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多様性なるもの

「多様性のある社会を目指して」「いじめゼロを目指す」「人と人が認め合う社会」

世界が井戸の底だけで他の世界のことを知らなかったとしたら、子どもに「多様性とは」的なことをどうやって教えるのだろうとふと考える。

そもそも自分自身が井戸の底にいたら多様性を教えるという発想にもならないかもしれない。

もしくは聞きかじった「多様性」というぼんやりとしたものを自分の経験の範囲で「理解している」と思い込んでいるのかもしれない。

自分の経験や知識の井戸の底で子どもに「多様性」なるものを説いたところで子どもがその井戸をからはみ出る「多様性」なるものを身につけるとも思えない。

でも僕らはとっくに自分の親世代の認識している「多様性」よりもだいぶ進んでいる気もする。結局親が作為的に教えたいと思うことって言葉で教えようとしても意味がないのかもしれない。

子供は勝手に井戸の外に出て学んでいくんだろう。でもこの井戸から出てみたいと思う根源的な「何か」はものはすごく大切できっとそれは「好奇心」なんだろうと思う。

人に対する好奇心は家族への好奇心から始まり、友達への好奇心、周りの大人への好奇心、人の人生への好奇心、国や文化、風習や習慣への好奇心、歴史への好奇心と広がっていく。
人に対する関心があれば結果的に多様性なんてものを意図して学ぼうとしなくても身についていくものなのなのかもしれない。

学びの根源的な好奇心という原動力に親としてガソリンを注ぎたい。その為にも子供以上に好奇心を持ち続けたいと思う今日このごろ。

また旅にでたい

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