マスメディアの曲がり角

・プロローグ 2

同じ頃、太平洋テレビジョンでメディア戦略局長を務める山田は、もはや当分の間、自宅に帰ることは諦めて、改めて今後の方針を詰めていた。
自宅にいる妻に電話をして、暫くは帰れそうもないと伝えたばかりである。
電話口で妻から「テレビで見ました。大変そうね。身体だけは壊さないように気をつけて。」と言われ、その心配そうな声を聞き、所詮は社の歯車の一つでしかない身であることを感じながらも、目の前に山積している今後の対策を一つずつ片付けていくことの重みから、ささやかな感傷を吹っ切ってしまうのに数分とかからなかった。
局次長の片岡をはじめ、このプロジェクトに関わった部下たちも残っている。
「片岡。東洋テレビの方は上手くやってくれるよな?」
「事前に十分に打ち合わせていますから、大丈夫でしょう。彼らも面子があるから、本当は経営危機だなどとは口が裂けても言いませんよ。彼らはプライドだけは、ウチよりも高いですからね。」
「ハハハ。それは言えるな。これまでは人目に付かないように気を付けてきたけれど、もう発表しちゃったから、これからは打ち合わせもしやすくなるからな。とにかく、この合併は対等だということで、通さなければいけないからね。」
「そうですね。それにしても、東洋の加藤会長の対応にはヒヤヒヤさせられましたよ。お詫びの記者会見じゃないんですから。あんなにかしこまられても。」
「仕方ないさ。ウチの藤田さんが慣れっこなだけだよ。アチラの島田局長も同じ思いだったはずだぜ。とにかく、これは対等合併だ。それさえ伝われば、あの会見は成功だよ。」
片岡にはそう言ったものの、同じ不安は山田の心中から消えたわけではなかった。東洋テレビの加藤会長の会見での様子からは、明らかに経営危機を背負った会社であることの弱さのようなものが窺えた。藤田相談役とは違い、明らかに現場経験を背に社長、会長を務めたテレビマンそのものの実直さが見え隠れしたように見えた。
太平洋テレビジョンにとって、東洋テレビはライバルでしかない。そのライバルの経営危機を隠してまで、対等合併として救済していく余裕が、果たして自社の方にあるのかすら疑問である。
しかしながら、他の業界のことはいざ知らず、マスコミの王者たる地上波民放にとっては、たとえライバルであろうとも勝手に倒れられては困るのである。
このプロジェクトが始まったばかりの頃には、相談役の藤田も「潰れるところは、潰れたっていいじゃないか。役所だって、もう護送船団は終わりだって言っているくらいなのだから」と笑っていた。
そうして始まった話でありながら、対等合併という記者会見を迎えるに至るのには理由があった。
しかし、その時点においてもなお、勝者であるはずの太平洋テレビジョンの誰一人として、想像を絶する変革が急激に進んでいることに気付かずにいた。

(つづく)



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