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「近代化産業の輸出港~JR九州・門司港駅」

駅全体が明治の産業遺産のような門司港駅は、1891年に門司駅として開業し、十年後に下関駅との間に関門連絡船が結ばれ、九州島内の出入口となりました。頭端式のホームは、「ここから先は線路がありません」と語っているかのように荘厳な駅舎が建っています。1942年に関門鉄道トンネルが開通すると門司港と改称されました。
 
日本の甘味料は、和三盆の原料となるサトウキビが主流でした。明治時代に欧米各国からのてん菜を原料とする砂糖が輸入されるようになると、長崎から門司間に貨物輸送が行われるようになりました。俗に言われるシュガーロード、長崎街道沿いには数多くの和洋の菓子屋も創業し、地域を代表する伝統菓子が有名になりました。
門司港周辺は、九州の産業集積地として、貿易会社が出店を増やし、その力を競い合うかのように重厚な本社ビルを建てていきました。
 
今では、「門司港レトロ」と言われるように、明治大正時代の建物群を再活用し、観光の新たな名所として、それぞれがしのぎを削るようになっています。
駅は、その土地に出向いて最初に訪れる場所です。
門司港駅は、平成の大修理も終了し駅舎もリニューアルされました。出会いや別れ、新たな発見と、観光地の中心として存在意義を高めています。

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