出世稲荷、踏切と跨線橋


京都発、敦賀・豊岡行き923列車。園部以遠へ行くシゴナナ唯一の運用だった。
二条~花園 1969(昭和44)年12月


二条駅を出た山陰線の列車が、左に大きくカーブしたところに、旧二条通りの踏切と、当時にしても十分古ぼけた跨線橋がありました。千本通りには、出世稲荷神社があり、電停もバス停も「出世稲荷前」。だから、ガキ鉄たちは、「今日のキューニーサン、出世稲荷で撮ろか」と、踏切が閉まっていても人は渡れる人道橋に、オリンパスペンやキヤノンデミ片手に集まったものでした。
ご覧のように、ちゃんと踏切小屋があって、二条駅から伸びる側線には、時おり入換のDD13もやってきました。今なら、光線イマイチだし、編成も入らないとなるところですが、ここで大好きなシゴナナを待つひとときは、ワクワクドキドキ、今思い出しても、まさに至福の時間でした。
現在、この区間は高架となって、嵯峨嵐山への観光客を満載した電車が往来しています。右に見える自動車教習所は健在ですが、もちろん、踏切も跨線橋もありません。それどころか、出世稲荷神社自体が平成の中頃に大原へ移転し、バス停の名前も変わってしまいました。
千本通りの市バスで帰るときはいいんですが、チャリンコで行ったときは、千本北大路まで上り坂が続きます。ああ、帰りはしんどいなあ、とぼやきながら、また週末になると、シゴナナを見に行くことになるのでした。

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