見出し画像

巻き込まれて生きていく #羊3

巻き込まれて生きていく #羊1はコチラから
巻き込まれて生きていく #羊2はコチラから

2017年7月28日
前回の初顔合わせから、ちょうど1ヶ月ほどが経っていた。

もちろん、その1ヶ月の間に「東京ラムストーリー2」出版プロジェクトのための連絡事項はSNS上でやりとりされ、今はまだ明かすことのできない情報のやりとりが進んでいた。主に僕以外の人たちの間で。

そして僕。
東京ラムストーリー2の出版に向けて暗躍する人たちの、活動の様子をレポートする役を仰せつかった。前回そう書いた。
しかし実際のところは「進捗状況を発信すること、それ自体がプロモーションになるよね?」という僕の薄らぼんやりした提案が、羊齧協会の菊池さんに「面白そうですねー」と、これまたぼんやりとこいつなんかやるかもしらんなーくらいの勢いで採用された。恐らくそういうようなことだと思う。

とは言えそれなりに使命感は感じているので、まず羊齧協会のwebサイトをチェックし、名前が上の方に出ている人から順にアポイントを取って話を聞くことにした。まずは2名をピックアップした。

1.菊池一弘氏:これまでにも書いてきたが羊齧協会の主席。主席のなんたるかはよくわからないが、まぁ一番偉い人であろう。

2.廣瀬達也氏:関西支部長など、いくつかの幹部ポジションに名前が出ていたので2番目に選んだ。#羊2で「神戸から来ている中小企業診断士」として書いたのがこの人。

そしてまず廣瀬達也氏とアポイントが取れ、7月28日15時に品川駅のドトールが待ち合わせの場所として指定された。

なぜ品川で、15時なのか。そしてドトール。
神戸から来ておられるはずだから品川というのはわかる。15時とは一般企業に働いているとすれば微妙な時間帯だが、このインタビューが終わって新幹線に乗れば晩飯を神戸で食うのにちょうど良い時間に帰ることができる。それくらい時間の自由がきくお仕事なのだろう。そうか、個人事業主だ。そんなアタリをつけて品川へと向かった。

品川駅港南口を出てすぐのビルにあるドトールで、廣瀬さんは待っていた。
「すみません。わざわざ品川まで来て頂いて」

いえ。この後は神戸へお帰りですか?

「そうなんです。ここ、ウチの会社のビルなので、時々使うんです」

え?ウチの会社の?

廣瀬さん、会社員なんだ。しかも品川駅すぐにビルを持つくらい大きな会社。いきなり読みが外れる。

「システム会社に勤務しています。あぁ、先日は中小企業診断士の名刺をお渡ししていましたか。こちらが会社の名刺です」

そういって渡された名刺には、旧国営企業系列のシステム会社の名前が印刷されていた。
聞けば廣瀬さんは兵庫県の八鹿(ようか)町(現養父(やぶ)市)という、かつては養蚕で成り立っていた、内陸部によくある感じの街で生を受け、八鹿幼稚園を皮切りに八鹿小学校、八鹿中学、八鹿高校へと、足せば三十二鹿にもなる鹿まみれのルートを経て早稲田大学へ進学。東京へ出てこられた。
大学を卒業して旧国営企業に入り、台北へ1年の駐在経験はあったが基本的には東京在住。しかし故郷に何かをなしたいとの思いが心にくすぶり続けていたとき、ある勉強会に参加した。その日が2010年の3月22日。そこで、後に羊齧協会主席になる菊池さんと出会う。3月22日は廣瀬さんの誕生日なので、よく覚えているのだそうだ。

「菊池さんは、なにか貿易みたいなことをやっていると言っていました。あと、しきりに自分は人見知りだと言っていたのをよく覚えています」

その出会いがどのようにして、羊の道に?

「勉強会は定期的に開催されていたので、何度か通ううちに廣瀬さん羊食べますか?と聞かれまして。とりたてて嫌いではなかったので、食べますよと答えたら集まりに参加することになりまして、それがきっかけですね」

webサイトに載っている年表によれば、それが2012年6月の第一回公式イベントに当たるようだ。

あ、廣瀬さん、羊ラブな人ではなかったのですか?

「そうですね。嫌いじゃない、っていうくらいでしたね。ですが羊齧協会に顔を出すようになると、来ている人たちが面白くて。それで顔を出し続けているうち、神戸へ異動になりまして。自分で希望出したんですがね。2015年1月に神戸へ移ったのを機に、関西支部長に任命されました。そこからは関西で羊を広めることについて、使命感に駆られるようになりました」

羊ラブじゃなくても幹部になれるんですか。

「菊池さんが付けてた赤い腕章がなんともカッコ良くて、腕章欲しいですと言ったら、これは幹部だけのものです!と言われまして。設立当初は菊池さんを始め、数名だけが幹部だったんですね。それだけに腕章のキラキラ度は相当なものだったですよ。でも、言い続けてたら幹部にしてもらえました」
ちなみに廣瀬さん「誰でも幹部になれる」ような気軽さで話しておられるが、当然ながらそんなわけはない。ラムストーリー2プロジェクトのやりとりにおいて、廣瀬さんがいることでタイムコントロールが的確になされている印象を強く受ける。当たり前だが、なるべくしてなるべき人が幹部になるのだ。

ところで関西における羊事情ってどんな感じですか?
僕も大阪で育ちましたが、あまり馴染みがないように思います。

「はい。全くその通りで、羊肉食文化はあまり見られません。日本では東北の一部と北海道が主に羊を食べる地域なのですが、関西にはそうした地域から来ている人がとても少ない。それは原因の一つだと思います。そしてなにより、美味しい羊肉を出す店が少ないんです。ジンギスカンを食べさせる観光地もあるのですが、ここの羊肉がちょっと残念。ロケーションはとても良いので、行けば楽しい思い出になるのですが、その思い出に羊肉が充分に貢献していないんです」

(あ、あそこのことかなー)

「ただ最近は、中国からの観光客の増加を受けて、中国人オーナーの中華料理店で美味い羊肉料理を出すところが増えてきています。そうした店の情報は、東京ラムストーリー2にも載るかもしれませんね」

そう言って店の情報を教えていただいたが、当然ながらここにお店の詳細を書くことはできない。とりあえず今度大阪へ行く時にトライしてみようと思う。しかしこうして話を聞いているうち、廣瀬さんも羊に巻き込まれた人生を送っている一人であることに思い至った。

羊で人生、変わりましたね。

「そうですね。関西では私、羊の人って呼ばれることがよくあるんですよ。東京や他の地域であれば、それはもちろん菊池さんですが。例えば中小企業診断士の集まりで、なぜか羊の話をする機会をいただいたり。それで私、気がついたんですが、羊って程よくメインストリームから外れたこだわり感があるんです。ジビエと言うほどにはエッジが立っていないけど、牛、豚、鶏のようなメジャーなポジションでもない。なんかその程よさが、自分としてはとてもしっくり来ています。あとはその羊が繋いでくれた、人たちとの交流ですね。羊のおかげで、とても面白い出会いがあります」

鹿にまみれて育った廣瀬さんは、「嫌いではない」くらいであった羊によって角度を変えられた人生をさらりと受け入れ、深めている。なんとも自然体で「羊の人」になった自分と折り合っているその姿は、即身仏のようですらある。

菊池さんが後日教えてくれた、表参道でどえらい美人と歩いていた話と真っ赤な外車に乗っている理由については、またいつか聞いてみようと思う。

巻き込まれて生きていく #羊4 はコチラから
巻き込まれて生きていく #羊5はコチラから
巻き込まれて生きていく #羊6はコチラから




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?