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雑談#14 現場に立たないと、見えてこないことがある! 〜 岐阜関ヶ原古戦場記念館に行ってきました

 NHKオンデマンドで「歴史探偵 関ヶ原の戦い」を見たことと、当番組でもおなじみの城郭考古学者、千田嘉博先生が「新説戦乱の日本史(SB新書)の一つの章で、関ヶ原古戦場で行った航空レーザー測量によって、幻の巨大城郭「玉城」の存在が明らかになり、その城郭が関ヶ原合戦のために築城されたことを前提にすると、関ヶ原の戦いは迎え打つ西軍がどんな策を立てていたかを考察されていたのを読んで、2020年10月に開館した「岐阜関ヶ原古戦場記念館」に行ってみることにしました。

 関ヶ原古戦場は、2018年3月に訪れ、開戦地や小西行長、石田三成、島津義弘、大谷吉継らの陣地跡を見て回ったことがあります。ちなみにこのときは、小和田哲男先生の「関ヶ原の戦い 勝者の研究 敗者の研究」を読んだことをきっかけに出かけたのでした。

 「岐阜関ヶ原古戦場記念館」は関ヶ原町役場の向かい、徳川家康最後陣地の隣に建てられた、陣地を模ったデザインが印象的な建物です。入館料は一般500円で、関ヶ原の合戦に馳せ参じた武将の甲冑や、合戦に至るまでの経緯を物語る古文書などの展示を見ることができます。でも、一番の見どころは、「グラウンドビジョン」と「シアター」です。関ヶ原の戦いに至るまでの流れと、戦場での戦いについて、わかりやすく映像化して見せてくれるのです。

岐阜関ヶ原古戦場記念館
「どうする家康」展示は2024年1月14日まで


「どうする家康」徳川家康甲冑


「どうする家康」石田三成甲冑

 シアター館内に入ると、まず案内されるのが「グラウンドビジョン」。ここでは、床面に設置されたスクリーンを、上から俯瞰で見ながら、関ヶ原の戦いでの西軍、東軍の布陣と、開戦後のそれぞれの武将の率いる部隊の動きを見ることができます。講談で語られる戦いの経緯は、わかりやすく、結果がわかっていても思わず手に汗握ってしまいました。

 およそ8分ほどの「グラウンドビジョン」の映像が終わると、次に案内されるのが映画館のような「シアター」です。こちらは座席に座ってゆっくり観覧することができます。ここでは「グラウンドビジョン」で俯瞰で見た関ヶ原の戦いを、戦場の大地に立ち、雑兵の視点から見ることができます。それだけではなく、まさに関ヶ原の戦いの、その場にいるような実感がわく演出がされているんです。歴史の動く現場にいて、それを体感する。そんな楽しさを味わうことができました。

5階展望室からは、古戦場を一望することができる

 さて、2018年に古戦場の陣地をあちこち周り、今回この映像化された「関ヶ原の戦い」を見て、気づいたことがあります。「グラウンドビジョン」では、石田三成率いる西軍は鶴翼の陣形、徳川家康率いる東軍は魚鱗の陣形を取った、と説明されていました。それはその通りなのですが、以前実際に石田三成の陣地跡へ行ってみたとき、思ったことがあります。「この場所だと、山に隠れて戦場全体が見渡せない」! 石田三成が西軍の総大将だったとしたら、その陣地の場所は、鶴翼の中心あたりであるべきです。だけど、そうではなく鶴翼の翼の先のほうだったのです。

 そこで思い出したのが、「歴史探偵」で紹介された巨大城郭、玉城のことです。玉城はまさに、石田三成と大谷吉継が画策したであろうその陣形の、まさに鶴翼の中心部にあるのです。
 千田嘉博先生の著書によると、玉城はその規模の大きさから、豊臣秀頼を総大将として着陣させるために築かれた城だと推察される、ということでした。そう考えると、石田三成の陣地があんなに端っこであることも、島津義弘が最後まで動かなかったことも(そこを突破されれば、総大将が危ない)、そして石田三成が自害せず敗走したことも、なんとなく「そうだったのか」と腑に落ちるところがあります。

 歴史的な出来事のあったという場所に立ってみてはじめて「そういうことか!」と実感できる、ということがあります。これまで、勝者となった徳川家の視点から書かれた歴史によって、関ヶ原の戦いは描かれてきました。しかし本当はどうだったのか、それを教えてくれるのは「現場」です。関ヶ原古戦場は、まさにそんな場所ではないでしょうか。


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