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「有名人ビジネス」からVtuberを考える

勝間和代著『「有名人になる」ということ』を手がかりに

最近、評論家の勝間和代さんの新書『「有名人になる」ということ』を読んだ。

だいたい10年くらい前に書かれた本で、著者が自社の事業が低調になったことをきっかけに、「有名人になる」と決意して評論活動を展開し、「カツマーブーム」と称された一大ムーブメントを経験したあとに書いたものです。
そう聞くとブームを回顧した自伝のように感じると思うが、本書のメインに据えられているのは「有名人になる」ことを経営・経済の面から解説することで、ビジネス経験談であり、自身が用いたハウツーとその結果をつまびらかに述べている。

つまるところ、これは起業本で、そのなかで類書と異なるのは、「有名人をつくる」ビジネスのほうにも言及していることで、起業本に例えると、自分たちを出資してくれたファンドがどういう戦略を持って接してきたかということにも言及しているようなものです。

そしてその項を読んでいたときに、僕が考えていたことは、「これはVtuberビジネスにも敷衍できるのでは?」ということだった。

インフルエンサー=新しい「有名人」としてのVtuber

Vtuberが、というか、キズナアイがその登場当初、「無敵の広告塔」と目されていたことは、以前にも書いた。

しかし、この目論見は主流化しなかった。Vtuber業界は、運営と演者間のトラブルが露見したことや、Vtuber同士の生っぽい関係性がウケたこと、よりライブ感が求められるようになったからだ。

Vtuber業界の拡大は、企業に支援されグループに所属している、いわゆる「企業勢」のVtuberの躍進であり、同時に起こったのは個人として始めたVtuberが事務所運営を始めるというケースです。

その1つが、漫画家の佃煮のりお氏が展開する「のりプロ」になる。当初はVtuber犬山たまきのみを展開していた同氏が、運営事務所を立ち上げ、自身でグループを立ち上げた。

この展開は、Vtuberに対する認知が広がり、企業化、あるいはグループ化することでエンターテイメント系の企業以外とのタイアップが増えたことで法人間取引が要求されるようになったとも見れる。

一方で、これを有名人ビジネスの展開としてみると、「有名人になったひとが、有名人を作る事業を始めた」とも捉えられる。

勝間氏の著述に寄れば、有名人ビジネスの特徴は、衆人環視の生活となるという大きなデメリットと、コネクションの拡大というメリットにあるという。一般に考えられるメディア出演での高額なギャランティは、彼女が評論家、文化人として扱われたこともあって無縁だったという。その上で勝間氏は、有名人ビジネスの本質は「コネクションの拡がりをいかに活用できるか」にあって、それができなければ有名人になった意味が無いと喝破する。

確かにVtuberも、一頃のムーブメントとして始まったころからすれば社会での認知度も高まり、テレビ番組や新聞などのマスメディアで扱われることも多くなってきた。企業所属のVtuberが既存の商品とタイアップする例は年々増えており、芸能人などとのコラボというのも見られるようになってきた。

では、Vtuberは芸能人/タレント化するかといわれると、ちょっと微妙なところで、というのも、Vtuberビジネスにおいては、運営企業の影響力が格段に強いという違いがあるからだ。

Vtuberビジネスにおける運営企業の「チャネル総取り」構造

Vtuberと一般のyoutuberの違いは、端的にいえばその「肖像」の扱いにある。Vtuberの見た目は言うまでもなくイラストレーターらの手によるデザインを元にした画像であり、企業が発注して利用している知的財産(IP)だ。これによってVtuberの「身バレ」リスクはyoutuberや他の芸能人などより低くなっていて、かつてスキャンダルと無縁だとされた点もここにある。

しかし、これは一般の芸能人に例えると事務所から顔を用意してもらった、といっているようなもので、有名になって違う事務所に写ろうとしても、「事務所やめるなら、その顔は返してね」といわれたら、それに従わざるをえず、十全に知名度を引き継ぐということが難しくなっている。

ただ、この点をデメリットとみるかどうかは、Vtuberの演者のなかでも判断が異なるものになるであろうことは当然あって、例えば、違う事務所に移籍して違うVtuberになること、いわゆる「転生」をすることで以前の経験を活かしながらまったく異なるキャラとして売り出すこともできる。
あるいは、開き直って、素顔を晒して、youtuberのほうに転身するということもできて、この場合は、本人の意向と、そのサポート体制がどれくらい整えられるかで話は変わってくると思います。
ただ、これらの転生、あるいは転身を明言したことのある有名Vtuberは、今のところ皆無で、その点でも、ファンという唯一といっていい財産をいくらか減らす覚悟が必要なのは、想像に難くない。
つまるところ、有名人ビジネスとしてあるべき主体の展開先までは、Vtuberビジネスは描けていないので、このような転身が考察されるのだ。

Vtuber、あるいは配信業はやめられるのか

現在、Vtuberの二大グループである「にじさんじ」と「ホロライブ」は共にそれぞれのトップVtuberをロールモデルとした展開がされ、盛況だが、一方で、元Vtuberも増えてきた。
最後に触れるのは、「有名人ビジネス」に当然付きまとうデメリット、衆人環視の問題が本人にもたらす影響で、勝間氏は本書のなかで面白い指摘をしている。それは有名になったことで実力を勘違いするようになり、過信するようになったり、影響力が下がるようになると「有名な自分」を保とうとするということで、これを人気が落ち目になった女優がヌードグラビアに出る心理から推察している。
youtubeが彼ら個人にもたらす利益はどれほどかは、私はあまり考えていないが、しかしその「旨味」を一度知ったら元の生活には戻れないだろう。
しかしそのときにわかるのは、当人の本当の実力、プロモーション力であり、そしてあとは運次第、ということになるという意味で、よりグロテスクな様相を呈するのだろう。

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