#97 役割のシャッフルとノブレス・オブリージュ

田中さん

昔、田中さんに教えてもらった「ノブレス・オブリージュ」がやっと間違えずに言えるようになってきたよ(笑)。

でもって、あの頃は突拍子もない価値観を田中さんが持ち出して来たなと思ってたけど、けっこう広まって来ていますね。ぼくが知らなかっただけかな?

パノラマの今度のオフィス「桜台コリドール」のある横浜市青葉区は、横浜で最も裕福な区なんだよ。男性の長寿日本一!高貴な街なわけ。

「ぴっかりカフェ」をやってる田奈高校なんかビバリーヒルズの中の小高い丘の上にある老舗の課題集中校って感じで浮きまくっているからね。

で、ぴっかりカフェってレギュラー・ボランティアの方が毎回美味しい食べ物を作って来てくれたり、ボランティアさんがお菓子を持参してくれることが凄く多いんだよね。

そして、そんなボランティアさんたちがさ、遊んであげているんじゃなくて、実は高校生に遊んでもらっているんだよ(笑)。中には自分の子供のことを生徒に話し、アドバイスをもらっている人もいたりしてね。

校内居場所カフェって、田中さんが前回書いたように「役割のシャッフル」が起きやすいよね。そして、ぼくはそれをとてもナチュラルなノブレス・オブリージュの形なんじゃないかって考えるようになったわけ。

言い方があってるかはわからないけど、ノブレスたちはさ、オブリージュしたがってるんだけど、どうやったらいいかわからないでいる。でも、家の側の高校で面白そうなカフェがある。NPO法人も入ってるみたいだし、どれ、いっちょ行ってみるか。これがノブレス・オブリージュじゃないのかな?

                                いしい

ノブレスは移動する

石井さま

そう、広く解釈すると、ノブレス・オブリージュはそこまで含むのかもしれませんね。

僕としては、「ノブレス」というあり方が居場所カフェにおいて人々の間を移動していることもおもしろいと思います。

カフェ内の局面により、「与える側」はボランティアの大人ではなく生徒のほうになったりする。

はじめは、飲み物やお菓子を大人側は提供し、生徒の話を聞いているのかもしれません。

けれどもいつのまにか立場が逆転して、生徒のほうが大人の話を聞いたりアドバイスする側(広い意味での支援する側)に立つ。

一方的支援(救いを一方的に与えること)は、コミュニケーションにはそもそも存在しないんですね(と、哲学ではよく言われます)。

与えたつもりでも、そこでは同時に何かを与えられており、この「贈りつつ贈られる」関係こそがコミュニケーションの深淵だと。

けれども、固定的関係性(つまり、教師-生徒やクライエント-カウンセラーといった固定役割)においては、その根源的コミュニケーションを隠蔽しています。本来は相互に与えあっているのに、固定した「役割」がコミュニケーションの本来性を覆い隠し、生徒はずっと教えられる側に立たせられる。

それが居場所カフェでは、石井さんのいう「役割のシャッフル」によってぐらつき、大人も生徒も役割を移動させながら、互いに励まし合ったりする。

立場の移動が自由にできるということが、サードプレイスの最大特徴ですね。家庭(ファーストプレイス)や職場(セカンドプレイス)ではできませんもんね。(^.^)

                                 田中

「つづく」

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