#87 子ども食堂は「おとな食堂」か?
田中さん
あけおめ。随分、ご無沙汰してますね。お元気でしょうか?ヤフー記事なんかを読むまでもなく、すこぶる元気そうで何よりです。ぼくもぼちぼちやってますよ。
早速ですが、『子ども食堂』とぼくの関わりは、『子ども食堂』の元祖、NPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワークの栗林さんが「ぴっかりカフェ」に遊びに来てくださって、その後イベントで二回一緒になったというくらいの関係しかありません。
二回とも同じ映像を観て、二回とも同じところで泣きました。曖昧な記憶ですが、おじさんが「同じ場所で同じ物を食べる。素晴らしいじゃないですか」と笑顔で言うシーン。この言葉の裏にある孤独を読み取っちゃって、ぼくは涙が出るのです。
「子ども食堂、そう来たかぁ」って感じで、このムーブメントを校内居場所カフェと地続きな支援として見守っています。奇しくも「ぴっかりカフェ」は、いずれ地域に返す事業なのではないかということを考え始めた時期とも重なり、ぼくの中ではけっこうな注目なわけです。
そんな中、ウォッチし続けていると、子どもが集まらず、いいことしたい大人がたくさん集まり『大人食堂』になってしまっている『子ども食堂』があったり、分かりやすい表面的なコンセプト部分にだけ引っ掛かった大人が集まり、裏のコンセプトの貧困や孤独、ネグレクト等のDVの被害に遭う子どもたちのシェルター的な機能等の本筋の部分が共有できていなかったり。
要するに、手段部分に注目が集まり、それが目的化している大人たちの取り巻きが肥大化しているような印象を受けています。
一方で、コアな目的部分だけにコミットする人だけだと、こんなムーブメントにはならないだろうから、このお母さんたちのライトなお節介感覚を大切にしていけばいいんだろうけど、このライトな感覚とは真逆の行政資金、つまりヘビーな税金が入り始めているのも、どう発展していくんだろう、なんて見ています。
田中さんが、このムーブメントをどう見ているのか気になり、久しぶりに筆を取りました。
いしい
※
石井さま
こちらこそ、ご無沙汰しています。今年もお互い楽しみましょうね〜。
石井さんの上の原稿を読んで、子ども食堂に関する謎が解けました。
なるほど〜、日本の今の「子ども」の状況についてそれほどリアルでない人も、子ども食堂という旗のもとに集っているんですね。
どおりで、僕が「子ども食堂を学校に!」とYahoo!ニュースとかで書いた時も、なんとなく的はずれなリアクションがあったわけです。
「貧困」のリアル(今晩の食べものがない、寝る場所がない、でもスマホは持っている、同時に彼氏には貢ぎながら殴られている等)に晒されているハイティーンと出会っていない人々がまだまだいて、そうした人々の一部が「子ども食堂」に吸収されているんですね。
なんか複雑な気分です。
そうした、「子ども食堂に関心を抱く中流層」のことに寛大でいなければいけないと思いつつ、貧困ハイティーンのリアルな問題をリアルに感じることができず、単に盛り上がりとしての子ども食堂に集う人々がいる。
別にこれはこれでいいんですが、これこそが「階層社会」なんですね。
あの子、かわいそうよね、私たちがなんとかしなくっちゃ。
と思わせてしまう世界が。
「ノブリス・オブリージュ」にまで階層化されれば僕は文句は言いません。でも、日本は、子どもを大切にせず(子どもに「投資」せず)言うばっかりですよね〜。★
田中
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?