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「江戸時代の地形を思い浮かべて~上野・不忍池」

池の真ん中の弁財天に建つ石碑に上野台地と本郷大地(向ヶ丘)の間の地名が忍ケ丘と呼ばれていたことに由来すると言われる不忍池ですが、数多くの説を持っています。
かつては武蔵野台地の縁の海岸線でしたが、江戸時代初頭に天海が寛永寺を建立すると琵琶湖に見立てて弁天島を築いたと言われています。
 
石神井川が王子・飛鳥山あたりから大地の谷筋を流れ、駒込あたりからは藍染川(谷田川)の名前を変えて、注いでいました。お隣の根津や千駄木にはへび道といって、暗渠となった川筋を巡ることもできます。
 
1884年から1892年まで、周回する遊歩道では競馬が行われている時期もありました。今の競馬と違って、祭典的な要素が多く、皇族や華族、政府高官たちの余興の場、屋外の鹿鳴館と呼ばれていました。
 
今でも営業を続けている貸しボートは、1931年に始まったものです。
恩賜公園の桜や周辺の寺社仏閣など、東京を代表する観光地の一つですが、不忍池は、その中でもホッとする憩いの場所でもあります。

昨日、たまたま、蓮の花を撮りに行きました。
朝四時半、徐々に昇ってくる日が光の道を作ってくれました!

不忍通り沿いの高層ビルに当たる光、蓮の花にも当たっています!

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