立ち回ることもできたのかもしれない、とも思いますが、当時のぼくはいま以上に不器用でしたし、当時の自己認識としてはあまりに潔癖だったのです。

大学時代のぼくの居場所はアルバイト先の本屋でした。東京駅にあった、いまはもうない本屋です。そこでアルバイトをする人たちはある程度までぼくと興味関心が似ていたし、日々やって来る本たちにワクワクしていました。思えば、あの頃のぼくは文学にも、哲学思想にもいまよりももっとドキドキしていました。そこに何か深遠なものがあると信じて疑っていませんでした。ページをめくるたびに開ける世界にゾクゾクしていました。

種田先生編につづく

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