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教室の空気


学校のことを思い出すと息ができなくなる。小学校高学年くらいからはじまる教室のあの空気。中学生になっても、高校生になっても変わらなかった。スクールカースト、クラスの中心グループ、カーストが低い子が目立ったときににやにやと笑うあの感じ。大学生になった今も、教室のあの空気は形を変えて付きまとっていた。サークルの飲み会、SNS。逃げたいのに、気にしたくないのに、どうしても飲み込まれてしまう。

コロナウイルスで大学の授業がWEB授業になり、あの空気から解放された。自分の部屋から出なくても、誰にも会わなくても生活できる。インスタグラムもこれをきっかけにやめてしまった。息をしやすくなった。

あの空気と距離をとれている今だからこそ見えるものがある気がして、文章にしようと思った。コロナが明けてまたあの空気の中で生きていくことになったときに、少しでも生きやすくなるように。


小学校のころ、私は教室の中心にいるグループにいた。5人グループだった。バスケのチームに入っている夕莉ちゃん、ソフトボールのチームに入っている里香ちゃん、勉強がとてもできて中学受験をするつもりの光ちゃん、かわいくておしゃれで男子からの人気がある栞ちゃん、それと私。その4人は共通して男子とも先生とも仲が良かった。目には見えないけど、その4人はキラキラしていて、他のグループとはとは違う空気の流れがあった。

そのグループの中で私はいじられ役だった。いじられるのは、たまにいらってするけど、それでもそのグループの中にいるためにはその役しかない気がして、へらへら笑っていた。そのグループにいれば教室でも息ができた。グループの中にいるときは少し息苦しかった。

グループの子たちとは帰る方向が違っていて、下校はいつもひとりで帰っていた。みんなそれぞれ仲のいい子と帰っている中一人で帰るのは恥ずかしくて、帰りの会が終わったら一番に教室を出た。人がまだ少ない通学路を早歩きで帰った。そこでやっと、息ができた。

修学旅行のグループを決めることになった。男女で5、6人のグループを作ることになった。私たちは5人グループだし分かれるとしたら2人と3人のはず。そしたら、夕莉ちゃんと里香ちゃん、光ちゃんと栞ちゃん。私は光ちゃんのほうに入るのかな、たぶん。そんなことを思っていた。

結局私はそのどちらのペアにも入れなかった。あやのちゃんという別のグループの女の子とペアを組むことになった。あやのちゃんは、最初は別のグループにいたけど、途中からこっちのグループに入ってきた子だ。私と同じいじられ役だった。「なっちゃんはあやのちゃんと組むのがいいとおもう」誰かが言った。みんな賛成した。

私は、あやのちゃんと組むのが嫌だった。嫌いなわけじゃない。いつものグループから外れちゃう気がして嫌だった。あやのちゃんからも同じ空気が伝わってきた。せっかくこっちのグループと仲良くできていたのに渡されたのは一番下の私。

修学旅行のグループは、私とあやのちゃんと、あやのちゃんのグループの女の子、それと男子3人になった。旅行の記憶はあまり残っていない。そこでも里香ちゃんとか光ちゃんの行動を気にしていた気がする。

修学旅行がおわって、先生たちが撮った写真が廊下に張り出された。ほしい写真は注文すれば買えるらしい。里香ちゃんと夕莉ちゃん、光ちゃんと栞ちゃん。そのペアで映っている写真はあるのに、5人で映った写真はなかった。私はその写真たちを一枚も買わなかった。

面白い、スポーツができる、友達が多い、かわいい文房具を持っている、先生と仲良く話せる、声が大きい。そんなことで変わってしまう空気。今なら簡単に飛び越えられるのに、小学校の私にとってはつまずいてしまう石だった。