経験の図解

経験とは?学習とは?

こんにちは。向敦史(むかいあつし)です。

夏の探究スペシャルの隙間に4連休をいただき、何をしようかとジョン・デューイの「経験と教育」を読み始めたら、まとめたい欲に火がつきました。ちょっとした夏休みの自由研究です。

自由研究のテーマは、改めて「経験」と「学習」のメカニズムをまとめてみること。

結論から述べると、「経験を制するものは人生を制する」。こう言っても過言ではないと改めて感じました。

「もっとこんなことができるようになりたい」
「あんな風になりたい」
「この日までにこのスキルを身に着ける!」

私たちの日常と切っても切り離すことができないもの、それが「学習」です。しかし、「学習」というものをしっかりと学ぶ機会はなかなかないというもの。個人的には、義務教育で必修科するくらい価値のあることだと思うのですが。。。

ということで、今回は「経験」と「学習」について考えるために、3人の先生に登場いただきます。

1人目:ジョン・デューイ先生(1859-1952)

ジョン・デューイは、アメリカの教育哲学者で、名著が多数。著書を読んだことがある方も多いのではないでしょうか。

2人目:デイビッド・コルブ先生(1939-)

デイビッド・コルブ先生は、アメリカの教育理論家。コルブの経験学習の理論は、日本国内でも非常に有名です。

3人目:苫野一徳先生(1980-)

苫野一徳は、日本の教育哲学者。「自由と自由の相互承認」というキーワードを耳にしたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この3人の先人たちから、「学習とは何か?」のヒントをもらいながら、考察してみようと思います。

<目次>
1:学習とは何か?
2:経験から学ぶとは?
3:経験の何を振り返るのか
 *経験のメカニズム*
 *何をどう振り返れば良いのか*
4:どうやったら前提を修正できるのか
5:総括

学習とは何か?→自分の中に概念やイメージをためること

では、早速「学習とは何か?」について考えてみようと思います。まず、一人目の先生、デューイ先生の定義を借用します。

学習=個体内部に概念や記号を蓄積すること

デューイ先生によると、学習とは、自分の中に概念(言葉で表すことができるもの)や記号(言葉で表すことができないもの)を蓄積することです。

なるほど。つまり、いろんなものをみて、聞いて、触れて、覚えとけばいいってこと?でも、全部を全部覚えることなんてできないし…。
あ!じゃあ役に立つものから順番に覚えていけばいいのか!

このような考えの元なされてきたのが「伝統的な教育」です。大人からみて、覚えておく価値のあるものを、系統立てて、子どもの認知的な発達の段階に合わせて教え込んでいく。

しかしながら、このやり方には限界があります。

まず、知識の量に関して。伝統的な教育では、子どもたちが受け取れる量を超えて、知識が渡されます。近年は英語、プログラミング、プロジェクト学習と、社会に出てから必要とされると大人が判断するものは、どんどん増えているのではないでしょうか。

さらに、渡される知識の質に関して。知識の質を決定するのは、大人であり、子どもが持っている興味・関心や個人ごとの発達の度合いは、ある程度無視されてきました。理解できる順番で、役に立つと思われるものを一斉授業で教え込んできました。

これに対して、異を唱えたのが、デューイ先生。子ども自身の経験と切り離された学びは、結局は定着せず、知識が断片的なものとなるため、活用されないと主張しました。

こうした「伝統的な教育」に対して、デューイ先生は、学びは経験から生じるという教育のあり方を主張しました。

つまり、教材から子どもに向かっての一方通行的な情報の伝達ではなく、学びというものは、子どもと教材との相互作用の中から生じるものであると述べたのです。

デューイ先生が生きたのは、1859~1952年。つまり、今より100年近く前に、今まさに日本の教育改革の文脈で語られていることをすでに語り尽くしていたわけです。お見事。

ここで一度学習の定義に立ち戻りましょう。
学習とは、個体内部に概念や記号を蓄積することです。

では、経験から学ぶ、つまり経験から個体内部に概念や記号を蓄積するとはどのような行為なのでしょうか。次に見ていきましょう。

経験から学ぶとは?→経験を振り返ること

デューイ先生は、経験から学ぶということを主張しましたが、どのように学ぶかという点においては、十分な説明をしたとは言い切れません。そこで、彼のバトンを受け継いて、経験からの学び方を定式化していったのが、コルブ先生。彼は、経験からの学び方を経験学習のモデルにまとめました。

図1:経験学習のモデル

コルブ先生は、上記のモデルを用いて、経験からの学び方を説明しました。

<経験からの学び方>
1:具体的な経験をする
2:経験を内省的に観察する
3:経験から抽象的な概念を抽出する→個体の内部に蓄積する
4:蓄積された抽象的概念を元に、次の能動的な実験を行う
→1に戻る

より簡単な言葉でいうと、人は、「経験する」→「振り返る」→「概念やイメージを取り出し、蓄積する」→「次の作戦を立てて実行する」→「経験する」→・・・というサイクルの中で学ぶということです。

身近な例でいうと、料理を味見した際にしょっぱいさを感じるという「具体的経験」をしたとしましょう。その際に、まあいっかとすることもできるのですが、経験から学習する際に重要となるのは、それを「内省的観察」することです。一体なぜしょっぱくなったのかを明らかにするために、水の分量や、塩の量、さらには、自分のその日の体調など、しょっぱさに関わる内容について内省的に観察します。その上で、水をカップ3杯入れるだけではしょっぱくなる、塩は2つまみで十分、疲れていない日は薄味がいいなどといった「抽象的概念」を獲得し、自分の内部に蓄積します。そして、この抽象的概念を元に、次回に料理をする際には、塩味の調整という「能動的実験」を行い、そこからまた味という「具体的経験」が得られます。

つまり、学習において重要になるのは、経験から自分の中にためておきたい概念やイメージを抽出するための「振り返り」です。経験を振り返ることこそが、個体内部に概念や記号を蓄積することに繋がります。

ここまでをおさらいすると、「学習とは、経験を振り返ることにより、自分の中に概念や記号を蓄積すること」ということができるでしょう。

ここからさらに一歩踏み込んでみましょう。では、振り返るとき、一体何をどう振り返ればいいのでしょうか?

経験の何をどう振り返るのか?

では、経験を振り返る際には、一体何をどう振り返ると良いのか、早速見ていきましょう。

*経験のメカニズム*

これを考えるために、まず知る必要があることがあります。それは、「経験のメカニズム」です。

以下の図2は、私たちが「経験した」と感じる時に起こっていることを図式化したものです。

図2:経験のメカニズム

この図2の中にある矢印が1周することを「経験する」と呼びます。
つまり、環境を前提を通して解釈し、そこから湧き上がる感情と思考を元に反応し、新たに環境を生み出していくことが「経験する」と言われることの正体です。

図2の最も基本的な部分として、まず抑えたいのが、「主観的体験」「客観的事実」です。

<「主観的体験」と「客観的事実」>

私たちは、客観的事実の存在する世界にいきていますが、この客観的事実を体験することはできません。私たちが自分を取り巻く環境(ヒト・モノ・コト)を体験するとき必ず、自身が持つ「前提」という名のフィルターを通して体験します。客観的事実である環境をそのまま体験することはできません。

知覚的には、とあるAさんを見る時に、Aさんの前面を見ている場合は、背中が見えません。また、認識的にも、様々な側面を持つAさんの「テニスが得意なAさん」などと一面しか認識できません。全てをそのまま体験することは不可能です。

つまり、私たちが日々体験していることは全てその人に固有な「主観的体験」なのです。

次に、主観的体験と客観的事実の中で生じる具体的なプロセスである、前提→解釈→感情→思考→反応というプロセスについて見ましょう。

<前提→解釈→感情→思考→反応というプロセス>

客観的事実である環境は、主観的体験として体験される際にまず前提という名のフィルターを通過します。これにより、客観的事実は解釈され、事実のうちの一部が切り取られます。

(再掲)図2:経験のメカニズム

こうして切り取られた解釈に触れると、脳の中では感情が生成されます。そして、この感情は思考でもって理解され、そして、思考されたものが反応を呼び起こします。

このプロセスに関しては、山鳥重が著書「『気づく』とはどういうことか 」(2018)の中で語っているモデルが興味深いです。

図3:こころの概念図

上記の図は、人間のこころの概念図です。この図は、行為(反応)が生み出されるまでの過程を図式化しています。この過程を単純化したものが、前出の図2:経験のメカニズムとなります。

人間は無意識下で「コア感情」を体験しています。このコア感情は知覚されません。また、それぞれの感情に名前がついている訳ではありません。ただ感情らしきものを感じているだけです。

こうしてただ感じられているものの中で、ある一定の量を超えたものが、「感情」として表出します。生きる中で、言いようのない感覚に襲われることがあると思いますが、感情とは本来言語化されていない感覚です。

この感情を理解するために、人間は過去の経験と体験している感覚を照らし合わせ「心像」というイメージを作り上げます。心像は、体験している感情を表現している状態のイメージです。

このイメージに対して、言葉が与えられて初めて、人間は感覚を言葉で理解することができます。このイメージに言葉が与えられている状態を「語心像」と言います。

そして、この語心像が生まれることで、具体的な行為(反応)のイメージが伴う「思い」が結実し、最終的に「行為(反応)」として表出します。

こうして、「行為(反応)」が起こることで、人間は客観的事実としての新たな環境(ヒト・モノ・コト)を生み出していきます。

1点、この経験メカニズムを理解する上でポイントとなるのは、このメカニズムは自動化されており、ものすごい速さでサイクルを回し続けているということです。前提というフィルターを通過した情報はものすごい速さで自動的に処理され、反応という形で表出します。

少し長くなりましたが、私たちが「経験する」と言う時に起こっていることは、環境を前提を通して解釈し、そこから湧き上がる感情と思考を元に反応し、新たに環境を生み出していくことであるということを見ました。

今回少し文面を割いて、「経験のメカニズム」について見たことには、2つの理由があります。1つ目は、経験のメカニズムを知ることで、振り返る対象を絞り込むことができるという理由。2つ目は、経験のメカニズムの鍵を握っているのは、前提であるということを認識をつくるためという理由です。


<連続性の原理と相互作用の原理>

上記のメカニズムに付随する内容として、デューイ先生が紹介した、経験の2つの原理をみてみましょう。

1:連続性の原理
2:相互作用の原理


1:連続性の原理は、経験とは各経験が断絶されたものではなく、全て前にした経験との連続性を持ったものであるということを意味しています。
2:相互作用の原理は、経験とは個人の内部で隔絶されて起こるものではなく、個人を取り巻く環境(ヒト・モノ・コト)との相互作用によって起こるものであるということを意味しています。

1:連続性の原理

先ほどの図2:経験のメカニズムは1枚の絵の中で完結していましたが、実際には個人が起こした反応によって、私たちを取り囲む環境は不断に更新されています。私たちが任意の経験をしている瞬間をTとすると、反応によって作られる新たな環境はT+1の瞬間の環境となります。これを図として表したものが以下の図4となります。

図4:【図解】連続性の原理と相互作用の原理

このように、任意の瞬間Tの時点における「経験3」として生まれた「反応」は、T+1の瞬間の「環境4」を生み出します。

2:相互作用の原理

上記の図4:【図解】連続性の原理と相互作用の原理には、連続性に加えて、相互作用の原理も表現されています。

伝統的な教育が行った一方通行の知識の注入ではなく、教材(図の「環境」に含まれる)との相互作用、つまりコミュニケーションがあることによって、子どもは経験をし、その経験を振り返ることにより、概念や記号を蓄積することができます。

図4の中では、「経験1」にて起こった「反応」により、「経験2」の枠の中の「環境」が更新され、その「環境」と人が相互作用することにより、「経験2」が生まれます。この反応による環境の更新とその環境との相互作用により生まれる反応が繰り返されることで、連続的に人間は経験していきます。

では、この図4を使いながら、一体何をどう振り返ったらいいのかに迫っていきましょう。

*何をどう振り返ればいいのか?*

図4(再掲):【図解】連続性の原理と相互作用の原理

各経験は、環境を前提によって解釈し、そこから生まれる感情と思考により、反応が生成され、新たな環境を生み出していくということは確認しました。

振り返りをする際には、いくつかのステップが考えられます。1つずつ見ていきましょう。

<振り返りのステップ>
1:様々な経験を解釈、感情、思考、反応の項目で振り返ってみる
2:感情と思考がねじれている経験を特定する
3:ねじれを生み出している前提を探る
4:自分の本当の願いに立ち返り、前提を強化/修正する

1はそのままの意味ですので、2から見ていきたいと思います。

2:感情と思考がねじれている経験を特定する
感情には大別して<快・不快>、思考には大別して<善・悪>が存在します。感情→快、思考→悪な経験、または感情→不快、思考→善である経験は特に振り返る価値がある経験です。

直感的には良さそうなのに、考え込むと良くなさそうに思えてしまう経験、直感的には良くなさそうなのに、考えると良さそうに思えてしまう経験は、自分の中でまだ消化することのできていない経験です。ねじれのある経験にこそ、修正する必要のある前提が隠されています。こうした経験に振り返りの対象を絞っていきます。

3:ねじれを生み出している前提を探る
経験のメカニズムにおいて、解釈〜反応は自動生成されます。よって、ねじれを生み出しているのは前提であり、この前提を取り扱うことが本質的にねじれを解消する方法となります。逆に、前提が変わらない限り、付け焼き刃で考え方を変えてみたり、感じないようにしてみたところで本質的な解決にはならないと言って差し支えないでしょう。

4:自分の本当の願いに立ち返り、前提を強化/修正する
ねじれを生み出している前提が見つかった場合、自分の本当の願いに立ち返り、前提を強化/修正します。

ここで、自分の本当の願いについて確認します。
やっとになりましたが、最後に登場するのは苫野一徳先生。苫野先生は、著書「教育の力」の中で、人間の根源的な欲求を以下のように記しています。

『自由』への欲望とは、ありていにいうと、『生きたいように生きたいという欲望のことです。人はだれもが、『生きたいように生きたい』という欲望、つまり『自由』への欲望を持っている。

苫野先生は、学び続けた先の目標として、自由に生きることをあげました。

デューイ先生も「自由」をキーワードとして、「経験と教育」の中で語っています。デューイ先生のいう「自由」とは、「衝動」(本能的な欲求)を抑制して、自分の人生の目的から行動を選択できるようになっている状態を意味しています。

苫野先生の「生きたいように生きる」の「生きたいように」にも、単に衝動的なものに流されるわけではなく、自覚的な人生の目標を設定し、その目標に自ら向かっていくことができることが包含されているでしょう。

つまり、自分の本当の願いとは、単なる快楽ではない、自覚的な人生の目標であるということができます。

これを元に、前提がポジティブに働いているかを識別するための基準を改めて整理すると、その基準は、

「衝動的な快楽に流されることなく、自覚的な人生の目標に向けて行動を選択できる状態」へと、経験が連続していくことに貢献しているか

ということができます。

この基準に立ち返った時に、自分が持っている前提が自分にとって良い経験を生み出しているかを振り返り、自分にとって良い経験を生み出す前提に自身の前提を強化/修正していくことが振り返りの鍵となります。

これさえできれば、経験を統制できます。つまり、学習を統制できるということです。つまり最強です。

では、最後に、どうしたら前提を強化/修正できるかを確認しましょう。

どうしたら前提を強化/修正できるのか?→経験と前提の振り返りの繰り返し

改めて、図4を確認しましょう。

(再掲)図4:【図解】連続性の原理と相互作用の原理

私たちの持っている前提は、過去の経験の集合体です。つまり、前提は経験によって強化/修正されていきます。つまり、頭を悩ませているより、とにかく修正してみた前提を元に経験を積み重ねることが前提を修正していく上で何よりも有効だということです。

新たな前提から経験を積み重ね、それを振り返るという経験学習のサイクルを回した回数分、前提は修正されていきます。経験のメカニズムを知った上で、前提を修正することが、最も効率的に、自由に生きることに近づいていく秘訣です。

そして、最も重要な点は、前提を修正することさえできれば、経験は、人生は、自ら大きく変えていくことができるという点です。さらにいうと、自分の外部にある変えようのない現実に対してアプローチすることなく、変えられないものを嘆くこともなく、自らの持つ前提さえ修正するだけで、自分と向き合うだけで、自分が体験する世界を大きく変えていくことができるということです。

客観的事実の世界を嘆くのではなく、自らの前提を修正することで、自分が環境を更新していくための「反応」は確実に変化します。つまり、自分の前提を修正さえできれば、環境を、さらには世界を創っていくことが可能であるということです。

(再掲)図4:【図解】連続性の原理と相互作用の原理

前提が変わると解釈が変わる。
解釈が変わると感情が変わる。
感情が変わると思考が変わる。
思考が変わると反応が変わる。
反応が変わると環境が変わる。
環境が変わると経験が変わる。
経験が変わると人生が変わる。

経験を制すものは、人生を制す。

ということで、自由研究でした。

総括

・学習とは、経験を振り返ることにより、自分の中に概念や記号を蓄積すること

・振り返りのポイントは、ねじれを発見して、前提を修正すること

・前提を修正する秘訣は、「単なる快楽ではない、自覚的な人生の目標」に適う経験を生み出す前提を持ち、その前提が生み出す経験をし、それを振り返るというサイクルを不断に回し続けること

・自らの内面において前提を修正できれば、環境を、世界を創っていくことができる

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