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緞帳


長いこと目を瞑っていたのか、それともその刻は突然訪れたのか、その辺りはよく覚えていないのである。目を開けるとわたしは独り、少しく古びたなお薄暗い劇場のホールのひと座席に腰掛けていた。得てして劇場や映画館の座席と云う物は、座り心地の良いような、しかして座席のバネ仕掛けがうかうかした気持ちに拍車を掛けるような、複雑な心持ちを起こさせる造作である。前方には緞帳の降りた舞台が宵闇が如くのしんと居座っており、大した明かりもない場内の中、他には何も視えない。

「うおん、うおん」と得体の知れない音が鳴る。オノマトペアでは表しきれない奇妙な共鳴であり、それは緞帳の奥深くから聴こえて来るようだ。しかしながら建物の造りが音を反響させるせいか、四方八方からこごもった響きを乗せて耳に侵入って来るようにも感じられる。実に不快である。それにも増して怖気立つ思いである。何だか恐ろしい。耳に障るこの不気味な音が恐ろしいのか。この空間が恐ろしいのか。何が恐ろしいのか判然としないことが怖じ気る気持ちを膨れ上がらせているようだ。

ふいに頭が重くなる。のしのしと天骨に重みが増して行く。頭上だから目に見えはしないのに何が乗っているのかが分かる。緞帳だ。普段は舞台をプロセニアムアーチで区切り、演じる者と観る者との世界を分かつ厳かな布切れがクルクルとまるでイスラームの教徒が頭に巻くターバンのようにわたしの頭を覆って行く。とても重い。首が縮こまり閉塞的な気分になる。息が詰まりそうだ。空恐ろしさで身体の内も外もその全てが埋まってしまいそうになる。気が狂いそうだ。

ふと人の声が啼く。幾人か居るようだ。
わたしの目は緞帳の重みでもうその機能を停止している。気配と声だけが頼りである。

「すみません」

謝っているようだ。

「すみません、のりお師匠が」

のりお師匠が。

「すみません、内ののりお師匠が五月蝿いばっかりに」

のりお師匠が五月蝿いばかりに。


のりお師匠が五月蝿いばかりにわたしはこのような恐怖に見舞われているのか。

よく分からないが何とかして欲しい。
舞台上の緞帳の奥から聴こえる、その「のりお師匠」とやらの五月蝿い声を止めてはくれないか。もしくはこの頭の上に未だクルクルと降っては回る緞帳を除けてはくれないか。重くて重くて、怖くて恐くて仕方がない。

幾人かの人々は未だ謝り続けている。
「のりお師匠が」「のりお師匠が」と謝り続けている。
もう謝らなくていいのだ。
ただ止めて欲しい、退けて欲しいだけだ。
そうでないと、わたしは、恐ろしくて畏ろしくて頭がどうにかなってしまう。

うおんうおんうおんうおん。
クルクルクルクル。
うおんうおんうおんうおんうおん。
クルクルクルクルクル。

そのとき、音もなく舞台上の緞帳が開いた。





と、云う夢を主人が見て夜中に飛び起きたらしいのですが、夢の中の恐ろしい音の正体は横に眠るわたくしのイビキだったそうでどうにも納得がいかない。

「地獄の番犬ケルベロスみたいなイビキだった…」

と朝から疲れ果てていて、今朝は申し訳ない気持ちと面白がる気持ちでいっぱいいっぱいの一日の始まりでしたね。




わたしの昨夜のイビキが

「ぶふぉおおおお」
「ンがっ、ンゴゴゴゴ」
「ぷひゅるるるるるるる」

と多岐に渡り、短時間で次々と変わるもので気になって気になって中々眠れなかった…とは主人の談です。

嘘だい、わたしのイビキはもっと可愛いはずだい。