夜の街を歩く

 夜の町を、わたしは1人歩いている。
 見知らぬ町だと思っていたが、そうではなく、過去をさまよっているらしかった。それも、わたしが生まれるよりずっと昔の。

 寂しい通りがどこまでも続く。
 空腹を覚え、コンビニを探すのだが、この時代にそんなものなどなかった。自動販売機さえ見当たらない。
 代わりに小さな洋食屋を見つけた。表のガラス・ケースには、安っぽいメニュー見本が並んでいる。切れかかった電球に照らされて、色あせ、埃をかぶっている。

 立て付けの悪い引き戸をガタガタと開き、中へ入る。
「いらっしゃい……」店の奥から、60を過ぎていそうなおばさんが声を掛けてきた。
 テーブルに着くと、
「今日のおすすめはなんですか?」と尋ねる。
 ちょっと沈黙があって、おばさんは答えた。
「鯖の煮付け定食かしらねぇ。あ、オムライスが付くよ」
「じゃあ、それをお願いします」

 料理はすぐに運ばれてきた。
 ところが、トレーに載った料理に手を付けようとしたとたん、するっとテーブルから落としてしまう。どうも、テーブルが傾いていたようだ。
 わたしはあたふたとし、食器や割れたカップを拾い集める。
 おばさんがやって来て、
「ほれ、いいから、いいから。あとはわたしがやっとくから、席に座ってな」と言う。おばさんは手際よく、散らかった料理を片づけていった。

 申し訳ない気持ちで待っていると、再び同じ料理が運ばれてきた。
 鯖の煮付けを盛った皿、オムライス、味噌汁、それから濃い黄色をしたスープがトレーに収まっている。
 わたしはまた手を滑らせ、トレーごと床に落としてしまう。
 おばさんは後片づけをしてくれたが、料理はもう持ってきてくれなかった。

 店を出たあとも、(あのスープはどんな味がしたんだろうか)などと、いつまでも気になって仕方がなかった。それに、鯖の煮付けのおいしそうだったこと!

 気がつくと、線路沿いを歩いていた。カンカンカン、と乾いた踏切の音が遠くから聞こえてくる。
 この辺りは、わたしが知っている時代の面影をよく残していた。ふと、懐かしさが込み上げてくる。自然と足が速くなった。
 
 奇妙なことに、進むほど景色が様変わりしていく。古い家が次第に少なくなり、道の舗装も整ってきた。自動販売機が置かれるようになり、その数もだんだんと多くなる。
 どうやら、道は未来へ向かっているらしい。このまま進んでいけば、現在に戻ることができそうだ。

 歩きながら考えた。
 現在にたどり着いたとして、その先はどうなっているのだろう。未来の景色が広がっているのだろうか。もしも踏み込んでしまったら、果たして戻ってこられるのか。
 わたしは、後ろを振り返った。

 洋食屋のおばさんが、虚ろな目をしてそこに立っていた。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?